INTP型のブログ

苦味があるな?

誰がやっているかの”誰”ってなに?

昨今の配信業界は『誰がやっているか』の傾向が強くなってきていて、優れた技術の提供より気に入った人間の動画を見たいという人が多い、わかりやすく言えば需要が高いように見えます。

 

例えばプロゲーマーとして最前線で活躍する人よりも、単純に人柄が評価されているタイプの人間のほうが視聴される傾向にあるって話です。

 

ただこれは技術の評価軸がなくなったというわけではなく、プロゲーマーはプロゲーマーで間違いなく需要はあるけれど、その需要規模は気に入った人間のプレイ動画と比べると小さい傾向にあるよねってことです。

 

つまり誰がやっているかが評価軸として強力だと言うことなんですが、ここで考えるべきは”誰が”のこの誰がはどのように選んでいるのかって話です。

 

人柄やコンテンツ力と一言で言えば簡単ではありますが、それだけではないと思います。

 

Vtuber業界では流行の先駆けとなったキズナアイやミライアカリと言った人物が当初こそ大きな人気を誇っていましたが、現在では動画系ではなく配信系をベースにしたVtuberが成功を収めており、この差が人柄やコンテンツ力のみで発生したとは考えにくいと思っています。

 

なにせ一時的とはいえ時代の流れを掴んでいた人間が人柄としての魅力を持っていなかったかと言われたら違うと思うし、コンテンツの質自体も企業がやっているだけあって綺麗にまとまっていると感じます。

 

この双方の差は”距離感”であり、これこそが誰がやっているかの”誰が”を選ぶ上で強く作用しているのではないかと思うわけです。

 

そもそも人間が人間を気にいる時の一番の要素は『どれだけ一緒の時間を過ごしたか』に尽きます。もちろん面白いとか声が綺麗とか、そういった軸もあるんですが、そういった技術軸以上に共通の時間を過ごすというウェイトが大きいと科学的にも言われます。

 

もし技術軸が大きなウェイトを占めるのであれば、より高い技術を持つプロゲーマーや新規参入してきた芸能人が軽々上を行くだろうに、実際は昔から長くやってきている配信者の雑談枠のほうが人を集めているわけですから。

 

つまりここでいう距離感とは『視聴者が配信者(もしくは投稿者)と同じ時間を、どれだけ過ごしていると感じさせられるか』だと思うわけです。

 

そのため単純に長い時間を稼げる配信という形のほうがファンを獲得するという意味では強力になるでしょう。

 

視聴者と配信者が同じ時間を過ごしていると感じるためにはどれだけ問いかけがあるかに尽きると思います。※この辺は合コンにて最も印象に残ったと言われる人の特徴はなにかという研究にて、質問の回数が多かった人というのが出てくるのも根拠足り得ると思う。

 

コピーライティングでも基本的技術ではありますが、心に引っかかりを持たせるためには”あなた”というワードを使うようにしますし、なんなら固有名を使えるなら名前を直接呼ぶようにします。他、クリック率の高い訴求分は大抵の場合文末にクエスチョンマークが付く形だったりしますし、それだけ問いかけは視聴者の心に刺激を与える作用があります。

 

視聴者が配信者と同じ時間を過ごしていると感じるのはどんな場面かといえば、究極的には「自分の名前を呼び、さらには自分専用の質問をしてくる」でしょう。例えば僕にするのであれば「ニゲェさん、最近サイトの方は調子どうですか?」が最も共通の時間を過ごしていると意識させられる言葉だと思います。

 

最近悪名高き西野氏いわく、チケットは手売りしたほうが最終的な効率は良いということで、それだけ距離感を近くすることで誰がやっているかの”誰が”を自分にすることができるのだと思います。

 

ただ配信に限って言うと、コメントの名前を全部読むのはファン数が少ない頃ぐらいで、大手の場合は逆に下手に読むと嫉妬を煽ってしまったり、色々問題が起きるケースのが多そうではあるので、ざっくりと集団と対話をするという形をイメージしているようには見えますけど。

 

「うぇええ…そんなファンサ面倒くさいわ…」

 

と思う僕みたいな人は別の評価軸を活用するしかないわけで、そうなると技術軸がベースになりますし、技術軸がベースになるということはそれだけ高い能力が必要にはなります。

 

ぶっちゃけネットの世界で技術軸で戦うというのは全国大会どころか世界大会レベルで競い合うことになりますし、なんなら相手は技術軸だけでなく誰が軸でもファンを集めてくるわけですから、やはりしんどいことになるとは思います。

 

これを打破させてくれる要素がSEO(検索軸での戦い)だったのだけど、検索軸はほとんど技術軸 + 誰が軸みたいなのになってしまっているから、結局は技術を磨くかファンサしまくって人集めるかの2択みたいな状況になっているような気はします。

重宝されるスキル

1.リーダー系

 

人権や倫理観の向上によって管理職の立ち位置のハードルがどんどん上がっているので、人をまとめる能力が高かったり、単純にリーダー格の仕事をしたいという人の需要が伸びる。

 

簡単に言えば絶滅危惧種の動物と、ただの動物。どちらが育てるとなったときにハードルが高いかという話で、管理する対象のもつ権利が高ければ高いほど管理職の忙しさが向上するという話。

 

また特性的に管理職タイプが枯渇する職業も多いので、そういった場所のリーダー系の需要は更に伸びる。

 

例えば後述する技術系はフォーカスが自分に向いているタイプが多く、複数人での活動を前提に戦略を組み立てるのは不得手なことが多いので、それを加味すると獲得難易度の高いジャンルほどリーダーとして立ち回れる人間は少ない傾向にあると考えられる。

 

2.技術系

 

昔で言えば士業の類がここに当てはまる。

 

極まった技術や知識を要すれば食べていける職業も多いけれど、時代の流れでいうとAI技術を駆使して少しずつ難しいことを機械で代替していこうというフェーズなので、超長期的に考えれば弱くなっていくスキルではあると思う。

 

とはいえ超長期的というのは数百年規模だと個人的には考えているので、今これを読んでいる人の生涯で考えるとそこまで危惧しなくても大丈夫だとは思う。多分。

 

3.マーケター系

 

いつの時代も食うに困らないタイプだとは思う。

 

特に先進国はモノも情報も溢れかえっているので、選ぶよりも最適なものをおすすめされたいし、選ぶのだとしたらわかりやすく自分の心に響くものを選びたいと思うもの。

 

マーケター系は特定モノをより強力にアピールする技術なので、物質的・情報的豊かさが失われない限りは重宝するスキル。もっというと隕石が落ちてきて原始時代になったとしても、売り込む能力自体は競合が存在する限り不滅ではある。

 

4.イノベーター系

 

とにかく時代の流れを先取りして、パイオニアとして成功するやつ。

 

これは百発百中というのは無理なので、大きな流れを見極めつつ、その中で次来やすそうなのってどれだろうと抽象的に捉え、それに当てはまるやつにひたすら乗っかり続けるみたいな感じになりそう。

 

こういうトレンド的考え方だけじゃなく、任天堂のような古い技術の掛け合わせで新技術を生み出すなんてのもここに入りそうではある。

 

ちなみにどの本だったか忘れたんだけど、2000年以降生き残り続けている新規企業の殆どは、それまで存在しなかったモノやサービスを扱っているらしい。まあ存在しなかったと言っても、それは新技術という意味ではなく、大抵は切り口が新しいという意味ではあると思うけど。

 

5.投資系

 

次来る企業に金を注ぎ込んだら儲かる。

 

未来予測の多くは当たらないので、リスクヘッジをしつつ多く張るというのが強い……らしい。

 

もちろん株式で言えば買うべきではないと言われる一度に大金を動かすタイプの業種には触れないとか、そういう最低限の考え方はあるだろうけど、大きく言えば多く張るというのが確率的には強い。(大金を動かす業種は一時的に大きな借金を抱えることになるので、不渡りや赤字を出してしまった時の倒産リスクが高い)

 

上がる株式は数倍、数十倍に膨れ上がるものだし、なにより上がる株式を保有していた場合、強く立ち回れるだろうし。

 

6.トレード系

 

輸入とか転売とか。

 

日本は先進国の中でも英語アレルギーみたいな人が多いと思うので、そういう意味では輸入は強いかもしれない。

 

トレード系は言ってしまうと特定の場所に存在しないものを別の場所から持ってくるという形態なので、英語圏の情報を発信するというのもここに当てはまると思う。

 

在庫を抱えるビジネスは資本がないのであれば触らないのが吉なので、それでいうと情報を英語の書籍やサイトから引っ張ってくるというムーブが強いかもしれない。

 

見せる相手大事←わかり味が深い

r25.jp

 

あと今思うと、僕が独学でも続けられたのは“披露する場”があったからですね。

 

実はテックキャンプも、1日のなかに学習進捗や制作物を受講生同士でアウトプットする時間を設けているんです。

 

めっちゃ大事ですね。しかも、アウトプットが受講生同士なのがいい。

 

見せる相手って超重要なんです。

僕はお笑いライブだから披露できましたけど、もし「エンジニアが集まる会」だったら、あのレベルじゃ恥ずかしくて見せられなかった。

 

だから、プログラミングに限らず新しいことに挑戦するときは、“完璧じゃない自分の作品を出せる場”を持つことで成長速度が変わると思うんです。

 

楽しくモノづくりを続けるには、完璧なものに固執しないでまずは肩の力を抜いてアウトプットしてみることが一番大切なんじゃないですかね。

 

見せる相手は本当大事だよなぁと思う。

 

大抵のことってモチベーションが持続するかどうか次第なんですよ。だから完成させたものを誰かに見せた時「ここ、こうしたほうがいいよ」とか「そこはこうじゃないかな?」とか、アドバイスを貰うよりただただ「うわ、まじでこれ作ったの!?すごくね!?」みたいな、褒められるってことのほうが百億倍ぐらい価値あるんですよ。

 

だから初心者のうちから完成品をプロに見せてアドバイスを貰うのは実のところ悪手なんですよ。ある程度実力がついてから、よりよい技術が欲しいと思ったときに見せればいい。

 

初心者がどんだけ凄いと思った完成品であっても、プロからすればゴミカスみたいなものだったりするわけで、やっぱいくらでもアドバイスしたくなっちゃうし、良かれと思って実際にしちゃうんですよ。でもそうやって修正点を指摘されるほど恥ずかしいというか、なんだかやる気が無くなるのが人間ってもんです。

 

例えばですけどカラオケで歌ってて、横から「半音高いよ」「今度は低すぎるね」とか言われたらやる気なくなるでしょ。体育の時間に一生懸命ボール追っかけてたらサッカー部から「ボールに張り付いてもあんまり意味ないよ」と一言言われたら、二度とボールに近づかなくなっちゃうでしょ。

 

これ難しいのが初心者視点でもプロに評価してもらったほうがいいって心理が働くところなんですよね。で、実際にプロに評価してもらって修正点がボロボロ出てくるとなんだかどうでも良くなってしまうという。

 

だから見せるのは『田舎のなんでも凄い凄い言ってくれるおばあちゃんぐらい評価のゆるい人』がベストなんですよね。じゃないと普通の人間はほぼ続かなくなるんで。

 

ただそういう人を見つけるのも難しいですから、それでいうと同業じゃない人や同じ初心者に見せるっていうのが一番コスパいいんですよ。

 

同じ初心者はボロボロ修正点見つけないでしょうし、同業じゃない人はただただ凄いって言ってくれる人が多い。例えば僕は絵が描けないのでイラストをアップしてる人を見るだけで「すげぇ」ってなりますけど、絵を描いてる人同士で見たらもしかしたらその人は厳しい批判にあうのかもしれない。

 

そう考えていくと、市場にとっとと出すのも一つの手ですよね。

 

WordPressの環境設定なんて僕からすると誰でもできる作業だろと思うんですけど、知らない人からすると把握すること多すぎて面倒くさい作業なわけで、だからこそそういう人は数千数万払ってもやってほしいし、やってもらったらまともな人なら「ありがとう」の一言ぐらい言ってくれるもんですよ。

 

DLsiteとか、ぶっちゃけトップクラスの絵師からすると落書きみたいなイラストを販売してる人も居ますけど、内容がいいとかこの絵がいいんだよとか、そう言って応援してくれる人がついてたりするわけで、だから絵描き同士とか専門家同士で作品を見せ合うよりとっとと専門じゃない人や、それが出来ないけど求めてるって人たちに提供したほうが楽しいし自分のためになります。

 

ほとんどの失敗の原因なんて三日坊主なんですから、初期に見せる相手を間違えないっていうのはある意味、一番成功するために必要なノウハウなのやもしれんすね。

技術は暗記だと~~~~!!!!!!

togetter.com

 

この講義のまとめの冒頭は

 

  • 漢字の暗記練習はするけど、絵の暗記練習はしない。暗記してないからすぐに書けなくてモチベーションが上がらない

 

っていう感じの話から入っていて、重要なのはモチベーションが上がらないという部分なんですよね。

 

言ってしまうと、別に絵の暗記しなくても必要な資料を用意して、素早くそれを引っ張り出せる環境を作っておけば別に問題ないわけですよ。例えば動物フォルダを用意して、そこに画像を入れ込んで、あとは必要なときに検索をかければヒットするみたいな状況を作る。

 

もっと高速にやりたいならアプリケーションにして、より素早く引っ張り出せるようにする。

 

そうすればそれなりに高速に資料を用意して描けるわけですから、暗記の必要はないと言えるんですけど、でもそれじゃモチベーションが上がらないんですよね。

 

僕は今この文章を思いついたがままに書いてますけど、これをいちいちこういうことを伝えたいのであれば文章タイプAが適切だから、まずは文章タイプAのファイルを開いて確認して、それを伝えたい文章に組み替えて…なんてやるのであればまあ書きませんよ、めんどくさくて。

 

言ってしまえば自分の尊敬する作家、僕だったら谷川流氏みたいな地の文を何も考えずに手癖でかけたらめちゃくちゃ楽しいだろうなと思うわけで、じゃあ何も考えずに書くためには暗記するという肯定が必要にはなってきちゃうんですよね。

 

暗記?必要ないやろ」っていう派閥だったんですけど、たしかにこの講師の方が言う通りモチベーションっていう視点から考えると暗記必要かもしれないなと思いました。

 

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ただモチベーションが続いたものが得意になるは簡単にし過ぎなのではと思ったり。まあある程度間違いないことではあるんですけども。

 

前に生存バイアスという逃げ道で書きましたけど、「モチベーションが続いたものが得意になる」は生存バイアスと言えるんですけど、でも世の中の人の苦手が大抵試行回数少なすぎっていうのも正しくはありますからね。

 

ただずっこいのは「植物を育てた人に話を聞いたらそれがなんの植物かすら知らなかったんですよ」を文脈の中に組み込んでることですよ。

 

育て方を考える力と、モチベーションを保つ力はまた別の話であって、そこをひとまとめにしちゃうのはどうなんだという。

 

まあでも個人的考えで言えば、ほとんどの人に必要なのはモチベーションというか続ける力だし、ある程度の戦略は続けていくうちに嫌でも思いつくだろうし、教えるという観点から言えば単純化したほうが響きやすいというのも間違いないので、この講師の人が有能という証左でもあるような気がしますが。

 

いやしかし暗記とモチベーションって観点はすごいなぁ。言われてみたら確かにって感じだけど、言われなかったら全然思いもしなかったわ。むしろアンチ暗記勢だったぐらいだし。

 

追記:

 

はてブコメント見たけど、なんの根拠もなくとりあえず受け取り拒否してるやつがいるのなんなん。自分は騙されないぞと思ってるのかもしれないけど、仮にお前が騙されないんだとしたらそれは信じるって選択をそもそもしてないからやろ。99%信じない、1%信じるってスタイルをやってるやつが自分は騙されないと思ってるんだとしたら笑い話でしかないわ。

 

どうせ他人の嘘なんてバッチリ準備されたら見抜くことなんて極めて難しいんだから、信じる姿勢で生きるか信じない姿勢で生きるかの2択でしかないんだわ。(一応言っとくけどリスクヘッジをもとに考えるとかはまた別だぞ)

 

もしも自分は騙されない人間だと思ってるんだとしたら、それはそもそも信じることで発生するリスクをとってきていない人間ってだけだろ。アホらしい。

 

もっというと「サロンっぽい…」とか雰囲気で疑ってるやつとか無茶苦茶カモだからな。雰囲気さえ用意すれば詐欺商材だって買ってくれるんだからな。芸能人が紹介した健康食品だったら安全だと思って買ってしまうやつと同じ穴の狢やぞ。どうせVtuberやアニメキャラが宣伝したら手のひら返して似たようなもん買うんやろ。

優しいと謙るは違うんだよなぁ

巷で想定されている優しい人っていうのは、なんていうかヘコヘコ頭下げたり、誰にでも敬語を使うみたいな気を使う人のことではないんだよな。

 

ここで言われる優しいっていうのは他人のために自分のリソースを削れるか否かだと思うんだよ。

 

言動が謙虚というか、優男に分類されるものではなく、体育会系の先輩が「飯おごるぜ、食ってけよ!」みたいな、金や時間や体力を削ってでも相手に与えることが優しい人に内包されるもので、謙虚な人間のことじゃないんだよな。

 

こういった与える優しさの難しい所はおせっかいと紙一重のところなんだよ。

 

例えばだけど、ニートに仕事紹介しようかという人や、恋人のいないアラサーに相手探してやろうかみたいに言う人は、言い方やタイミング、受け取り方次第でおせっかいにも優しい人にもなり得てしまう。

 

優しいやつっていうのは言動がどうとか風体がどうとか、そういう部分で判断するのは違う。身を削ってるかどうかなんだよ。

 

インターネットでSNSとにらめっこしながら御意見番してるやつより、献血行ったりボランティア行ったり、そういうやつのほうが実際近くの存在として観測した時、おそらくだけど優しいって感じるんだよな。

 

もちろん人間だから、方向性を失敗してありがた迷惑をかますこともあり得るだろうけど、それは優しいと馬鹿が組み合わさったからであって、その本質的問題は他者への干渉意欲ではなく頭が悪いこと。優しい事自体は良い特性だと思うんだよ。

 

ネットの意見を見ていると、優しい人を求めると同時におせっかい焼きを忌み嫌ってるように見えるんだけど、それは他人にパーフェクトな干渉を求めてる、自分の考えを察してもらってベストなリソース提供をしてほしいと言ってるように見えてしまう。

 

優しい人っていうのは何度断られようがしつこく「○○食べるか?」というおばあちゃんのような、おせっかいも焼くような人物であることが大概なんだよ。そりゃあベストな提供だけをし続けられる、プロ執事みたいな人間もいるかも知れないけど、そんなん全人口の数%とかで数百人と会えばちらほらいるかもねぐらいの話だろう。

 

おせっかい焼きと優しい人はほとんど同義なんだよ。

 

だけどおせっかい焼きはうざいから、なんとなく優しい雰囲気っぽい謙虚な人間に近づいて、なんていうか思ってたんと違うってなるんだよな。謙虚な人間はむしろ他人との関わり合いを極力避けたいがゆえに、低カロリーな対話に徹底するみたいな人が多いから、むしろ想定されてる優しい人とは対極の存在なのにな。

 

なんていうか優しいけど鬱陶しいおせっかいは焼かないって人は、オタクに優しいギャルとか、街一番の美女だけど異性経験全く無いとか、大金持ちなのに愛人いないし浮気欲もないとか、ナンパな男でイケメンだけど付き合ってからは他のやつに目移りしないとか。

 

別に居ないわけじゃないけど、特定の属性とは相性の悪い属性がくっつくっていうレアケースなんだよな。

 

まあいないなら作ってしまえばいいっていうのが伝統教育の流れだったりするわけだけど、それも崩壊した現代においてはまじで希少ケースになってると思うわ。

 

しかもそれだけじゃなく、良い属性とセットで存在する悪い属性を徹底的に叩くもんだから、悪い属性も少なくなるけど同時に良い属性も無くなっていくわけよ。

 

さとり世代みたいな言葉が生まれてたりしたけど、あれも結局の所悪い属性を叩いた結果良い属性も無くなっていき、最終的に虚無みたいな悪いところもなければ良いところもない、毒にも薬にもならないみたいな人間が生まれた結果なんじゃないかな。

 

世の中いいとこ取りをするのは不可能ではないけれど、おせっかいを焼かないけど優しさは持ち合わせてるみたいな凄いことができるタイプが数少ないのは間違いない話で、大抵少なくて有能なやつは一般人からは観測できないようなコミュニティにいるもんなんよ。

 

何が言いたいかといえば、世の中いいとこ取りは難しいってことですわな。

自信と魅力と信憑性

そもそも自信とは何か?

 

これを言語化するのであれば、

 

自分の能力が物事に対してどれぐらいのレベルなのか主観的に捉えて判断した結果

 

だと思うんですよ。

 

例えば僕は歌うのが嫌いなんですけど、これは小さい頃音痴と言われたことやカラオケの採点で平均より下だったりするから、「下手なことはしたくねぇ…」という思いがあるからだったりします。(単純に人前で歌うのが嫌ってだけでもあるけど)

 

これはつまるところ自分の能力(歌唱力)が、物事に対して(歌うことに対して)低い水準を示しているから自信がなくて嫌いってことなんですよね。

 

勉強嫌いな人なんかもこれで、テストの点数が低かったから自信持てなくて嫌いになる。運動嫌いな人も体育の授業で周りが普通にやってることが出来ないから恥ずかしくて嫌いになったりしています。

 

だから自信とは自分の能力の評価と、物事の平均値がどれぐらいにあるのかで決まってくると思うんですよ。

 

ゴールド免許持っていて、毎日のように運転している父はそれなりに自信を持って運転しているし、運転自体も好きです。でも首都高を走る時になると一気に自信を失って、恐怖心を持ちながら運転するんですよ。

 

これは自分の能力なら田舎の一般道や高速道は平気だけど、首都高という細いし入り組んでるし速度感半端ないし、そんな場所だと能力が水準に届いてないから自信が持てないってことなんです。

 

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一般的に自信に満ち溢れている人のほうが魅力的だし信用できるんですよ。

 

まあこんな辺鄙な場所にまで情報を求めに来ているあなたは当てはまらないかもしれませんが、言い切る形というのは強いです。そしてそれは自信がなきゃ出来ません。

 

news.yahoo.co.jp

 

俺みたいなあまり賢くない人間は、単純な結論付けを言い切っている人の話が分かりやすく入ってくるんだよな

 

っていう言葉もありますし、断言するというのは魅力の一つです。オリンピックの意気込みで「できたら金メダル…いや表彰台ぐらいはいけたらいいですね」と言う人より「金メダル取ります」と断言する人のほうが魅力的に見えちゃうものなんですよ。

 

 

 パイロットの学習曲線、ダニング・クルーガー効果とも言いますけど、これを踏まえると浅学のときのほうが下手に学んだときより自信を持てて、何も知らない人からすると魅力的に見えてしまう現象が発生することがわかります。

 

他には『うつ病傾向にある人ほど自分の能力を客観的に評価できている』なんて話もありますし、自分の能力の正当な評価は時として逆効果になる場合もあるんだろうなと。

 

まあもちろん、自分の能力を過大評価して後先考えず事業拡大&事業拡大みたいなことをしたり、先行投資に金をモリモリかけて自爆したり、そういうことも有り得そうですが、金が絡まなければ正しいことが最良であるとは限らないんだろうなという。

生存バイアスという逃げ道

r25.jp

 

簡単に読み解くと「できるまでやったらいつかできる、出来ない(もしくは出来なかった)というのは人生が終わってようやく言える」という感じになるので、はてブコメントみたいに『生存バイアス』とか『渋谷のファミレスで聞こえてきそう』とか言われるのはまあ分かるんですよ。

 

実際、探せば長期的活動を続けてきて鳴かず飛ばずなんて人はそれなりにいるわけで。しかもその人達には人生があるわけだから、死ぬまで鳴かず飛ばずかもしれないという不安を抱えながらやり続ける恐怖もあるわけで。できるまでと一言で言えば簡単だけど、10年上手くいかなかったときの絶望感というのは僕自身、実体験を通じてなんとなく分かる話だなとは思うんですよ。

 

ただ、ただですよ。

 

「失敗=結果を出すまでのプロセス」という真実に気づけばいい。

 

これは確かにとも思います。

 

単純な考え方として、期待値的に考えた時、

 

  1. じゃんけん、参加費100円
  2. 負けたら参加費没収
  3. 買ったら賞金300円

 

というものがあったなら、長期的に見たら参加すればするほど儲かるわけじゃないですか。

 

でもですよ、50回とか100回とか、確率の収束の詳しいことは分からんのであれですが、短期的に見たら下ぶれてマイナスになることだってあるわけじゃないですか。

 

これはあらゆることに言えて、なにかの活動が花開くためにはそれなりの試行回数が必要なんですよ。

 

そして成功のためにそれなりの試行回数が必要ということは、短期的に見たら失敗の連続が待っているかもしれないということでもあります。

 

ただこれをポジティブに捉えたら、必要な回数失敗したら多くの場合成功するとも言えます。まあそれが人生80年、その間に訪れるかどうかはやり方だったり能力だったりに依存はしますけど。だから多くの場合ではありますし、それこそが生存バイアスと表現されるわけでもあります、

 

誰しも徒労は嫌じゃないですか。

 

冒頭に挙げた記事ではナンパを例として出してましたけど――現代社会の倫理観としてどうなのかとかは置いといて――50人に話しかけて全員から無視されたり拒絶されたり罵倒されたり、まあ失礼なことをしている以上仕方のないことではあるのですが、50人もの人間から不快感を示されたら、まっとうな人間は心が病むでしょうし、実際にそういう体験がなくてもそんな経験をしたくないと思うのが当たり前だと思います。

 

でも50人に話しかけるのが仕事だとしたらやるのが人間なんですよ。実際、訪問販売も似たような経験しますし、NHKの集金をやってる人なんてナンパどころじゃなく精神的にいじめられてますよ。でもそれが仕事だから、やったらお金が手に入るからやるんですよ。

 

これは大義名分があれば精神的ダメージを無視できるって話かもしれませんが、それだけじゃなく報酬が手に入る確約があれば失敗にチャレンジはいくらでも出来ちゃうものってことなんですよ。

 

だから失敗が嫌ということじゃなく、徒労が嫌なんですよね。

 

で、冒頭の記事のいいところは

 

世の中のほとんどの人は、“ハードル設定”が致命的に下手

 

これを提言しているところだと思っています。

 

『やるからには結果出す』みたいなことを夢想して、ナンパをするんだったら最初から恋人を作るところをゴールにするし、ゲームを作るんだったら最初からドラゴンクエストみたいなRPGを作ろうとするし、ダイエットするなら1ヶ月で1kg減とかじゃなくいきなりモデルみたいな体重になろうと減量期ボクサーみたいなことをし始める。

 

そして3日後には自分の設定したハードルの高さを前にして「なんか面倒くさくなっちゃったなぁ」こう思うわけです。

 

NHKの集金人はやってれば優しいおばあちゃんとかが「払おうと思ってたんだけど振り込み方がわかんなくてねぇ、いつも来てくれてありがとうねぇ」とか言ってくれたりするんですよ。大義名分がなきゃやりたくなかった集金作業は、ハードルを乗り越えたことで成功体験を経て、失敗も「ここは駄目だったけど次は成功するかな」みたいな気持ちでできるようになります。

 

つまりハードルは低かろうが、一度越えてしまえばそれは大きな財産になっていくんです。

 

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冒頭の記事が挙げているものは一言で言えば『できるまでやればいい』に思えるかもしれませんが、実際の所はもっと科学的な、人間の本能をちゃんと理解した上で人生設計しようぜという話なんですよね。

 

簡単にチャートを組むなら

 

  1. 低ハードルのチャレンジを繰り返し自己効力感および、人間の報酬系を刺激する
  2. 成功体験が増えてきたら、失敗をしても徒労感が減る(いずれ成功できると信じられる)
  3. この状態まで来たら心理的に実際に続けられる状態になる

 

 

まあ問題点として、挑戦する心理状態になったとしても生存バイアスというか、能力的・戦略的に届かないということも起きえるでしょうが、この記事が言ってるのは「そもそもほとんどのやつは成功したい、何かを得たいと思いながらも徒労を嫌がって全然何もしないよね、それって続ける方法がわかってないからだよね」ってことですよ。

 

そしてこうした話は自己効力感や報酬機能、セルフコントロール能力など、科学的分野で成功するために必要な能力ってなんだろうを考えた時、よく出てくるキーワードに連なったことでもあるわけです。

 

挑戦したら必ず成功するわけじゃないのは当たり前の話で、だからこそ試行回数が必要なわけですし、とはいってもどれだけ挑戦数を増やしてもなんにもならない可能性はありえますが、確率的にはぶっちゃけなし得ないことの主原因は続けられないことではあると思うって趣旨の記事じゃないですか。

 

実際の主原因が何なのかを科学的に論ずることは僕には出来ませけど、主観としてSEOを誰かに教えた時成功しなかった原因は1週間も立たずやめたからが100%を占めてますし、セルフコントロール能力が現代で必要なスキルと言われている背景を察したら大枠で見てもそうなのだろうと思います。

 

  • 成功する思考方法は何度も挑戦すること

 

に対して、

 

  • いやいや生存バイアスでしょ

 

って批判は正論ですが、正論だからこそ厄介なものだと思うんですよ。

 

成功した人を見てあいつは特別だから、自分は普通の人だから、運が良かっただけじゃんとか。全部否定はできないものなんだけど、だからこそ厄介すぎる。

 

生存バイアスを逃げ道にしたら無限に逃げ続けられちゃうんですよ。だって正しいから。正論だから。

 

でもそうやって生存バイアスという言葉が大手を振るほど、諦めたり投げ出したりする人が増えていく。だって正しくまっとうに逃げられるなら逃げますよ、そりゃ。

 

誰だって徒労かもしれないことはしたくないし、ツライことだってしたくない。そこに口実があったら飛びつくに決まってる「どうせ無理だったんだから諦めてよかった」とすっぱい葡萄と眺めるが如き人生を送る。

 

しかしそうやって生存バイアスを逃げ道にするほど、人生がうまくいかない理由は生存バイアスではなく、続けられないこと・そもそも挑戦しないことにすり替わっていく

 

人生は有限だし、大人になれば仕事だ人間関係だと使える時間は少なくなっていくし、加齢に対する焦りだって生まれてくる。だから色んなものに手を出すのではなく、むしろ諦めることを増やしていくのが大人になることだと言えるかもしれません。

 

でも生存バイアスという正論に酔って、本当は欲しかったものを諦めたことこそが正しかったのだと斜に構えた姿勢が、僕にはとてもダサくてナンセンスに見えてしまいます。

 

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まあ熱さだけではなく、リスクヘッジ。例えばいきなり「起業します!」と法人格作って、人をバシバシ雇って、大規模受注をしまくって、不渡りのリスクを考えず規模拡大をしまくるのは愚か者ではありますが、人生が破綻しない程度のリスクであれば挑戦することも一考なのではと思うわけです。

 

マイクロソフトだったかな?あそこの起業メンバーは大学の頃に活動を始めて、普通にいいとこの内定をとっていたけど、卒業間近相当にでかくなったから独立したなんて話があります。…いや企業名は定かじゃないのだけど、実際上手くいってる人って意外とリスクを限りなく低くしてる傾向にあるんですよ。

 

やるやらないの話とリスク管理をどうするかは全く別の話なので、そこは分けて考えたほうがいいでしょうね。『やるなら全力』みたいな言葉はキャッチーですけど、『やるなら最低限』のが何かを始める時は念頭に置いといたほうが良い言葉です。

 

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なんでこの記事書いたかといえば、斜に構えたコメントを見てたら気色が悪くてしょうがなかったからです。ぜってーGACKTがビジネス系でうさんくさいし庶民の敵っぽいからで叩いてるだろ。

 

そりゃ嫌いな人間はいるでしょうし、GACKTが嫌いだから叩いているってんなら別にいいですけど、そうじゃなくてさも『客観的な視点としてこの発言はおかしいです』みたいに言ってるやつが散見されて、それが吐き気をもよおすほど気持ち悪くてしょうがないのです。

 

なにより苛立った理由は、最近FPSゲームにドハマリしている友人の行動パターンそのまま過ぎたせいだったりしますが。

 

このゲームで食いてぇと言って相当に上手くなって、アジア4桁位ぐらいまで来たとかいうもんだから、じゃあそろそろ動画やり始めたら?みたいに提案したら「まだまだ下手だから無理」だとかほざいて言い訳ばっか。アジア3桁に入ったら始めようかななんて言葉を付け足して。

 

いやいやFPSもeスポーツとある通り年齢との戦いの場であって、しかもFPSだぞ。仮にアジア3桁になったとしてお前の動画の訴求点は何?『アジア3桁ゲーマーによる○○!』とでもするのか?アジア一桁のプロゲーマーがごぞって配信をしていて、ノウハウ動画を上げていて、いやそれどころか世界一桁のやつらだってごまんといるんだぞ。上手さを訴求点にするんであればアジア一桁にでも入らないと大した魅力にはならんでしょ。

 

というか訴求点というのは希少性なんだから、単一の希少性を高め続けるんじゃなくて、例えばアラサーでそんだけの順位ならそこそこ凄いだろうし、社会人とか仕事内容とかそういうのどんどん付け足していけば勝手に希少性は伸びていくんだよ。

 

そしたら訴求点はできるんだから、あとは露出経路をどう稼いでいくかでしかなくて、それでいうともう十分活動を始められる環境はできているし、タイトルとサムネだけ頑張って週一投稿やっていけば1年後には収益化できるぐらいにはなるだろうよ。

 

そうやって話したって結局やらない。なぜなら徒労が怖いし、なんなら最初から目標地点がトップストリーマーが叩き出してる数字だから。失敗したくない、無駄にツライ思いしたくない、だけどいつかFPSで食べられるようになりたい。舐めてんじゃねーぞカスが。

 

ってかそもそも、お前が言ってるのはプロ野球チームの監督が「最強のプレイヤーを集めてください、そうしたら優勝してみせますよ」と言ってるようなもんだぞ。監督としてやっていくなら、いる選手で最大の結果を出そうと頭を捻れよ。自分の今持ってるもので勝負してみろよ、もう十分やり込んだだろ。

 

 

と思ったり言ったりする程度には、何かを成し遂げたいくせに言い訳ばっかりして何もしないやつが嫌いなんですよ。別にとりあえずやってみてそれでやめるならそれでいいんですよ。僕だってとりあえずやってみるがハードル設定であることが多いし、とりあえずやってみるを続けてきたからこそサイトで食べてこれた背景があるし。

 

とりあえずやってみるすらせず、あまつさえ本来の理由である失敗から逃げているであったり自己プロデュース力のなさという事実を、生存バイアスや戦略という言葉であたかも考えての行動ですと隠蔽する態度が、虫酸が走るほど嫌いなんですよ。

 

挑戦しないことが正しいこともあるけれど、他人の失敗談を見て「ああ、自分は挑戦しなくてよかった、みんなも挑戦しないほうが良いよ、成功者のいうことは生存バイアスだからね」と、賢ぶった振る舞いをする奴らが、俺は嫌いで嫌いでしょうがない。

 

低リスクで挑戦しろ。低ハードルで挑戦しろ。何かを得たいと思っているんだったら、徒労の恐怖に負けず挑戦し続けろ。

 

浅慮な人間がリスクを考えず挑戦して死んでいくかもしれない言葉ではありますが、それよりも何もしてないくせに絵に描いた餅がいつか食えると思っている人間が言い訳する姿が嫌いなので、逃げてんじゃねーよと言っていきたい所存です。