INTP型のブログ

苦味があるな?

自分もしくは自分の周りの話を持って、傾向の話を否定するやーつ

例えばですけど、エゴグラムは下記サイトの統計によると年齢を重ねるごとにCP(支配性向)が上がるってデータがでてるんですね。

 

vcap.vone.co.jp

 

で、こういうデータに対して、

 

「いや、俺60歳だけどCP低いよ?」とか「若いけどCP高いんですが……?」とか主観的データぶつけてくるやつは一体何なんやろなっていう話。

 

なんか主張見てると、「個人のデータを提供することでそいつの知見を増やしてあげてる」とか言ってるやつおるんだけど、マクロでのデータ集めしてんのにそんなん必要ねーわ。

 

ただのノイズでしか無いし、むしろそういう主観的主張が集まってくると、ネットなんか絶対数だけは増えてしまうもんで「なんだ統計データ間違いじゃん!」とか勘違いしてくるやつまででてくるから、クソ意見ってまで言えるレベル。無作為に選出した意見だからこそ人は惑わされないし、本当のところが見えるのであって、ネット上とかのパブリックな場所で客観的データに対して主観データ声高に言うのマジでノイズでしか無いからな

 

じゃあどういう意見が正しいのかっていうと、客観的意見なんだから客観的意見かもしくは、その意見の客観性が正しいのかの観点で語るべきなんだよ。

 

例えば、

 

・標本がネット利用者のみとかになってて偏っている

・年齢別の標本数で薄い部分はでていないのか

・私が集めた客観的データではこうなっています

 

とかがこういうデータに対しての批判では正しくて、「自分の周りではこうだから違う」って話はボケナス黙ってろとしか言えんわな。

 

(あとちょっと違うけどエゴグラムの正当性とかに突っ込むのもクソ、それは論点ずらしでしか無いからな。この話を終わらせてからもう一つの論点として提示すべき話)

 

主観的データはミクロレベルで扱うべきもので、マクロレベルになるほど必要なくなるってことを理解できてない人がいるの、見てて腹立たしいし、なによりそういう意見に同調した奴らが絶対数で見たら多くなってしまった結果、ノイジーマイノリティ化するのほんまクソ。

 

例えば「俺はこうやって成功した」っていう話は個人レベルで扱うなら参考や戦術としての一つの学びぐらいにはなるけど、「俺はこうやって成功したからお前らもこれやったら?」って言われたら、標本数=1の再現性クソカスなくせに何いってんだこいつってなるわな。

 

こういう理解でいるから、基本的に自己啓発本は再現性が薄いから読む価値は殆どないと思ってる。読むことで「そういう戦術もあるのか」と気づきを貰えることもあるけど、大体すでにその道の存在には気づいてるってケースが多すぎていらんってなるわな。(脱線)

 

とにかく主観データと客観データを適当に混ぜ込んで、曖昧にすんなっていう愚痴でした。