小説家という職業という本を読みまして、内容については触れないですが共感を受けたんですね。
特に良いなと思ったのが小説家というのは一人で完遂できる作業でありながら、多くの人を巻き込める仕事であるという点です。人を雇って事業を行っていくというのも考えて、実践したりもしたんですがどうも合わないので、その形は凄い良いなと思ったんですよね。
だもんで今年は小説をビジネスにしていこうと思い、戦略については伏せますが理想パターンと妥協パターンを組んで挑戦してみようかなと考えました。
で、理想を現実にするにはまず手を動かすべきだと思いまして、2月14日から3月5日までの計20日間で、ライトノベル新人賞に投稿できる文量の小説を書いたわけですよ。
結果的にできたのは八万五千文字の作品で、ここからブラッシュアップを入れていくことを考えれば十分な文量にできたかなという感じであります。
今後も一ヶ月半に一本ぐらいのペースで小説書いていきたいと思うわけですが、流石に休息を入れるわけで、そうするとせっかくの経験が失われてしまう恐れがあるわけで、忘れないうちに何考えて長編小説完成させたのかまとめておこうかなっていう記事です。
ワンシーンに一つ面白い要素を入れた
例えばドラゴンクエスト3を小説にするなら、朝起こされて王様と対話するまででワンシーンだとした時、その中に面白いと思える要素を必ず入れることにしたって話です。
面白いっていうのはちょっと前に考察してまして「許容できる非常識」、要はボケを入れ込むことなので、どうにかして登場人物の誰かなり、それができないなら描写で無理やり盛り込むようにしました。(ボケはギャグに限らない)
基本的に小説っていうか物語の面白い要素って人間に帰属するものだと思っていて、だから面白い要素は会話に入れていくほうが自然なはずと理解してます。なんで登場人物にボケさせるようにしてました、そのために非常識な行動のできるキャラクター設定をしておくのが良いかもしれないすね。
昔読んだキャラクター論みたいな本に、残念なイケメンこそが理想って話が書いてあったんですけど、多分こういうことなんだろうなって思います。完璧超人にするとボケさせにくいので残念要素入れて動かしやすくする的な
プロットをたてなかった
これは人によるんでしょうけど、僕の場合はプロット作らないほうが良いなと感じました。
多分なんですけどプロットを作ってしまうと、それをなぞろうとしてしまうんで、キャラクターたちの動きや会話に不自然さが生まれてしまうんだと思うんですよね。だからプロットを作らず、その場その場の思いつきで動かしたほうが自然になりやすい、自然に動いたキャラのほうが読み手は物語に没入しやすいだろうから、そっちのほうが良いだろうって考えです。
ただプロットを作らないと言っても中盤ぐらいからはなんとなくオチも考えて、そこに向けて方向がぶっ飛びすぎないよう調整はしました。感覚的には風呂敷をたたまないと文量超えるなって思い始めたらイメージし始めると良さそう。(今回は文量少なくなりすぎたんで、オチをイメージするのが早かった説ある。もう少し風呂敷広げても良かったかも。確か4万字ぐらいで先を予測し始めたと思う、多分)
面白さを追求しなかった(完結するまで推敲しない)
小説を書きたいけど書けないっていうのは多分、自分の文章を読み返して「なんか面白くないな」と思ったり、書いている最中に「面白く書けない!」ってなるからだと思うんですよ。
物語ってワンシーンだけ切り抜いたところで面白いと感じることは稀で、例えばマミったとかいう言葉ができる程度には印象深いあのシーンも、あそこだけしか見たことがないって人からすれば感慨深さなんて無いと思うんですよね。事実僕はまどマギ見たことないんで、あのシーンに対して特に何も思わないです。グロいねってぐらい
それを踏まえると書いている最中に読み返したら面白くないと感じるのはほぼほぼ当たり前で、それによって創作モチベーションを落とすぐらいなら推敲は完成してからすべきだよねっていう。いちいち書き直してたらキリがないし、そもそも物語は全体通しての整合性で見るべきなんだから、完結してないもの修正しても大して意味ないでしょう。
あと自分が書いてるものって一度脳内で描かれたものであることが多いんで、一回見たやつなんですよ。どんなに素晴らしい話であっても知ってるってだけで一気に魅力が落ちることは多々あるんで、書いている最中に面白さを感じにくいってのあると思うんですよね。
なんでとにかく面白さを追求しないで完結まで突っ走るってのが良いのかなと思います。(ワンシーンに付き一個は面白い要素を入れるってのと矛盾してそうですが、あれはあくまで理論的に考えたら面白いだろうってものを入れようという話なんで、主観は関係ないですから。特に矛盾してないはず)
※ちなむと文章力が気になるみたいなのも無視でいい、小説の価値は面白さにあって文章力は本質じゃないので。「文章力ガー」という評価を受ける時はそもそも読み手がそれを面白いと思えなかったから細部が気になった、と言うだけで面白さとの関係はない。純文学やるっていうなら要るかもしれんけど
会話文ベースにした
途中にも書いたんですが、物語の面白さの根幹って人間にあると思うんで、会話は重要だと思うんですよ。
本質的には会話じゃなくて人間同士の掛け合いにあるんで、地の文によってバトル描写したり心理対決を描いたりするのでもいいと思うんですけど、とにかく人対人の構図を多く入れるようにしました。
ライトノベルはあくまでライトだし、会話文ベースにしたほうが読みやすくて読者受けしやすいかなっていう考えもあります。
設定を作り込まないようにした
キャラ設定とか舞台設定を作り込んでしまうと、前に書いたプロットの話と同じで、物語の動きが不自然になってくるんですよね。
書き方が思いつきベースでやっているので、整合性を取りにくくなり、違和感が生まれちゃうんですよ。
なんで設定は簡単なSS作れる程度(最低限のイメージができるぐらいの情報量)にして、書きながら空いているとこを埋めていくぐらいの気持ちでやりました。これに関しては書き手によって最適解が変わってくるような気はする。
執筆スピードを見える化した
ストップウォッチを使って、何分間で何文字書いたかっていうのを逐一メモするようにしました。
こうすることでノルマ設定をした時、後何分頑張れば終わるかわかるし、数字を入れていくことでモチベーションも上がるだろうと考えまして。
多分効果はあったらしく採用してからは一日7000文字前後で作業を進めることができました。
瞑想・シャワー・散歩を活用した
瞑想や10分間の早歩きで意志力が改善されたとか、シャワーを浴びている最中にアイデアが思いつきやすいとかって研究を読んだので行き詰まったり、作業に手が伸びない時やるようにしました。
(瞑想・散歩は行き詰まらなくても毎日やるようにしてた)
個人的に瞑想の効果は高そうで、これを採用してから一日の作業量をぐんと増やせた感じあります。話によるとやたらめったら考え事をしてしまう人ほど効果を感じやすいって話なんで、自分には向いていたんだろうなと思うところです。
散歩に関しては運動ってのもありますが、あまり見たことのない景色を見ると脳が刺激されて良いみたいな話もあるし、単純に僕もそうしたほうが頭がスッキリするので、マジで無理ってなった時はちょっと遠出して森林公園みたいなとこ行きました。効果あったと思うけど花粉で死んだので当分行きません
とりあえず五分間やった
やる気の科学では作業を始めて五分ほどすればやる気が出始めて、作業に対しての意欲が上がるっぽいので、そこを意識して作業の手をのばすようにしました。
とにかくやり始めがキツイので、ハードルを下げまくって「5分やったらやめる」とか「一文字でいいから書く」とか「次何を書くかだけでも考える」とか。そんな感じでやり始めることだけ。ここがマジでキツイのでなんとか乗り越えるべし、頑張れ俺
ちなむとチロシン不足とかビタミンD不足とかストレスレベルとか諸々の状況によっては五分間やっても無理パターンは余裕であるので、ダメだった場合は体調管理を意識すべし。
カフェイン死ぬほど飲んだ
なんだかんだカフェインは強い。
目が覚めるし、なんでも思考が深くなるとかいう実験結果もあるみたいで、より深くワンシーン、一描写を考えられるようになった。
約二十日間がぶ飲みしてたのでどんどん服用量が増え、最終的に300mg近く摂取してたと思う。ヤバイ(モンエナ355mlに入っているカフェイン量が確か130mgぐらい)
まとめ
- シーンを書くなら面白いを必ず入れる(説明・描写だけにしない)
- 不自然になるからプロットたてない
- 会話文なり人対人の要素を多く入れる
- 設定を作り込まない
- 執筆スピードを見える化する
- 困ったら瞑想・シャワー・散歩でごり押す
- とにかく触って、五分我慢
- 最終的にカフェインでごり押せ
とりあえず今回意識したのはこんな感じ。
これ書いてる時点ではまだ完結させた作品を読み返してブラッシュアップしてないので、それしたら反省点が見えてまた考え変わるかもしれない。
一度書いた作品の内容を忘れて客観的に物語を見たいのでまだ読めんのですよね。アウトプット疲れたからインプットして作品のことを忘れつつ、渇きを麗したい所存であります。
追記:
書き忘れてたんだけど製作期間は漫画やらアニメやら影響を受けそうな作品には触れないようにしてた。それもあってSNSに触れてなかった。
何かしらの影響を受けるとそれを盛り込みたくなるのが心情ってものだけど、実際にやってしまうと不自然さが生まれてしまうのでやらないほうが良いという判断