INTP型のブログ

苦味があるな?

教師と生徒的なコンテンツの限界が来ている気がする

例えば1+1はなぜ2なのか。これについて悩んでいるユーザーにコンテンツを提供する場合。

 

その場合一般的なのは、「1+1はどうして2になるのか解説」みたいな記事。もしくは「1+1はどうして2になるのか数学科大学生が解説」みたいに権威性を高める感じで作るんですよ。

 

こういうコンテンツをタイトルに書いた教師と生徒的なコンテンツと考えているんですけど、これ系で戦っていくのは厳しくなってきている印象があるわけです。

 

理由としては

 

・コンテンツ制作者がみんなそういう方針で来ているので権威性の味付けのコストが肥大している

・切り口が結局同じなので差別化が権威性ぐらいしかできない

 

というのが主です。

 

またこれ以外に挙げるとするなら、ネットコンテンツの信頼性が薄れてきていると昨今のニュースを見ると感じるので、権威付けで信頼性を上げようとしても焼け石に水という感じが否めないというのもあります。

 

そんなこんなで教師と生徒的コンテンツが厳しくなっていると考えているわけです。もちろんまだまだ自分自身そういうコンテンツがアクセスを集めているのが解析情報から見えているので、戦ってはいけると思いますが、差別化しにくいという点から消耗戦感が凄いなと感じています。

 

じゃあどうやってコンテンツ内容で戦っていくかを考えたとき、主観の話にはなりますが、生徒と生徒的なコンテンツで行くのが良いのではないかと、今戦略を練っているんです。

 

1+1はなぜ2になるのか。この悩みを生徒と生徒的なコンテンツで解決するなら「なぜ1+1は2になるのか気になったので調べてみた」とかでしょうか。要は悩んだ→解決してみるというプロセスでユーザーの悩みに答えていこうというのが生徒と生徒のコンテンツです。(教師と生徒的コンテンツは悩んでない?→解決してあげるというプロセス)

 

この生徒と生徒的コンテンツを使う場合の利点は

 

・読者に近い立場を持つので悩みへの共感をしやすい

・教師と生徒的コンテンツが多いので差別化を簡単に図れる

 

で、欠点は

 

・権威性を保てないので、信頼性を高めるために引用を増やすことになる

 

というのを想定しています。

 

解説系のコンテンツを作る場合、伝聞調で作らざるを得ないため引用が増えてしまいます。

 

発リンクが増えてしまう点に関してはSEOに与える効果がマイナスかプラスかは賛否あるので置いといて、問題は伝聞調になってしまう点ですね。

 

やはり解説コンテンツで「◯◯にはこう書いてあるのでそうなんでしょう」や「◯◯というサイトではこう解説されています」という形が増えると、じゃあ引用先見ればいいじゃんとなりかねません。存在意義が微妙になるわけです。

 

とはいえ切り口の差別化が簡単である点と、読者の悩みに寄り添えるので、心理的に文章を読ませる力が増すと考えられます。(距離感が近い、もしくは立場が近い人の文章ほど読みたくなるので)

 

生徒と生徒的なコンテンツがドハマリするのはレビュー系や体験談系で、解説型となると欠点との兼ね合いがどうにもという感じはあるのですが、うーむ。

 

この辺の検証も兼ねてsteamのレビューブログと、あるデバイスの解説・レビューを織り交ぜたサイトを生徒と生徒的なコンテンツで作り込んでみたいなというのがあるんですよね。ただ今作っているサイトを放置するわけにもいきませんし、じゃあ並列で更に2つサイト育てていくとなるとちょっと労力的な厳しさも出てくるわけで。

 

今のところは並列に2つサイト立ててはみますが、とりあえず3ヶ月ほどで10記事程度入れられたらいいかなぐらいの熱量で進めていきたい感じです。3ヶ月ぐらい入れていけばアクセスがどんなか見えてくると思うので、キーワードの順位とか見つつ生徒と生徒的なコンテンツはいけるのか判断していければいいかなと。

 

流石にtwitterで流すには長すぎる思考だったので、ブログに書いた次第です。

 

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この辺はソロで活動するYoutuberの成功が難しいのに繋がっている気がする。

 

無論成功している人もいるけど、複数人のほうが生徒役と教師役を作れるので、権威性の保持をしつつ生徒として視聴者の視点を持つ人も作れるので、見やすさがかなり変わってくるように思う。

 

まあ重要なのは視点を共有できる生徒役なので、ソロでも「これやったらどうなるんだろ!」みたいにコンテンツを作っていけば問題ないような気もする。となるといちばん重要なのはやっぱ企画の部分と動画編集の部分か。