現代はネットを中心にとにかく個性を重要視しろと甘い言葉が囁かれておりますけど、多様性が増せば増すほど実力主義が加速するので平均値の人でも生きにくくなってしまうという危険性を孕んでいるんですよね。
コミュニケーションで例を見ていきますと、
・趣味や特技を知った人と話す
・全く知らない人と話す
どっちが大変かと言われたら間違いなく知らん人と話すことだと思うんですよ。
何が言いたいかって言うと多様性が増すほど、人間を枠にはめ込んで捉えることが難しくなるので、コミュニケーションコストが増すって話なんですね。
多様性が増せばLGBTを筆頭に、「異性が好きとは限らない」とか「男性が家計を支えるとは限らない」とか、マジョリティとして考えられていた価値観が通用しない人が増えるわけです。
そうなると一々「こいつはLGBTかもしれないし恋愛の話は慎重に振らないと」とか「男だからといって責任ある仕事につけて収入増やすことが正解とは限らない」とか考えることがやたら増えてしまいます。
「これぐらいだったら問題ないだろ」と言われそうですが、本筋は多様性が加速するとこういった小さなものが山のように増えてしまってコミュニケーションコストが延々と増えるってことです。
コミュニケーションコストが増えるほど、コミュニケーションに優れた人ほど人間関係を構築しやすく、またその逆は今まで以上に人間関係を作りにくくなりますから平均値の人でもしんどいよねって話になります。
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コミュニケーションを例に見てきましたけど、多様性が増えれば仕事やら健康やら色んな所でこういった格差がどんどん生まれます。
ただ僕はこれが完全に悪だと思っているわけではなく、完全に画一化したまるでディストピアのような世界は
・画一化されたことによる災害(予期せぬ事)への対策力低下
・画一化されたことによる新発見率の低下
がとりあえず考えられますので、多様性をゼロにせよと言ってるわけじゃないです。
ただ現状の多様性を重視する考え方はやりすぎだと見ているので、逆の画一化を意識していったほうが良いだろという主張をしています。
この辺は何事も利点と欠点がありますから、バランスとって考えてほしいよねって話ですね。
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これ考えてて思ったんですけど、流行りものとかをとりあえず否定してしまう人ってこういうバランスが極端に傾いてしまう状況への対策として存在してる人なんじゃねって思いました。