INTP型のブログ

苦味があるな?

虫歯が16本あると言われたので歯のケアをガチる

一本ゴリゴリに削られて銀歯入れなきゃらしいんだけど、いまプラスチックで埋めてて大丈夫だからいれんでいいかな?

 

ひとまずそれは置いといて、自分なりの最適化論をやっていきます。

 

虫歯ケア = フッ素フッ素フッ素!

 

虫歯予防は基本的にフッ素ゲー。歯磨きで予防は確かにできるのだけど、フッ素の効果に比べたらそこまで大きくはないです。歯ブラシによる歯磨きはどっちかというと歯周病とか、歯の健康維持って面が強い様子。

 

フッ素をうまく使う方法としては

 

  1. フッ素の多い歯磨き粉を使う
  2. 水道水よりミネラルウォーター

 

あまり知られていない事実として、水道水よりミネラルウォーターのが多いです。

 

これはフッ素性エナメル白斑と呼ばれる現象が起きないためのもの。僕もあるんですが、前歯が微妙に白くなってる人とかいません?あれはフッ素によって発生するもので、だから飲む機会の多い水道水はフッ素含有量が0.8mg/L以下に設定されているのだとか。

 

そういう意味ではミネラルウォーターのが虫歯予防に効果的と言えるんですが、まあ大差ないので基本はフッ素含有量の多い歯磨き粉を使うのがいいです。

 

調べたところ歯磨き粉のフッ化物イオン濃度は法律上1500ppmが最大値として設定されているとのことで、それでいうと1450ppm入ってるライオンチェックアップが日本では相当強いかなと思います。

 

ライオンチェックアップ

 

※どうでもいい人が殆どだろうけど、個人的ポリシーとしてアフィリンクにしてないです。

 

シュガーレスガムで虫歯予防

 

https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/2380084419887178?journalCode=jcta


 

これによるとシュガーレスガムは有意に虫歯を予防してくれるのだとか。

 

要因としては

 

 

が挙げられるそうです。

 

歯間ブラシは微妙

 

https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/154405910608500404

 

デンタルフロスや歯間ブラシは虫歯リスクが減少するってことは言えないようです。

 

なんでも歯間ブラシを使うことで歯茎が減ったり、出血によってむしろ弊害のが大きいとか。

 

ただ一応デンタルフロスプラークを取る効果は対してないけど、歯間ブラシであれば多少は効果あるかもねって感じではあるらしい。

 

なんにせよ微々たる効果という考え方が主流のようなので、歯間に関してはPMTC(要は歯医者に歯石取りとかやってもらうやつ)をしてもらうのが最大解になるっぽい。

 

実際、アメリカではほぼすべての人が定期的に虫歯じゃなくて歯医者に行くようで、これはもし仮に虫歯になって被せものとかするはめになったら、保険が効かないためとんでもない費用がかかってしまうからなのだとか。

 

歯間のプラークを自力でなんとかするのはほぼ無理ゲーなようなので、歯医者には毎月ペースでいかざるを得ない…。

 

歯磨き最適化するなら電動歯ブラシは有り

 

普通の歯ブラシと電動歯ブラシで虫歯予防に対する効果は差が無いようなのですが、歯周病予防の観点から言うと電動歯ブラシに軍配が上がるようです。

 

今の所お金に余裕がある人間じゃないんであれですが、もしあるならお高めの電動歯ブラシを手にとって見るのが良いんじゃないですかね。

 

マウスウォッシュはやめとけ|口内細菌の話

 

アボリジニを対象にした調査だと、なんでも狩猟採集民に歯の以上は殆ど存在しないのだとか。

 

理由の一つとして、ありえんぐらいよく噛んであごが発達しているからっていうのがあるらしいんですけど、他に口内細菌が最適化されているからって説もある様子。

 

なので殺菌系のオーラルケアは避けたほうが良いっていうのが結論みたいです。(キシリトールとかの抗菌は大丈夫)

 

口内細菌を増やすなら生野菜を食べる、口内細菌を活かすならビタミンA、D、K、コエンザイムQ10が言いそうです。

 

あと口内細菌の活動時間は日中で、夜間は活動が低下するので、基本的に日中大きな食事をするようにしたほうがいいらしい。また食事のタイミングにじわじわ活動時間を合わせていくようなので、一定のタイミングで取るようにしたほうがいいんだとか。

 

まあここの最適化は殺菌系の商品を避けて、規則正しい生活を送るっていうのに着地するような気がします。

 

まとめ

 

  1. フッ素の多い歯磨き粉を使う
  2. シュガーレスガムを噛む
  3. 電動歯ブラシを使う
  4. たまに生野菜を食べる
  5. 一定の生活リズムを作る
  6. 定期的に歯医者に行く

 

やっちゃだめなのは殺菌系のオーラルケア。歯間ブラシはやってもいいけど、デンタルフロスはあんまりおすすめしない。また歯間ブラシ系をやってもそこまで対策になってないので歯医者に行ってPMTCを定期的に受ける。

 

っていうのが虫歯ケアをガチるならおおよその結論になると思います。

サイト更新の話

いやこのブログの話じゃなくて、経過報告で紹介しているサイトの話なんですけど、あれの戦略をざっくり解説すると

 

  • 稼げるジャンルは情報の更新速度が高い
  • 更新速度が高いとページ数が増えたときの手間がやばい
  • 一人では無理なので、だったら更新速度の低いジャンルをやろう

 

っていうのが前提にありまして、だからおそらく向こう10年、20年は更新しなくてもいいようなページが殆どで、かつ更新する必要が出てもそこまで手間がかからないっていう方向性にしてるんですね。

 

それでまあ240ページぐらいで「まあこんなもんにして、リンク周りやっていくかぁ」って触ってたんですけど、ふと昨日経過報告の記事書いてて、なんか違うなぁとなりまして。

 

いやだって、更新速度が低いジャンルにしたのって、サボりたいのが殆どではありますけどページ数の人海戦術みたいのしても安心安全っていうのが背景にあるわけで、つまりはガンガンページ数増やしたほうがお得なんですよね。

 

だのに、全然記事更新していない自分に気づき、いやもったいないなっていう。

 

多分方向性としては競合が殆どいない代わりに、まじのニッチな記事を量産するっていう考え方でいいはず。そうすれば情報量少なくてもそもそも日本語コンテンツが存在しないからアクセスが取れる状況を作れるはずなので。

 

それなら朝起きてとりあえず3記事作ってから動画制作やらその他諸々の作業に移っていくことも全然余裕なので、そうしたほうがいいかなという。

 

僕は昼型なので、朝一が一番活動できるかと言うとそういうわけじゃないので、寝起きの頭にはちょうどいい刺激な気もしますし。

 

こういうミスは一人でやっているとどうしても起きてしまうし、客観的に見ればしょうもない話ではあるんですけど、先入観やらなんやらでどうしても起きてしまうこともあるわけで、まあ気づけただけ良しとしましょう。(経験則上、200ページ前後までが一人で管理できるラインと染み付いてしまっていた)

経過報告12

経過報告11の続きです。完全に書くの忘れてた。

 

f:id:intptan:20210127150040j:plain

 

今月はこんな感じ。

 

PVは8000/月ぐらい。伸びてはいるけどいつもどおり微々たるペースではありますね。

 

今月はとにかく動画を作る予定だったんですが、確定申告等の書類作業で進捗が悪く、さらにメンタル不調な出来事もあったりで全く作れてないです。具体的に言うと5本しか作ってねぇ…。

 

良かった点はYoutubeの登録者数がじわじわと伸びている点かな。

 

f:id:intptan:20210127150428j:plain

 

総視聴回数が5000回超えたぐらいにはなってきたので、10000回はあと2ヶ月はあれば確実に超えられるかなって感覚。YoutubeSEOの話でも書いたけど、10000回は一つのラインのようなので、意識はしておきたい数字っすね。

 

あとひとつ試したこととしてTikTok用にショートムービーを1本だけ作ってみたんですが、まあ反応率悪かったです。ただついでに上げたTwitterでの反応は良くてフォロワーが5~10人ぐらいはたしか増えたと思います。割合でいうと5~10%ぐらい。

 

SNS媒体は基本比率的に伸びていく傾向があって、単純な話なんですけど例えばフォロワーが100人いたときにRTが10出たとしたら、1000人いたときは100とまでは言わないけど、50以上は出るものなんですよ。

 

ということはフォロワー外のユーザに届く数が増えるので、フォロワーにたいしての割合で増えていくって話です。

 

それでいうと動画1本で5%増えるっていうのはコスパ良いように見えるので、週1でも良いから1本作るようにしたいなぁという気持ちはあります。(結局今月は1本しか作ってないけど…)

 

今月のスコアで言うと

 

  • サイト:0.8万PV
  • ニコニコ:20万PV
  • Youtube:0.2万PV

 

って感じなので、まあまだまだですね。

 

ほんと、甘えてる余裕ないのは分かっているのだけど、どうにもこうにもやる気がでないんだよなぁ。いやそもそもやる気に頼ってる時点でおかしいのか。やる気がなくても眠くてもイライラしても、目の前の消化すべきことをやらなきゃいけないのがプロなんでしょうね。いっちゃん苦手だぜ…

 

ああ後、あんまり関係ないけどProgateでjavascript勉強したりしてました。あれは使いやすくていいね。類似サービスとしてドットインストールっていうのもあるらしいから、firebaseやりたいなぁって思ったときはそっち触れてみようかな。

 

まあプログラミングを使って稼ぐ予定はないのだけど。サイト作りに関して言えばWordPressで大抵できちゃうし。よりよいものを作るって観点で言えば勉強大事なんだけど、ぶっちゃけそのために一番必要なのデザインの勉強な気がするわけでして…。デザインは何度も勉強したけど全然分からん人間だしなぁ。

 

---

 

来月の目標は

 

  • 動画10本
  • ショートムービー4本
  • Progate20時間
  • 読書20時間
  • サイト更新4記事

 

ぐらいにしておこう。まあ来月っていうか、経過報告を書いた次の日からっていう区切りなのだけど。

 

タイムボクシングはマジで有用だというのは理解したので、とりあえず毎週書くようにしよう。

 

ではまた淡々と頑張っていきましょう。

 

ループモノはどうして面白いのか?

結論から言うと『全てのバッドエンドを見せた上で、最高のハッピーエンドを見せられるから』に尽きると思います。

 

例えばミステリ系でループモノは扱いやすいと思っているんですが、それはなぜかといえば”惨劇自体を回避できる”から。

 

主人公の家族が惨殺されたところから始まり、その犯人を探す物語みたいなのは、最終的にハッピーエンドに落ち着けたとしても復讐の達成でしかないんですよ。

 

幸福度という観点から言うと、惨殺によってマイナスに振り切った数字を、マイナスだけど前よりは良いぐらいのラインに持ち上げられたぐらい。

 

f:id:intptan:20210126224130p:plain

 

日常には戻れてないわけですから、こんなもんじゃないかと思います。

 

そしてこれは自論ですが、幸福度というのは直近の上下幅に対しての感覚だと考えています。

 

f:id:intptan:20210126224350p:plain

 

だからマイナスの中での上下動でも幸せではあるんですが、最大限の幸せではないんですよね。

 

今回の家族惨殺に対しての最大限の幸福は家族の生存なんですよ。だって死んだのが辛くて悲しくて、それを埋めるために復讐するわけですから、であれば死そのものがなくなることが最も幸福だと言えます。

 

そこで出てくるのがループという舞台装置です。

 

死んだ人間が生き返ることは有りえませんし、仮に生き返ったとしても多くの信仰が示すとおり”元通り”は受け入れられません。死から蘇った生命は時間制限を持つ、もしくはゾンビのように生前の振る舞いから遠く離れた存在になるというのが宗教観に基づく普遍的な思想です。

 

だから生き返ってよかったねに対して読者は「いやいやそうはならんだろ」という違和感を覚えてしまい、没入感が失われてしまいます。

 

しかしループであれば死そのものをなかったことにできるわけですから、なんの違和感もなく最大幸福を実現できてしまうわけです。

 

f:id:intptan:20210126224909p:plain

つまりループモノの面白さは本来実現不可能の最大幸福達成にあると考えられるわけです。

 

またこれ以外にも複数回のループを前提にするのであれば、よりひどい不幸を主人公に与えることもできます。例えば仲間の死とかね。

 

幸福度は直近の出来事に対しての差によって発生するものなので、仲間の死によって落として数字をループによって正常化することができるため、その差を読者は楽しむことができます。

 

これがループという舞台装置を使わない場合、ご都合主義での生存を使わなくてはいけなります。これもまたループモノの強さでしょう。

 

---

 

ループモノの問題点は緊張感を損なわせる部分にありますが、同時にそれは緊張感の演出に使うことにも繋がります。

 

例えばラスボスに挑戦するとなったときに、ループが使用可能であると言うなら、何度も繰り返してしまえば確実に完全な勝利を演出できてしまうわけで、これは読者からすると消化試合のように見えてしまい、最大の山場がなんだかしょうもないものに見えてしまいます。

 

だからループモノの弱点は緊張感を損なわせる部分にあると言えますが、逆に言えばループを使えない状態にすれば緊張感は爆発的に向上します。

 

デフォルトの状態がループを前提としたものにある読者からすると、失敗したらもう終わりを提示されることは緊張感の演出に繋がってしまうのです。本来、ループを持たないのが普通の人間のはずなのに、物語を通じてループが前提になってしまっているから、それを取り上げられることは普通のはずなのに緊張感の発生に繋がります。

 

ループモノをシステム的に読み解いてもらうと分かるかと思うんですが、ラスボス、もしくは最大の山場の前では何らかの理由によりループを頼れなくなるケースが一般的ですので、そこを意識してみてみると面白いかもしれません。

 

---

 

ここでどんなループのさせ方があるかも見ていきます。

 

  • 能力パターン

 

なんかよくわかんないけどループするパターンですね。いつの間にか使えるようになってたりします。

 

多くの場合は能力の発動のさせ方を主人公に理解させるために死をトリガーにしていることが多いです。

 

死をトリガーにすると能力説明を自然にできるというのもあるし、なにより次はもうないかもしれないという緊張感演出だったり、主人公の行動パターンの制御だったりに使えて利用しやすい面があるように見えます。

 

  • 夢とか世界パターン

 

世界そのものがループしていて、主人公視点だと死がトリガーになっているように見えるけど、本当は関係なくある特定の日付になるとループしているというパターン。

 

世界ごと隔離されているとかそういう説明が多いような気がします。夢の中に気づかない内に閉じ込められているとか。

 

大抵の場合、ループをさせている黒幕を突き止めるというのが物語の主軸になってたりする気がします。

 

  • ツールパターン

 

何らかの機械や道具によってループするパターンです。僕の大好きなシュタゲはこれパターンですね。

 

道具に依存するということは誰でも使えるわけですから、それを狙った組織と敵対したりするのが多いように見えます。

 

---

 

物語システムについて考えると、大体ループはミステリ系と合わせられることが多いです。

 

  • ミステリ系

 

ループは謎の提示→それによる死亡(要はGAME OVER)→死亡の原因を探るという形と相性が良いです。

 

バッドエンドとして最もひどいのは誰かの死ですし、普通は自分よりも優秀な人間の暗躍に太刀打ちできませんが、ループの力によってじわじわと解決に近づけますから。

 

  • 異能系

 

超常の力を振るう存在の中で太刀打ちするための能力としてループを振り分けられるパターンです。

 

ループ能力者は身体的能力自体は一般人なわけですから、例えばドラゴンボールの御空に対して何度ループしようが太刀打ちすることなんて無理ゲーと感じるわけですが、そこを試行回数でなんとかするってパターンです。

 

---

 

物語の基本的構図はどこまでいっても『落として上げる』、もしくは『上げて落とす』のどっちかだと思うんですよね。

 

大抵『落として上げる』が王道で、『上げて落とす』は鬱展開として扱われます。

 

ちなみに、作り手として考えると『上げて落とす』のほうが構成は楽です。

 

例えば『平凡な主人公の前に突如ドラゴンが!どうする?』ってなったときに面白みのある解決策を提示するのって面倒くさいじゃないですか。

 

でも物語構成として『彼女ができて幸せそうな友人の惚気話を聞いてたら、いきなりその友人が頭からぱっくりドラゴンに食われた』だったら、解決策を別に作る必要がなく、それでいて物語として成立させられるんですよね。

 

人間は性質として、不幸な物語を見せると『こっからきっと良くなってくれるはず…!』って期待して読み続けてくれたりするので。不思議なものでストレスを掛けても人間って魅力を感じるものなんですよね。そりゃDVから逃げられるんわけだわ

 

上げて落とすは楽なんですけど、落として上げるは落としたものに対しての解決策を考える必要があるから大変なんですよ。

 

世の中を見れば分かる話ですが、人間の問題解決能力なんてたかが知れてるんですよ。だから専門家って職業ができるわけで。

 

だから落とす幅は取り戻せる範囲にしないといけないんですけど、ループモノだったら思いっきり落としても問題ないんですよね。だってなかったことになるんだから。

 

そのへんもループが舞台装置として有能な理由な気がします。

 

……ちなみに他の物語パターンとして、上昇し続けるパターンと下降し続けるパターンがあります。

 

後者はいわゆる鬱ゲーの類ですね。多分今はもう需要が殆どないような気がします。一昔前のオタクたちがエロゲーを通じて遊んでたイメージ。

 

上昇し続けるパターンは逆に今のトレンドで、いわゆる成り上がり系ですね。スタート地点を普通に考えたら絶望のラインに設定して、そこからチート能力で上昇し続けるパターン。スラ転なんかはまさにこれな気がします。

 

誰かが「最近のオタク向けラブコメは1話でこじれて、仲直りまでやる」って言ってたんですが、多分これが示す所は落ちるの部分のストレスを感じたくない人が増えたってことだと思うんですよ。

 

でもこれは個人的に普通のことだと思っていて、つまりはオタク向けコンテンツに普通の人が増えたってことじゃないかと。

 

オタクは歪んでるのか何なのか分からんですが、鬱ゲーを心の底から楽しんでたり、落ちる部分に面白さを見出してたりするんですが、多分普通はそんな事できないんですよ。それはストレスでしか無い。

 

特にデスゲームみたいに謳われてるものならまだいいのかもしれませんが、普通のエンタメ作品を買って過剰なストレスの発生するシーンが目白押しだと読む気が失せてしまう。

 

だから引きとして例えばラブコメなんかだと、1エピソードの最終ページに喧嘩のシーンを入れて、そこから次エピソード。もしくは数回のエピソードで仲直りしていくみたいにするのが普通だったけど、最近の流行に合わせて1エピソードで喧嘩から仲直りまでやるんじゃないかっていう。

 

そういう意味でいうと、ストレスによって落とす部分を作るとしても、それは素早く取り除いて上げる必要があるのかもしれませんね。となると連載ものほどストレス演出は慎重にやらないといけなさそう。

 

---

 

最後余談ですけど、早くまたストーリーに挑戦したいんですよね。

 

前回大失敗してから(恥ずかしくてブログに書いてないけど大失敗した)、物語構成について考えたり勉強したりしてきていて、後は実際に手を動かして経験値を溜めていく段階にはなっているんですが、どうしても余力がないという。

 

前回挑戦したときは金銭的余裕が正直あったので1,2ヶ月それに当てても問題なかったんですが、今はそういうわけじゃないからなぁ。

 

いや~目の前の問題から目を背けてしまうのは悪い癖だ。まず優先順位の高いことをやるようにしなければ……。

超能力の作り方

さっき、神と正常性バイアスって記事書いたんですけど、これを利用したら超能力作れるんじゃね?っていう考えです。

 

神と正常性バイアスの記事で書いたことを3行でまとめると

 

  1. 同一の思考を持った人間が
  2. 特定の入れ物に対して同じ考えを持つと
  3. 入れ物は力を保有し神となる

 

って話でした。意味わからないと思うので気になる人は記事読んでください。

 

これを踏まえて考えると、集団内で特定の人物で力をもたせることも可能ではないかっていう話です。

 

例えばですが、科学的にもIQが高い集団を集めた時、特定の人物にだけ「あなたがこの中でもっともIQが低いです」と伝えることで、集団内で活動した時その人物のIQを下げることができるというものがあります。

 

これは外部の思考によって特定の人物の能力を奪ったと言えます。

 

逆にリンク先の記事で書いてますが、ブラック企業の社長は社員から畏敬の念を集めたことで、普通の人間より強い発言力を有します。これは先程の研究とは違い、特定の人物に力を与えたと言えます。

 

つまり、神を作るのと同じ方法で、人間に力を与えたり、奪ったりすることができるということです。

 

その方法で例えばですが、小さな子供に指を鳴らすと目の前に日を発生させられるように誤認させます。(電子的装置を用意して、子供の指パッチンに合わせて影として動く人物が火をおこす)

 

そして指を鳴らすと火を起こせる能力があると信じる人を多く集めます。

 

そうすれば神を作るのと同じように同一の思考を束ねられているわけですから、その力によって超能力を発言させることができる。という飛躍考え遊びです。

 

言っちゃうと人間は音を出す、そしてスピーカーも音を出す。だからスピーカーは人間だ。みたいな、そういう考えの飛躍をさせる遊びなんですが、こういうこじつけは嘘が許される創作の世界なら説得力として機能したりするので面白いですよね。

 

こうしたトリックを用いた奇跡に信仰を集めて、人心を操るために利用するというのは現実にもありそうではありますが、超能力の作り方ではないわけで。タイトルに偽りあり案件ですね。

神と正常性バイアス

正常性バイアスってあるじゃないですか?

 

災害に陥った時、周りの人が平然としているからきっと安全なのだろうと判断したり、逆に周りがパニックに陥っているからこれは大変だと同じく焦ってしまうようなやつです

 

ということは、人間は他人の思考に影響を受けるし、同時に他人の思考に影響を与えるってことだと思うんですよ。

 

言い換えると他人の正しいと思うことに思考を矯正されるし、自分の正しいと思うことで他人の思考を矯正できるとも言えると思うわけです。もちろん人数差がありますから、後者よりも前者のほうがより大きな効力を持つわけですが。

 

そこでふと、神と正常性バイアスって似た話だなと思ったわけです。

 

例えばキリスト教、多くの信者を抱えているということはそれだけ、多くの同一の思考が存在するわけじゃないですか。

 

正常性バイアスの話を噛み砕くと、特定の集団はその集団内で最も多い思考に矯正される、いわば力が働くと言えるわけで。

 

つまり、多く存在する同一の思考は力を持つわけです。

 

神とはこの同一の思考を束ねるための器であって、力の置き場なんじゃないでしょうか。

 

そして力を集めた神は、それを使うだけで他人を同じ思考に染めることができる。なぜなら神は同一の思考の象徴であり、同一の思考は正常性バイアスの例が示すとおり、他人を同じ思考に矯正する力を持つためです。

 

まあ文章読むのが面倒くさい人向けに簡単にまとめると、

 

  • 正常性バイアスは噛み砕くと、集団内で最も多い思考に人が染まることを指す
  • 神は信者を抱えており、信者たちは同一の思考を持つ存在
  • 信者から同一の思考によって力を注がれる神は、正常性バイアスが示すとおり誰かの思考を矯正する力を持つ

 

って話です。

 

神は誰が作るのかといえば、他人の思考をコントロールしたい人間や集団でしょう。

 

文明とは多くの人間が一つの目的のために動くからこそ維持されるもので、思考がバラバラの人間を集めて好き勝手やらせたら共同体はいともたやすく崩壊してしまいますからね。

 

まあ、それは村や町、小規模であればあるほど思考の統一性の低さは影響出るわけですが、逆に言えば大きな街であればそこまでの問題は出ませんけど。家を建てるには人口の50%が必要…とかではなく、100人の目的を同じくした人間がいればいいだけですから。つまり割合ではなく絶対数が必要だから、小規模になるほど思考の統一性が低いことへの影響が出るって話です。

 

そういう意味でいうと神によって思考の統一をするのは小さな集団であるほど重要なことなのだと思います。

 

だから神話を始めとした伝説の類は、小規模な場ほど残っているようにも見えますね。

 

---

 

日本で神の話をしても信仰心は対してないので別の例えをすると、ブラック企業ってあるじゃないですか。

 

人を雇うってことを考えてみると、大抵の場合労働者のほうが行使できる法的権利って多いんですよね。

 

だから大抵、漫画になってしまうような想像しやすいブラック企業の社長って、訴えたらボロボロになってしまうような存在なんですよ。

 

でも大抵、数百人規模で社員がいてもだれも訴えない。

 

それは例えば誰かが社長への畏怖を抱いているからかもしれないし、尊敬の念を抱いているからかもしれない。

 

こうした環境は正常性バイアスによって自分自身も同じように畏怖だったり尊敬だったり、そんな気持ちを社長に抱く。

 

すると社長は理由もなく恐れられるし、尊敬されたりするんですよ。「あの人は怖い人だけど、凄い人なんだよ。あの人がいるから僕らは食べていけるんだよ」みたいな、恐怖と憧れが入り混じったような思考が、社員の中に蔓延していく。

 

この状態は神と同じなんですよ。

 

  • 社長は社員から同一の思考を注がれる。そうすると社長から出る言葉はより恐れられるし、より尊重されるようになる。
  • 神は信者から同一の思考を注がれる。そうすると神の言葉として表現されるものは、信者たちに大きな影響を与えることになる。

 

ほら、同じだ。

 

神のことはわからないかもしれないけど、人間社会に存在する序列を理解できないって人はいないでしょうから、同一の思考が持つ力は理解できるんじゃないでしょうか。

 

---

 

神はそもそもの始まりは誰かに手によって作られたものだと考えます。それが一番合理的だ。

 

しかしたとえ始まりがただの入れ物であったとしても、そこに信仰(つまり同一の思考)が集まり始めると、力が注がれることとなり、そうすると入れ物は力を持った存在、つまり神になる。

 

神は信者以外の思考を染め上げるために使われるかもしれないし、信者になにかの行動を強制されるために使われるかもしれない。

 

神とは大きな力ですから、神の言葉と伝えれば信者たちは他信者を殺すことや、同胞を殺すことだってするでしょうし、農作物を作ったり建物を建てることだってできるでしょう。

 

ブラック企業の社長を例に取ると、力を注がれるのは社長自身ですから、2代目にそれを受け渡すことは非常に難しいですが、神に注がれた力は何代先までも利用することができます。非常にシステマチックで美しい。

 

 

神として言葉を語るだけで多くの人間の思想に介入することができるって、凄い代物ですからね。いやはや、人間の考えることはいつだって面白いですね。

 

---

 

この文脈で考えていくと、神殺しに必要な素養は思考を染め上げられない力。正常性バイアスに逆らうことのできる力だといえますね。

 

災害が起きて誰も逃げない中、自分だけは危険と判断して逃げ出すとか。逆にみんなが混乱する中、自分だけ冷静にいるとか。

 

正常性バイアスの示すものは”正しさは伝染する”ってことです。

 

正しさというのは道徳・倫理観だったり、科学的・合理的な話などの観点で語ることではなく、人それぞれが持つ思考の偏りによって生じる答えでしょう。

 

例えば僕はこうやって、神は同一の思考によって色物に力を注がれて誕生する。みたいなことを正しいと考えていますが、他の人にはそうではなく神とはもっと超常的な存在である、という考え方が正しいというふうに思っている人もいるはずです。

 

”偏り”と表現すると、嫌悪感を抱くかもしれませんが、言い換えれば人間には優先順位や好きなもの、嫌いなものっていうのが色々とあって、そういった要素が手に入れた情報をどのように判断するか重み付けしていき、その結果が出力される。つまり、

 

  • 情報の判断基準 = 偏り
  • 出力された判断結果 = (当人にとっての)”正しさ”

 

ってことです。

 

だから正しさは伝染すると言えますし、神は沢山の人の正しさの集合体とも言えます。そして正しさは他人の思考を同じ正しさに染めようとする力を持ちます。

 

1対1の状況であれば拮抗しますが、1対10・1対100のように数に差が出るほど正しさが持つ思想を染め上げる力は強くなります。

 

神とは万単位、下手すれば奥単位の正しさの集合体であるため、それがもつ思想の矯正力はとんでもないものなのでしょう。

 

僕は協会に行って神父の話を聞いたことはないですし、神の代弁者として人類で最も大きな力を持つであろう、ローマ教皇の言葉を聞いたこともありません。

 

だから神の言葉によって思考を染められるというのはピンと来ませんが、体育会系に長くいる中で顧問によって暴力暴言にさらされ続ける日々を経験したことはありません。

 

そんな中で教師に口答えをするというのは大変な恐怖が伴ったことは覚えていますし、口答えができたのも同級生が反抗的な態度をとってくれていたからじゃないかとも思います。もし彼がおらず、顧問に従順な人で周りが固められていたとしたら逆らう気など一切起きなかったのではないかとも思います。

 

実体験として、束ねられた正しさが持つ力は理解できるわけで、神殺し。

 

つまり多くの正しさが注がれて力を持った人間に歯向かう、もしくは失脚させるというのは大きな勇気を振り絞れる、勇者や英雄と言われるたぐいの人間、もしくは感情機構がぶっ壊れていて崇拝もしなければ、恐怖もしない。

 

そんなぶっ壊れた人間にしかできないのだろうと思いました。

 

自分の知らない正しさを受け入れている人が起こす行動というのは、得てして理解しがたいものですし、だからこそ容易くそんな正しさ捨ててしまえと言っちゃうわけですが、当人にとっては捨て身。自分の全てを乖離見ないような屈強な精神が必要だったりするんですよね。

 

だから他人の正しさをコントロールするために、自分のための正しさを束ねてぶつけたりするわけですが。

 

ここまで考えてみると、神が多く存在する理由がわかるなぁって感じです。更に言うと八百万の神が存在するという日本は、誰かに自分の正しさを植え付けるために神というシステムを多く利用した国だと言えるかもしれませんね。

 

終わりに

 

長くなったのと、造語みたいなの多く使ったのでまとめましょう!

 

  • 正しさ = 人間の判断結果。人によって思考はバラバラなので、正しさも違う

 

今回の話でいちばん重要なポイントですね。

 

人間はそれぞれ自分の信じる”正しさ”があって、でもこの正しさは他人からの影響で割と変容するっていうのが軸にあります。

 

変容する根拠は正常性バイアスの存在ですね。単純に他人の話を聞いて考えを改めた経験って、多くの人にあると思うのでわざわざ心理学用語の一つ持ってくるほどのことでもない気がしますが。

 

---

 

  • 神(入れ物) = 他人の正しさをコントロールしたい個人や集団が作るもの。信者ができると神になる
  • 神 = 信者によって正しさが注がれた状態。より多くの正しさが注がれるほど神の力は大きくなる
  • 神の力 = 他人の正しさを矯正する、または信者になにかの行動を強要することができる

 

正常性バイアスが示すとおり、集団内で一番強く共有されている正しさは、少数派の正しさを矯正する力を持ってるんですよ。

 

だから多数の人間によって同一の正しさを注がれた存在、つまり神は同じように人の思想を矯正する力を持っているわけです。注がれた正しさと同じ方向に。

 

信者に対してなにかの行動を強要することは正常性バイアスからはわかりにくいですが、ブラック企業の社長あたりが事象としては同じケースであるって話は書いたと思うんで、なんとなく理解できるんじゃないかなっていう。

 

それでいうと人気者がより人気になるって構図も当然なんですよね。だって”好き”っていう正しさを注がれまくった人は、他人の思想を”好き”に変化させる力をより強く持つって言えるわけですから。

 

---

 

  • 神殺し = 他人の正しさに影響を受けない、もしくはその影響に抗うことのできる人

 

言葉にすると単純ですが、実際束ねられた正しさに逆らうことのできる人間って殆どいませんよ。いたとしたら精神異常者かサイコパスか……。人生に絶望しきった人間なんかもいけるかもしれませんね。なんにせよ普通の人間が勇気を振り絞って立ち向かうっていうのは、よっぽどのことがなければ起きなさそうです。

 

あとここでいう神殺しはブラック企業の社長とか、体育会系部活動の顧問、自衛隊の軍曹。いろんなものが当てはまるんですが、言葉のまま神を殺すとしたなら、神自体は実態がないものであるため非常に殺しにくい(物質的にも社会的にも)存在なんですよね。

 

一番手っ取り早いのは神に力を注ぐ存在であり、神から力を常に受けている信者たちの目の前で、神を模倣した何かを用意して破壊するとかですかね。

 

そういう意味でいうと取り回しが良いのは偶像を作っておくことでしょうね。そうすることで破壊して信仰を消去することができる。

 

そう考えていくと偶像崇拝を禁止することの正当性凄いですね。偶像をそもそも作らせなければ抽象的存在でしか神はないので、物質的に殺すことができない。そうなると非常に信仰の消去が難しくなる。

 

つまり偶像崇拝を禁止しておけばその信仰は神殺しされなくなると言っても良いわけです。

 

まあ偶像を使えれば信仰の形をより明確にできて色々とやりやすくなるでしょうから良し悪しなんでしょうけど。 

---

 

結局、何が言いたかったといえば”思想が持つ力”をもっと認識したほうが良いかもなぁって話です。

 

狂信者って言葉が生まれる程度には、信心によって人間を狂わせることができるってことですから、正しさを束ねたときの力を舐めてはいけないっていう。

 

割と反骨精神が強い方の人間だと思うので、人気のものに飛びつくとか、権威的な人間になびくとか、そういうの少ない方で、だからこそあんまり集団心理みたいなの存在自体は分かっていたけど心から理解できているかと言うと微妙だったんですよね。

 

でも今回、神と正常性バイアスって観点から思想の力、まあ正しさと表現していたものの効力を考えきってみて、なるほど凄まじいモノだなと思えまして。

 

ネット社会で生きるものとして、自分により大きな力を持たせるためにはどうしたらいいかを考える上で一つの助けになるかなと思い、今大体4800文字ぐらいですが、それぐらい長々と思考整理も兼ねて書いたわけです。

 

というわけで疲れたので終わり!

めっちゃ中二病患者な話ししていいか?

Give a reasonって曲がありまして、その歌詞にすごい共感するって話を聞いたんですね。

 

確かにかっこいい曲だなと思うんですが、僕の場合共感ではなく憧れに近い感覚なんですよ。なんていうかこんだけエネルギッシュでハングリーな心持ちかっこいいなというか、けして強くないけれど恐れず進むというのか、みたいな。

 

それでふと自分が共感できる曲なんだろうなと1オタクが考えたらこれだったんですよ。

 

www.youtube.com

 

いや、まじでいてぇ。this gameはマジでいてぇ。

 

そういう自覚というは、笑われそうな被害妄想じみた感覚があるわけですが、感情論として共感するものは共感するんだからしょうがないよねっていう。

 

例えば歌詞冒頭の

 

回り続ける

歯車には成り下がらない

 

とか、そうなんだよなとしかならないわけですよ。

 

ぬるい平穏を ばっさり切り捨てて

栄光への階段に 存在刻むんだ

 

これとかもそうですよね。こういう気持ちがあるからこそ中学生から大学生までスポーツ推薦で上がっていったし、今だって自営業してるわけですよ。歯車では到底なれないような自由でいて、誰にも従わない、それでいて英雄のように讃えられる存在を目指し続けているわけです。

 

どんな理不尽 襲おうとも

勝てばいいだけの話だろう

 

これもいいですよね。

まあ、ここに関しては難題に挑む前は間違いなくこういう気持ちだけど、何度も理不尽や苦難に直面するたびに自信が削がれていって、少しずつ『勝てばいいだけの話だろう』という覚悟は摩耗していくわけですが。

 

そんな感じの話でした。

 

それじゃあ動画制作に戻りますかね、最終的に勝てばよかろうなのだぁあ。の精神。いや、というより、最終的に勝てなかったら何もよくないから勝たなきゃいけないと言うべきなのだろうか。