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苦味があるな?

Getting Over It with Bennett Foddyの作中文が面白い

タイトルがクソ長いゲーム、『Getting Over It』とも言うらしい。

 

実際にプレイしたわけではなくて動画を見ただけなんだけど、非常にむず痒さを感じさせるゲームで、そこにエンターテイメント性が多大に盛り込まれている。

 

www.youtube.com

 

↑このゲームの面白さはこの動画にかなり盛り込まれてると思う、残りの面白さは体感することにより完成するんじゃないかな。

 

ちなみに下記ページでこのゲームを知って、動画もそこから発掘。

 

下半身が釜の男が山を登るアクション『Getting Over It with Bennett Foddy』すでにSteam版発売前から海外をイライラの渦に巻き込む | AUTOMATON

 

上述したプレイ動画にはほぼでない要素なんだけど、随時デザイナーからプレイヤーに対してコメントと言うか語りが登場していて、この中にある哲学が興味深いんですよ、これまた。

 

英語が全くできないので下記動画での翻訳文章から引用しています。

 

youtu.be

 

登るという根源的特質についての言及

 

現実と同じく、デジタルの世界でも「登る」という行為にはある種の根源的な特質があって、それがこのゲームにユニークな趣を与えていた。

 

とくに”登る”ということに対して人生哲学じみた何かを持って居たわけではないのだけれど、非常に心惹かれた。

 

人は登るほど位置エネルギーを獲得してしまうわけで、それは生命的にとっては非常に危険な行為。にもかかわらず登山者が存在するのは登る行為が人の欲求に対して根源的にアプローチをかけているからなのかと、そう感じたわけです。

 

特にこのゲームは登ることの面白さを実に上手く演出している。

 

頭のなかではできているきれいな動きが実際には反映できず、ミスして落ちて、苦労に苦労を重ねた成果をゼロにしてしまう。

 

日本性のゲームに例えるなら「風来のシレン」のような取り返しのつかないミスというものが存在するからこそ、手に汗握るし緊張感が身体を支配するし、そしてそれが心地よさを生んでくれる。

 

感覚的に理解していた破滅があるからこそ、獲得成果に対して笑みを浮かべられるという事実を改めて認識させてくれたわけです。

 

正直言えばこの登る哲学に関しての文章に心躍っただけで、他に関してはそこまでなんで、タイトルに偽りあり説ありますね。

 

このゲームの作者は伝説のQWOP製作者だった

 

非常に高い難易度と物理ベースの笑える挙動でお馴染み『QWOP』『GIRP』『CLOP』の開発者として知られる、Bennett Foddy氏の新作ゲーム『Getting Over It』が10月に登場します。

 

『QWOP』開発者の新作『Getting Over It』が10月に登場!―釜に入った男がハンマーで山越え | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

 

 QWOPに関してはフラッシュゲームですぐさま始められるからやったことあるんだけど頭のおかしい操作感で、とてもじゃないけど100m完走してクリアなんてできなかった。それを踏まえると今回のゲームも相当やばいんだろうなって感じますね。

 

正直動画を見た限りではあそこまでミスを重ねるほど圧倒的に難しいのかと疑問符を浮かべていたのですが、QWOP製作者のゲームですと言われたら「ああ」と察しちゃう。

 

QWOPの存在すら知らないのにこのサイトにたどり着いたという、非常に稀な属性を持っているあなたは今すぐレッツプレイ! 多分クソゲーっぷりに笑いを漏らしながらブラウザをいつの間にか閉じていることでしょう。

 

⇒「QWOP」プレイはここから

 

台無し存在による緊張感こそゲームって感じがしてたまらん

 

風来のシレンみたいなデスペナルティが存在するゲームっていざ自分がやってそのペナルティを受けるとコントローラーを壊れないようクッション性のある場所に放り投げて虚空を眺める程度には嫌なことなんだけど、台無しになるという人生でいわば死や破滅みたいな存在があるからこそ楽しいって面もあると思うんだよね。

 

今時のゲームみたいにゲームオーバーに対してのペナルティが希薄ですぐさまやり直しが効くってのも気軽さがあって好きなんだけどさ。

 

時にはミスったときに「クソゲーだね!!!!」と憤って、汚い言葉でゲームを罵ってしまうほどペナルティがキツイというゲームも楽しみたいと思うんだよ。

 

人生哲学じゃないけどさ、僕は老化という概念があるからこそ若いうちからお金を稼いで楽しいことをいっぱいしようとか、若いときしかできないであろうことを沢山やりたいと行動に行動を重ねることが出来ていて、もしタイムリミット的な存在がなければ多分ぐうたらと部屋で怠惰を貪っていますよ多分。

 

要は終わりや破滅があるからこそ今を頑張れるんだと思うわけです。

 

漠然とした焦りや恐怖心が僕を成果獲得に動かしているみたいな。

 

人間の行動心理なんて仮想空間だろうが現実世界だろうが対して変わらないからこそ、こういうクソみたいなペナルティが存在するゲームが愛されて拡散されていくんじゃないかって思いますね。