BEASTARSというのは肉食獣やら草食獣やらが人間社会のように文化圏を築き、しかも人間のように2足歩行で歩くようになってる世界での話なんですね。
今回話したいのは「強いはずの肉食獣は肩身の狭い思いをして、かといって草食獣は大手を振って歩けてるわけではない」という状態がなぜできてしまったのかっていう話をしたいのです。
単純に考えたら「強い肉食獣が支配した文化」だったり「凶暴な肉食獣はとにかく法律で雁字搦めにして不自由にし、草食獣の権利を高めた文化」みたいなどちらか一方は楽しげに過ごせそうな世界になりそうなもんですが、実際は種族ごとに見るとどっちもまあまあしんどそうな思いしてる世の中なんすわ。
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詳しく掘り下げると
・肉食獣→草食獣を食う(同族を襲う)本能を持ったやばい奴らなので、微妙に距離置かれがち。また文化的に見ても抑圧されがち
・草食獣→肉食獣抑圧されてても怖いので距離置きがち、また襲われそうでビクビクしがち
っていう状態なんすね。
本来強者的立ち位置に立てるはずの肉食獣はなぜか微妙な感じになってるし、かといって草食獣も権威を多く持ってるわけでもない。
これは囚人のジレンマ的なゲームが社会規模で起きてる証拠なんすな。
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まず社会としての最適解は双方が歩み寄っている環境です。
ですので社会最適解は肉食獣は草食獣を襲わないし、草食獣は肉食獣を避けないっていうのが最もベストと言えます。
ただここに囚人のジレンマ要素がかかってきまして、肉食獣的には「他のやつが社会維持のために草食獣と手を取り合ってくれてかつ、俺だけは草食獣を食えるのが最高」というのが個人としてはもっとも得点が高くなってしまうんですな。
これは草食獣も同じで「他のやつがリスクを背負って肉食獣と歩み寄ってくれていてかつ、自分だけは肉食獣を避けて安全を確保するのが最高」という状態になってます。
図にするとわかりやすいんですかね。(しない)
簡単にまとめますと
・仲良くやるのがマクロではベスト
・肉食獣的には草食獣食えて、社会もなんだかんだ動くのがベスト(草食獣が我慢しろ)
・草食獣的には肉食獣避けて、社会もなんだかんだ動くのがベスト(肉食獣は同じところに来るな)
・双方裏切り、もしくは片方裏切りがでてくるとマクロで悪影響が出てくる
みたいな感じ。
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ここまで書いた囚人のジレンマを前提に考えるとなんで最初に書いたどっちも得してないような状況ができているのかわかってくるわけですね。要はどっちも裏切りをしている種族を抱えていて、それが社会としてみた時問題になるレベルで発生しているってことです。
だもんで種族で見た時の強者と弱者って実のところ社会レベルではあんまり影響なくて、どっちかっていうと種族関係なしの個人で見て囚人のジレンマでいう裏切りを選択しているやつが一人勝ちしているっていうのが正しいんですね。
で、これって現代社会にも似たようなもの発生してるよなとか思ったり。
男女に区切って考えると……。BEASTARSはあくまでフィクションの世界ですが、あの破綻してないけどなんとも言えない、お互いに信頼しきれていない空気が漂ってる感じ。あれと似たようなものを現代社会にも感じるよなぁとか思ったりしました。
修正するにはその個人最適解を選んでる人たちをマクロ最適解にさせていくことなんですけど、ほぼ損するの確定のマクロ最適解に寄る人なんてまずいないよねっていう。全員いっせーのせで変われるならいいですけどそうでもないし、そもそも囚人のジレンマ的なものは一つだけでなくて様々な形で発生して、それが多重構造に入り乱れてるわけですから、そこを詰めていって全員を納得させるのも大変すぎる作業なんですよね。
結局の所損得勘定するのが人間なわけですし、裏切り的な選択より協力的な選択を選んだほうが得しやすいって環境じゃないとまずそうはならないですわな。
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ちなむとBEASTARSはそんな妙に信頼しきれていない空気感の中、その壁をいろんな試練を乗り越えながらなんとかしていくような物語な気がします。男女に例えるなら女性陣が「男ってすぐやりたがるから近寄んないでほしいわー」みたいな空気感の中「俺は絶対やらーん!!!!」と禁欲の限りを尽くして最終的にレイプ犯を「私と合体することでパワーを付けてやっつけて!」と承認を得てぶっ倒す的な。あ、ネタバレ注意です
意味わからんと思った人は面白いので11巻まで揃えてみてください、良い感じに区切れてるので「続きくれ!!!」と麻薬中毒者並みの苦痛を味わうことはないかと思います。
(なお読んでも僕の例えは意味わからんかもです、伝わる人にだけ伝わってくれ……!)