最近面白い話を耳にしまして、なんでも人間は物語を話された後は判断力が低下するようで騙されやすくなるという研究があるらしいんですね。
仮にその結果が正しいものだとしたら、何か人を騙すようなときはまず前座として物語を与えれば良いわけじゃないですか。
で、ここで気になるのはどこからが物語になるのかって話ですね。
おそらく物語ではない部分というのは情報という捉え方をして良いと思うのですが、では物語と情報の境目はどこにあるのかって話になるじゃないですか。
結論を書くとおそらく感情についての言及があるかだと思います。
物語と情報の境目
例えば勇者が魔王を倒す話があったとして、それを「勇者が魔王の部下たちを倒して、最終的に魔王を倒しました」と語ったらそれは情報だと思うんですね。
この情報に「勇者は仲間たちと協力しながら、魔王の部下たちを倒して、最終的に魔王を倒しました」と描写を少し増やしたところで物語と言われてもうーんて感じがします。
ところが「勇者は仲間と試練を乗り越えては喜びを分かち合い、そんな仲間の死に涙を流し、ついには魔王の部下たちを打ち倒して魔王の元へ決死の覚悟で挑み、ついにはそれを撃破したのでした」みたいに喜怒哀楽の感情表現が入ってくると物語っぽくなってきません?(なってなかったらこの話は終わりですね…)
だから物語と情報の境目っていうのは感情の伴う描写があるかどうかの違いだと思うわけです。
ついでに書くとおそらく判断力の低下はより描写された感情に共感してしまうかに比例すると思います
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上記を踏まえて試してみようと思ったんですがめんどくさかったので割愛。
ここまでの話が仮に正しいとすると前座として壮大なビジョン語ったりして、「ワクワクしません!」みたいに話す勧誘系のビジネスは人間心理をわかってる人なのかもしれんですね。
要は自分の話の中に感情表現を取り入れて、それに共感させれば判断力を低下させられるって話なので、例では悲しみで再現しましたけど楽しさであるワクワクでも問題ないわけですから。
話の中に感情表現をやたら取り入れるからと言って人を騙そうとしているとは限りませんが、それに共感し始めると自分の判断力は知らず知らずのうちに下がっている可能性があるので、そういう人の話を聞くときは冷静さを忘れないでいたいですね。
それにしても自分がなんかやたら悲しかっただのワクワクするだのそういう表現を取り入れて周りに呼びかけてるやつ見かけるとなんか信用できないなって思ってしまう要因っぽいの見つけられてなんかスッキリしましたわ。
追記:
多分強い感情ぶつけるだけでも割と行けそうな気がします。ブチ切れられるとかも怒りの感情を強くぶつけられたから脳の機能低下すると考えると収まりが良いですし、号泣している子の前で冷静にいられるって人も少ないでしょうし。そう考えると文章媒体ならビックリマークを多用するなんてのも結構使えそうですね (このページの本旨はあくまで物語が判断力を失わせる前提での話なんで、だいぶ蛇足です)