INTP型のブログ

苦味があるな?

人付き合いのために自信をつけようと能力を磨いたけど結局ダメだった話

思えば小さい頃から人付き合いが苦手で、それはなんでかって言えばどうしても「この人にとって自分は価値がないんじゃないか、価値がないから内心では嫌がっているんじゃないか」と思ってたからなんですね。

 

要は自信がないから「相手は自分のことを見下している、いつでも見捨てるだろうし裏切る。そんな辛い思いをするぐらいなら人付き合いなどしないほうがマシだ」と考えてわけです。

 

とはいえ人間は社会的な動物ですから仮面をかぶって、卑屈さを謙遜という形で発散して、なんとかコミュニケーションを取ってきてはいるんですが、人間はそこまでアホではないので「こいつなんか仮面かぶってるな」というのを見抜くものでして。本音で向き合ってない人間は不明瞭で怖いものですから、表面上は交流していてもいつのまにか疎遠になってしまうんですよね。

 

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僕もこんな自分は嫌だと、物語に登場するような自信満々に振る舞うキャラクターたちのようにありたいと小さい頃から日頃思ってまして。そうしたら人付き合いを楽しめるだろう、人生も楽しいだろうと漠然に感じてたんすな。

 

じゃあ自信をつけるためにはどうしたら良いかと考え、おそらく他人から凄いと思われる能力を得れば行けるだろうと考えました。

 

(こっから遠回しな自慢フェイズに入ってしまうので鼻につくかも)

 

まず小学生の頃は勉強を頑張ろうと思いまして、クラスの中で3本指ぐらい、学年全体で見てもそれなりという結果を出せたんですが、「小学生で百点取るのは当たり前らしい、しかも最上位じゃない。自分は大したことない」と思ってしまい自信なんて付きませんでした。

 

中学生に上がってすぐの頃は勉強をそれなりに頑張り、これまた小学生の頃と同じぐらいの立ち位置だったものですから、同じように考えて卑屈な精神を捨てることは叶わず。

 

中学生の頃は運動部に入っており、妙に才能があったのか。今思えば努力の量がおかしかっただけな気もしますが、仲間にも恵まれ全国大会に出場しそれなりに頑張れたのですが、それでも結局「全国には僕より強い人がたくさんいた、自身を持つに値しない」と感じ、卑屈なままでした。

 

ただ全国出場というブランド力はすごかったようで、やたらと女子にチヤホヤされたんですが、やはり卑屈なので「どうせ本当の自分を知ったら理想との乖離に幻滅して離れていくんだ」と思い、付き合うようなことにならないよう立ち回ってました。

 

高校に上がって結果を出しても「上には上がry」で同じ。大学に上がって結果を出しても「上には上がry」で同じ。

 

「これは運動という分野が自分と合っていなかったからだ。長期的に考えたら効率が悪いから深層心理で価値を低く見積もっているから自信が持てないんだ」

 

そう考えまして、今度はビジネスを頑張り自信をつけようと思いました。

 

で、どうせやるなら不労所得的に稼げるものが良い。あと人との関わりが極力少ないものが良い。と考えて、じゃあサイトビジネスが楽そうと至りまして、現在に。

 

今のところそれなりに成功しているような気もしますが結局これも「上には上がいる」とか「他人に言っても価値を感じてもらえないだろう」とか、何かと理由をつけて自信につながるようなことはなかったんですよね。

 

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人生を客観的に振り返ってみると自信持てても良さそうな経歴なんですが、なんかダメなんですよね。脳の構造がおかしいのかもしれない

 

多分能力を得ることによって改善しようとするより、認知療法にでも手を出した方が早そうな気はするんですけど、なんかやる気がでないという。

 

それから自信どうこう以前に、人間を信じることが出来ないっていう問題も抱えているのかもなと思いました。ネットで人間の悪意を見すぎて、人間不信になったのかもしれない

 

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こんな記事書いてますけど未だに自信をつけるために能力を磨こうとしてるんですよね。そんな事するより認知療法試したほうが百倍楽だろうし百倍効果的な気がするんですけども

 

信じるものは足元すくわれるなんてネットでは言われてますけど、他人を信じる心や自分を信じる心は大事なんじゃないかなーと思いますね。全部程度問題なんでしょう