INTP型のブログ

苦味があるな?

完璧主義との天秤のように見えてそうでもないやつ

note.com

 

  • デッサン中に問題点が見つかったときは書き直すようにしたら上達した

 

みたいな話だと思うんだけど、これを単に読み解くと完璧主義発症して何も生み出さないマンになるんだよな。

 

でも実際に言ってるのはPDCAサイクルを高速化してるに過ぎないんだよな。

 

一般人が

 

  1. 構想
  2. 制作
  3. 確認
  4. 修正

 

を、一つの作品で行うのに対して、この人はデッサン中に確認フェイズに入ったらそのまま完成させずに修正させてしまったほうがいいという考えで、微妙に完璧主義とは違う。

 

ただ、一般人が同じことやろうとすると確認→修正のループに陥って一生何も完成させずに終わるんだよな。

 

例えばこの人は7mmのズレを修正する力があるっぽいけど、素人が真似したら7mmずらした分全体の整合性がおかしくなったりして、また修正するはめになる。

 

でもまあスキルを磨くという段階であれば、確認フェイズが発生しなくなるまで一生修正し続けるのも手なのかもしれないけど、やるとしたら一定水準のスキルは必要な気がするよなぁ。

 

対象ユーザーはそういう意味では中・上級者で、初心者が完成させるさせないとか、誰が見ても明らかにデッサンが狂ってるとか、そういうレベルで悩んでるような人が真似する話じゃない気がするわ。

 

理想論で言えば気づいたそばから修正を繰り返したほうが上達は早いのかもしれないけど、それは運動初心者が最初からオリンピック選手のメニューやれば上達速度は早いよねみたいな話になりそうに見える。

面白そうなSEOの手法見つけた

ahrefs.com

 

『Skyscraper Technique』というらしい。

 

この手法が公開されたのが2015年だというのだから自分の情報収集能力の低さがわかるわ…。

 

ざっくりやり方について書くと

 

  1. 被リンクの多い関連コンテンツを見つける
  2. より良いコンテンツを作成する
  3. 1で見つけたコンテンツにリンクを送っている人に、良いコンテンツを作ったから代わりにこっちに送ってよと依頼する

 

という、凄まじくわかりやすい手法です。

 

この手法を踏まえて232通の電子メールを送信したところ、15のリンクを取得したんだとか。成功率は6.5%、結構高いね。(ちなみに記事の結論的にはあと5~10倍は送らないと良い反応は得られないってなってた、こわひ)

 

当時この手法を公開したBrain Deanっていう人は、14日間で検索流入を2倍にしたそうでひゃ~すっげぇなぁって感じ。

 

問題があるとすれば正確かつ関連コンテンツを網羅的に調査できるツールはAhrefsぐらいしか良いのが無いということですかね。月に1万以上するんだよなぁ……。

 

一応最近試したものだと、hanasakigani.jpってやつが思ってたより被リンクキャッチしてくれるので、無料でやりたいなら自分でライバルサイト調べつつ良さげな関連コンテンツを探すことになりそう。

 

マイサイト被リンクチェックツール|被リンクチェック hanasakigani.jp

 

メール内容までフォローされてて、こんなテンプレが良いんじゃねとなってました。

 

  1. Hey, I found your post: http://post1
  2. [generic compliment]
  3. It links to this post: http://post2
  4. I made something better: http://post3
  5. Please swap out the link for mine.

 

リンク営業みたいなのたまにもらいますけど、名詞だけ取り替えてるテンプレメールだし、そもそも被リンクも何も送ってないページに被リンク依頼出してきてるし「誰がこんな依頼受けるんだよ…」と思ってたけど、こういう風に戦略を示されるとこれなら行けそうと思えますね。

 

気が向いたら試そうかな。

 

追記:

早速今やってる自分のジャンルを調査してみた。この手法では無理なことを悟った。Ahrefsで改めて調べてみて、「え、攻略法無いのでは…?」となった。やばすぎ(あるとしたらSNSをベースにした手法だとは思う、そしてそれは今までの方針と同じなので間違っていなかったとも言える…けども……)

俺たちに階段はないのか

anond.hatelabo.jp

 

雑に要約すると

 

  • 年代上の登るの難しかったのかもしれないけど階段自体はあった世代が、階段すらなくなっている下の世代に苦言を呈している姿よ

 

という話だと思う。

 

ここでいう階段というのは世代ごとの人数に対する出世できる道の数のことで、上の世代と比べると下の世代少ないのにイキってんじゃねーよという話に見える。

 

f:id:intptan:20210320012254j:plain

 

人口ピラミッドみれば分かる話だけど、上の世代が2倍近く多い。

 

そもそも出世というのは人を管理する側だとか、席数が少ない良いポジションにつくとかそういうことを意味していて、そういったポジションの数は人口と比例して増減するんだけど、上の世代が多くて下の世代が少ない場合そこの席はどうなるのか。

 

  • 全体の人口が減少 → 良いポジションが減少(出世できる道、つまり階段が減る)
  • 下の世代より上の世代が多い → 上の世代が座っているポジションに入れ替わりで下の世代が入ることは人情の問題でほぼ無い → 良いポジションが埋まり動かない

 

要は良いポジションは埋まっているけど、人口の減少により良いポジションの数は減っているという。そりゃあ階段の数は当たり前だけど減るよね。

 

だから先進国は移民入れるとかグローバル化とか、とにかく下のポジションを増やして良いポジションの数を自国内で増やしていくってムーブをしているんだけど、出生数が少ないという根本的な問題に対しては焼け石に水感はある。

 

上の画像は1920年のときの人口ピラミッドが重ねられてるけど見てみなよ、この氷柱みたいに尖った形。そりゃ今と昔を比べたら難易度はレベルが違うよね。

 

もちろん昔は昔なりの問題を抱えていたのは間違いないけれど、客観的に見て出世という話で見たら難しいのは明らかに現代だよ。

 

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ただこの辺の話は「人生って運ゲーだよなぁ」という部分に帰結してくるので、これこれこういう問題があるから上の世代は黙っててくださいなんて言ったところで、自分の生活が良くなるかといえばそんなことはないわけで。

 

よく日本に生まれただけで勝ち組なんて言われたりしてたけど、ルワンダ虐殺の時期にルワンダで生まれるのも、1920年の日本に生まれて戦争を生き残り、日本立て直しの立役者として輝くかも、現代に生まれてなんとも言えない将来への不安を感じながら生きていくのも、全ては運としか言えない。

 

配られたカードで戦うしか無いのが現代社会の限界なので、能力・性格・環境全部をひっくるめて自分が幸せになれそうな道を選択していくしか無いのではとは思う。それで失敗してもある程度は国がサポートしてくれるわけだし。

 

なんていうか現代日本に生まれるというのは大富豪で言うと富豪のポジションなんだけど手札に2とジョーカーがないみたいな、周りからすると「得してるじゃん」と言われるんだけど自分視点からすると全然そんなことはないっていう。そんな感じがするよね。

 

文句垂れてあわよくば助けてもらいたいという思考は少なからずあるけれど、そうやって子供の振る舞いをすればするほど、いわゆる生殺与奪の権利が他人に移っていくと思うので、例え階段がなくても、ありものでジェットパックを作って遥か彼方に飛んでいくぐらいの気持ちは持っておきたいなぁという今日このごろです。

 

……まあいつもメンタルブレイク3秒前みたいな心情なんですけどね!

参入障壁の下がりまくったSEOで生き残る方法

ざっくりだけど2015年ごろは続けることさえできれば大抵は稼ぐことのできる時代だったと思う。


なぜそのような状況だったかと言えば、簡単に読み解くと理由は二つしかない。


検索エンジンの評価軸がコンテンツ寄りだったから
・参入者が少なかったから(参入障壁が高かったから)


評価軸がコンテンツ寄りというのはテキスト寄りと言い換えることもできて、だから当時ぐらいから長文SEOと呼ばれる流れが生まれていたように思う。

今からでは信じられないかもしれないけど、2012とかは1000文字書いてたらコンテンツ量としてはピカイチ。あとはサテライトサイト作ってバックリンク当てよう。みたいな流れが確かにあった。

その最低限必要な文字数が増えるたびにオワコン化が進んでるとか言われてたっけ…

閑話休題

評価軸がコンテンツ寄り、ひいてはテキストよりというのは、高い再現性があった。

クローラー、要は検索エンジンが高評価を示すテキストの形というのは一定で、それを守りつつ文量を増やすだけでいいのだから根性のある人間は儲かった。だから当時はとにかく「続ければなんとかなる」と言われていた。(もちろんクローラーに読ませる形を知っていることが最低条件だったけど)

そして当時稼ぎやすかった要因はもうひとつ、稼ぐための情報はほとんどオフラインでしか出回ってなかった。

今では常識に近いサジェストで出てきたワードを見出しタグに盛り込みつつテキストを形成する。というのも当時は知るひとぞ知る、検索エンジンのハックテクニックだった。

だから谷と呼ばれる、稼いでいるアフィリエイターの集うコミュニティは、当時希少性の高い情報を秘匿しつつ獲得していたというのが大きかったように思う。

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ではなぜ今のSEOが難しくなったかと言えば、

・コンテンツ軸からドメイン軸になった
・参入者が増えた(howtoサイトが増えて、参入障壁が下がった)

という面が大きい。

まずドメイン軸についてだけど、これはテキストベースの真逆。ユーザーの反応ベースと言い換えてもいい。

いわゆるUX(ユーザー体験)と呼ばれるもので、例えばサイトに対しての適切な滞在時間やページ/セッション、Returnning visitorが獲得できているか。またシェアやブックマークなど、検索流入以外の経路を十分に獲得できているか。他、単純にコンスタントな被リンク獲得などが、ドメイン軸で見ている要素と言える。

このUXの改善というのは、テキストをクローラー向けに最適化するのに比べたら、再現性は著しく低い。だから稼ぐのが難しくなった。

もうひとつは参入障壁の低下。つまり、希少度の高い情報だからこそ、それを使うだけで勝てた状況が崩壊した。なぜならhowtoサイトを通じて、炭鉱夫は効率的手法を得てから鉱山に来ているからだ。

限られたパイ(ここでは特定キーワードの上位のこと)の奪い合いをしている以上、同じ水準のライバルが増えるというのはそれだけ勝つことが難しくなる。

勝つには差別化をするしかないわけだけど、残念なことに単純なSEOの情報では差が付かず、高い再現性を持って勝つことは極めて難しいと言える。

だから今のSEOは稼げない。そう言われる。

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その上で、SEOを駆使して食べるためにはどうするか。これはおそらく3つある。


・ブラックハットを行う
・ジャンル選定能力で差をつける
・愚直にUXを改善する(重要:競合よりも)


ブラックハットというのは、グーグルペナルティ(簡単に言えば検索結果から手動で排除されること)の対象となるテクニックで、中古ドメインと呼ばれる、過去運営歴のあるドメインにサイトを載せ、そこからリンクを飛ばしてメインサイトで稼ぐという手法だ。

古くはアフィリエイトファクトリー時代から猛威を奮っていた手法なのだけど、正直厳しい部分が大きい。

当たりドメインさえ引ければ、ドメイン取得にかかった費用をペイできるけど、おおよそ数百のドメインを試して引けるか引けないかというレベルだし、なにより精神的にきつい。

ただ、アフィリエイターの中にはこの手法で今も食べているという人も存在しており、1日10時間ぐらい虚無を生産し続ける精神力があるならいけるかもしれない。(俺は無理)

次のジャンル選定能力だけど、これは言ってしまえばブルーオーシャンを探す力で食べるということ。

ブルーオーシャンはもう無い」というのはいつの時代も言われてきた言葉で、2013とかでもアフィリエイトを始めるには遅すぎると言われていたりした。

何が言いたいかと言えば、頑張ってそれっぽいところに数打てば、ブルーオーシャンが見つかるので、そこを起点に頑張ろうと言う話。

成人が最低限暮らすぐらいの賃金は得られると思う。ただ、ブラックハットに負けず劣らず数をこなす必要があるので、根性ゲー。

最後のUX改善。これが今のSEOの王道だと思う。


SEO的なUX改善の意味


なんとなく言葉の響きが良いから使ってそうなやつも多そうなUX。ユーザーのために、良いコンテンツを作れば伸びる。そう言うけど、それって思考停止でしかないよね。

そもそもここでいうUXってなにかと言うと、途中でもちょっと書いたけど、

・使ってる瞬間(アクセス解析のページ滞在時間など)
・使った後(体験の共有、シェア、被リンク)
・再訪問

など、サイトを知ってからの利用とその後使わなくなるまでの生涯リアクションと言える。

つまりUX改善というのは、これらの数字を高くすると言うことだ。狙った検索ワードにならぶ競合より。

SEOの視点から言うと、良いコンテンツとは先ほど書いた3条件を改善するコンテンツのことだ。

であれば直帰率や滞在時間、ページ/セッションなどの数字に関しては、ページ分割するだけで改善する。

実際、この手法で結果を出していたアフィリエイターもいたんだけど、最終的には伸び悩んでいたようだ。

これに関しては、おそらくだけど検索順位に対しての一定数のシェアやReturnning visitorがフィルターとして存在していて、それを満たしていなければ順位を落とされると考えている。

こうした、一度順位が上がったあと落ちると言う経験は何度も味わっていて、これは結局のところ競合と比べでシェア、被リンク、再訪問数で負けたから起きていると、色んなデータをよんで推測した。

だからUXのどれかひとつを強力に改善しても、一時的順位向上はあるかもしれないけれど、長期的上位には繋がらない。

つまりサイト全体で先ほど書いた3要素を改善するようなコンテンツを用意することがUXに重きをおいたSEOだと言える。

1.使用時の数字改善

ページ分割は最適解なのだけど、ユーザーにストレスをかけるのでシェアや再訪問に悪影響がでると見ている。

とはいえページ分割の本質的な要素は間違いなくSEOにおいて強い。

本質的な要素とはすなわち、同一ドメインに対しての1ユーザーのページ閲覧数や滞在時間だ。

だからページ数の増加と、遷移を促す導線強化はマスト。とくに強力な導線が必要と考えている。

強力な導線とはユーザーニーズにマッチしたHUBページの用意がベター。最良は高速な検索システムだとは思う。

2.シェア、被リンク

シェア、被リンクのトリガーとなるのは、コンテンツの方向性と内容、作成者の権威性だ。

コンテンツの方向性に関してだけど、シェアされやすいコンテンツはある程度決まっている。言ってしまうと講座・まとめ・ツールの3つだ。

有用な講座は「○○を勉強したい…」という人に第一回が渡される。連番になっていると導線が分かりやすいため、独立したコンテンツより講座の第一回というのはシェアされやすい傾向にある。

まとめは、例えばコロナが始まった当初は宅配対応や持ち帰りをやってる飲食店をまとめたサイトが伸びてたのだけど、ああいうのはやはり伸びやすい。

ツールは、例えば計算ツールや画像圧縮のできるページ、特定ジャンルに絞った検索ツールなんかがここにあたる。

講座・まとめは根性さえあればなんとかなる。

ツールは技術力がないと設置できない。

この性質は、過去のSEO状況を踏まえると、前者に力を入れすぎるというのは極めて危険なことがわかってもらえるのではないかと思う。

結局のところ、根性でなんとかなるコンテンツは、低賃金で人員を確保した企業サイトに、時間当たりの労働量で決して勝てないのでじり貧コンテンツだ。

ツールはそれでいうと、前者より寿命が長いと見ている。

このツールが1つめのサイト使用時の数字改善にも貢献するようなら、それが最良だと考えている。それはなにかと言えば……まあ言わなくても分かると思うのでわざわざ書くのはやめとく。

3.再訪問性

実はこれは、2で紹介したコンテンツがそのままReturnning visitorを得やすいコンテンツとなっている。

シェアされるのは大抵、再利用性の高いコンテンツだからだ。(自己顕示欲を満たす系もあるけど)

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結論を簡単に書くと、SEOを踏まえたUX改善とは


1.ページ数を増やす
2.導線を改善する
3.講座、まとめ、ツールコンテンツを用意する


となる。良いコンテンツを作れば順位が上がると、それっぽいことを言って悦に入ってる人。その場合の良いコンテンツに入る具体的な内容はこれだ。


蛇足


途中でも触れたけど、ただの講座・まとめは先がないと思う。

歴史を考えるに、根性でなんとかなる分野は人海戦術を体力のある企業がやってきた瞬間終わるので。

ではどうしたらよいのかと言えば、能力が必要になるものをやることだと思う。それは単純に難しかったり、情報がまだ手軽に手に入る位置になかったりするものだ。

当初のアフィリエイター環境もwordpressを使えるかどうかが技術的ラインだったし、今は複数のプラグインを駆使できるかだったり、wpの仕組みやCSSを活用して導線を最適化できるかだったりに変わってきた。

たがそれもほとんどの人ができるようになってきて、差別化できる要素では無くなってきている。(優秀なテーマの登場で、実装の難易度が下がったのもある)

これを踏まえると、今後SEOをやっていくなら更に高難易度なツール作成が必要になってくるのではと思う。

理由のひとつはアフィリエイト業界の流れが、もうひとつはエンジニア業界が売り手市場と言われているからだ。

売り手ということは買い手がいるということで、買い手がいるということはそれだけエンジニアを使ってやりたいことがあるということだ。

エンジニアが必ずしもウェブ業界に繋がってくるわけではないけれど、少なからずコーディングが出来る層を要して構築されたウェブサイトが、今よりも検索結果に増えてくるはずだ。

そもそも、アフィリエイトというSEOと密接な業界で、ツールコンテンツに求められている質が日ごとに伸びている以上、ウェブ全体の大きな流れが同じ方向を向いていてもおかしい話ではない。なにせSEOは露出経路としてダイナミックだし魅力的だ。

だからこれから何年かはプログラミングがより熱くなり、そしてより生き残るためには根性(人海戦術)でカバーできる部分ではなく、能力(高度な実装や逸脱したアイデア)が必要になってくるのだと思う。

ちなみに技術ラインの底上げが起きたあとに来るのは大抵ブランド勝負。差別化要素がなくなって、目に入るものがほぼ均一になったら、あとは気に入ったものだからとか、好きな人が作ったものだとかそういうものになるので。

大抵の流れは


1.分野のハック(最適論探し)が始まる
2.最適論にたどり着いた人たちが勝つ
3.最適論が広まり、根性のある人たちが勝つ
4.最適論の水準が上がり、それについていく人たちが勝つ
5.3と4が繰り返される
6.差別化要素がほぼ無くなり、ブランド勝負になる(この段階までの人徳の積み重ね勝負)


というイメージ。いまはまだ技術サイドの天井が高く、人海戦術より技術で戦った方が楽じゃね?という時期だと思う。

Youtubeなんかは投稿頻度(根性)も天井感あるし、最適論(その分野でどれぐらいの立ち位置かとか、五感的スキルの高さとか)の水準も相当高いよね。各分野の世界一大体いるでしょ。

だから今は6のフェイズって印象があるね。

Vtuberが登場した時みたいに、新たな最適論が現れるまではこれまでの積み重ね勝負の側面が大きいんじゃないかな。(アフィと同じで小規模にやるなら余裕で新規参入できるけど)

自己開示と好感度

基本的に人間が特定の人物に好感を抱く場合、そこにあるのは

 

  1. どういう考え方をしているか
  2. どんな五感情報を渡してくるか

 

の2つだけです。

 

1.どんな考え方

 

配信者Aさんが「LGBT当事者です」と告白した場合、受け手側の反応は以下の3通りに分類できます。

 

  1. 共感する人
  2. 受け入れる人
  3. 拒絶する人

 

まず1の共感する人は最も好感度が上がります。単純に考え方を共有できる人にほど好感を抱く性質があるためです。人間の共有欲は強く、なんなら誕生日が同じとか同い年とか、それだけで好感度が上がっちゃうレベルですから。

 

2の受け入れる人は共感する人よりは低い上昇幅ですが上がります。基本的に考えたの公開は受け入れられると好感度が上昇するんですが、見た目からわかることなどわざわざ言わなくても受け手側がすでに把握している事柄の場合「もう知ってる」と、むしろ好感度が下がる傾向にあるようです。めんどいのでソースは出さんです。

 

3の拒絶する人は離れていくし、場合によってはアンチ化します。ただこれは1と2の割合に比べると非常に少ない傾向にあります。

 

注意点として考え方の公開はの上げ下げの幅は、どれだけ言いづらい話題かが影響します。例えば「天気は晴れのほうが好き!」といった自己開示は大した影響をもたらしません。

 

2.どんな五感情報

 

基本的には視覚と聴覚です。ほか、嗅覚と触覚はオフラインで会う場合は影響します。(触覚は握手するや文化圏によってはハグで影響が出る)味覚は肉体関係にあるか、相手が嘘を見抜くために汗を舐めてくるタイプの人でもない限りは関係ないと思います。

 

知っている五感情報の多さは = 距離感と言えます。

 

そのため多くの著名人は顔出し + 声出しをしてますし、発声練習やメイク、正装などでより優れた五感体験を提供するように心がけています。

 

考え方の公開と同じく、声や顔の公開によって受け手側は3パターンの反応をします。

 

  1. 理想的と感じる
  2. 受け入れられる
  3. 嫌悪感を感じる

 

この辺はわざわざ言語化しなくても良さそうなのでやりません。ただ単純接触効果といって、要はあれは『何度も触れる声と見た目は加点される』みたいな話なんで、優れた声や見た目をしていなくてもめげずに何度もやってればイケボだのなんだの言われるようになるっぽいです。(配信者の方が続けていくうちにイケボやイケメンと言われるようになった、なにも変わってないのに。という体験談を語っていたりする)

 

3.好感は一方通行

 

自己開示をしたことによって発生する好感は基本的には一方通行です。特に五感情報の開示による好感は。

 

一応考え方の公開は認知的不協和というものがあるため、言いづらいことをいうほど伝えた側に愛着が発生したりします。(認知的不協和:言いづらいことは仲の良い人にしか言いたくない→逆に言えば言いづらいことを言えばその人との仲が良くなってしまうというもの→つまり言いづらいことをいうと相手に好感を抱く)

 

ただ認知的不協和は五感情報には影響がありません。(とんでもなく見た目や声にコンプレックスがあって、人前では決してマスクを外さないし、声を出さないとかでもなければ)

 

そんため自分をさらけ出していないのに好感を抱いてくるファンへの好感は、自分をさらけ出しているタイプの人に比べると低い傾向にあるかもしれません。(昔ゲーム部でみりあの声をやってた人はこのパターンな気がする)

 

4.自己開示と嫌われ

 

自己開示は多くの人にとっては恐怖の対象です。

 

というのも大抵の人は好かれる以上に嫌われるリスクのほうが怖いためです。よくポジティブな感情よりネガティブな感情のほうが7倍強いとか言われるんですが、そのとおり人は高評価より低評価に過敏に反応します。

 

Youtubeの悩み相談で多いのが、高評価4ぐらいのところに、低評価が1ついてめちゃくちゃ辛いです。みたいなやつらしいんですが、冷静に考えると5人中4人に好かれてるって凄い状況のはずなんですよ。でも5人中1人の嫌いという感情に強く反応してしまう。

 

だからこそ『自己開示をすることによって嫌われるかもしれない』という感覚が、自分のことをさらけ出す抵抗になっているんですが、ここを乗り越えられないと人から好かれるというのはとても難しいです。

 

とはいえ、普通の人間の営みというのは数百時間活動をともにして(気が合うかもな)と思い、そこから安心感を得つつ、ちょっとの勇気を振り絞って自己開示をし、そこで受け入れられて仲の良さが深まっていく。という流れを踏むので、特にネット上の不特定多数に見られている場所で、自分をさらけ出すというのをやりたくないのは自然ではあるんですけどね。

 

結論を言えば、どんな段階であれ自発的に勇気を出さなければいけなくはあるので、誰かから好かれたいという思いがあるなら、嫌だけど自己開示しなくてはいけないってフェイズがあるとは思います。

 

5.自己開示の内容

 

例えば自分の声は間違いなくキモいし嫌われると思う。とか、自分の考えはかなり荒んでいるので嫌われることしか無い。とか。

 

そういう場合どうするのかといえば、五感情報の場合は発声練習しろということになるし、考えで嫌われるという場合は「でも自分のアイデンティティは早々変わらないんだから、演技しながら生きたくないのなら選別は避けては通れないよね」という話になります。

 

五感情報、特に声による好感って声の質というより音量の不安定さが一番あかんところなので、そこをなんとかすれば嫌われのほうが多くなるってことはあんましないです。長くやってけば単純接触効果も期待できるし。

 

考え方の開示は、楽しく生きたいならとっとと出して、共感できる人を絞ったほうが結局は楽しく生きていけます。

 

ただビジネスとしてやっていくんだ、という場合は演技してしまうのもありだとは思います。言ってしまえば、アイドルはだいたいそんな感じなわけですし。

 

どうしても大衆に受け入れられる考え方とそうじゃない考え方っていうのはありますからね。例えばにじさんじの剣持ってひとはロリコンであることを開示してるんですが、無理な人は絶対ムリなものじゃないですか。でも一定数のファンを持っているわけで、研鑽し尽くした自己ではなく、等身大の自分で勝負しても案外大丈夫なんじゃないかと思います。

 

俺も初期の記事とか自分丸出しみたいな文章ばっか書いてたけど、その頃のが仲良くしようとしてくれる人多かったような気がしますし。

 

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好かれるという価値を得たいのであれば、嫌われるという代償を払わなければいけない。嫌われるという代償を払わないのなら、好かれるという価値も得られない。

 

世の中いいことばっかは難しいってことなんすなぁ。

 

蛇足

 

この話を加味すると個人名のブランディングをするなら、声出し以上はマストな気がする。顔出しもできるならやっちゃったほうが手っ取り早いと思うけど、やりたくないなら馬のマスク被って身体を少し見せるだけでも違うとは思う。体格とか服装とか所作とか、そこらへん見るだけでもぜんぜん違うので。

1ユーザーあたりのチャンネル登録数を多くするっていう戦略もあるのか…?

www.youtube.com

 

こういうチャンネル見つけたんですけど、関連チャンネル見たら、

 

ゆっくり実況オンライン2 - YouTube

ゆっくり実況オンライン11 - YouTube

 

ぐらい、似た動画を投稿しているチャンネルがあって、なんでこんなことしてるんだろうっていう。

 

まず考えられるのは垢バン対策でしょうか。でも見た限り初代chが生き続けてるわけだし、用意するとしても3つ目ぐらいまでじゃないのって言う思いがあるわけでして。

 

次はSEOの観点から、ch同士で相互にリンクを送り合うことでch評価を高めるという考え。まあ無くはなさそうだけど、どうなんでしょうかね?

 

お次は動画の使い回し。複数チャンネルで動画を使いまわして、1動画の再生回数をかさ増しするという方法。だけどパッと見た感じ使いまわしているようには見えないんですよね。もしかしたらサムネだけ替えてて内容は同じかもしれんけど、そこまで見る気が起きないから分からん。

 

次に1ユーザーあたりの登録者数を増やすという考え。ファンはサブチャンネルも登録するのが一般的だと思うので、じゃあ10chあったら全部とは言わなくても5chぐらいは登録してくれるかもしれない。であれば1ユーザーが5ch分の登録を自分にしてくれていると言えるわけで効率的…?なのかも。ただ登録者数増やして何するんだという気持ちもある、売却するのかな?

 

最後に金持ちの気まぐれ。金持ってそうな企画をしてるのでただただ気まぐれで増やしている可能性ですね。ここまで来たら意図もクソも無いので知らんです。

倫理観はどこまでいくのだろうか?

locafra.com

 

とてもいい記事だった。

 

こういう話は同情するかしないかの線引をどこに置くかという話がやっぱ一つのテーマよな。(そしてもう一つは同情するとして、その上でその気持ちにどうやって折り合いをつけるかという部分。ビーガンだったり感謝だったり慣れだったり無視だったり)

 

 

あまり詳しくはないけど、同情するかの線引は感情表現をする哺乳類かどうかみたいなところにある気がする。俺も人間なので分かるけど、やはり哺乳類はそれだけで感情移入しやすい。感情移入した生き物が害されてるさまをみたらサイコパスじゃないので動揺はする。

 

でも経済的合理性が低いことをしたら、記事内でも触れられていたけど、倫理的に優しい運営方針の牛舎から潰れて、安く作って高く売るでやってるファクトリーが儲かり、より牛たちの境遇は悪くなる。

 

じゃあ全人類ヴィーガンが達成できるかといえばそれは明らかに難しい……と思うのだけれど、奴隷解放の延長線上で起きることもあるのだろうか。

 

今の自分の感覚では、人間を経済動物のように経済人間として捉えることは出来ないけど、多分昔の奴隷商はそんな感覚だったのではないかと思う。

 

例えばあなたが釣りをして、生きたまま釣った魚をさばかなければいけないとき、首元にグッとナイフを入れて、血が吹き出て痙攣する魚が死ぬまでをただ、じっと待つであろう。

 

小さい頃は生きたまま捌かれる魚やカニに感情移入していたような記憶があるのだけど、まあ牛や豚に比べたら魚やカニは二の次のようには思う。

 

昔はこの線引が白人と黒人みたいなところでも分かれてて、だから奴隷が人間であってもそれは別と感じてたんじゃないかなぁという。

 

もちろん奴隷も牛や豚と同じ用に利益をもたらすものとして、サイコな金持ちでもない限りある程度大切に扱ってきたのだろうし、場合によっては愛情も注いだろうけど、それでも人間と経済人間として線を引いてたんじゃないかと思う。

 

それで言うと倫理観が、奴隷も人間だし同じ扱いをしなくてはいけないと変わってきていていることを考えたら、もしかしたら牛や豚も同じ哺乳類だぞと合成肉を口にするような時代が来るかもしれない。

 

まあ昔奴隷がやっていたようなことも賃金が発生する形である程度残ってたりするし、需要がある限り肉食がこの世から消えることはないだろうけど。(肉食動物が愛玩動物としているしな)

 

そんな感じでタイトル通り『倫理観はどこまでいくのだろうか?』と未来に思いを馳せるのでした。