INTP型のブログ

苦味があるな?

どんどん自分で考えるってことが出来なくなってきたマン

そもそもの話、僕の人生は誤ったことばかりなんですよ。

 

学生の頃から謎理念の元、教師の言うことを聞かなかったり、オカルトに嵌って果てには2chの活動家になったり、「栄養なんてサプリでオールオッケーやんけ」と思ったり。自分で考えた結果、好転したことがゼロというわけではないですけど、後々思い返すと効率悪いし微妙な択だよなぁと思うことが多々あったわけです。

 

その根本原因は知識がないのに自分で考えまくったからで、そりゃ車輪っていう技術すら知らないのに車を作ろうとするような真似をしたら、正解を選ぶ前に誤った選択をしまくるのは当然なわけですよ。

 

だもんで、ここ最近は正解……とまでは言い切れないでしょうが、比較的正しい可能性の高いデータを参照して、自分の体やら人生の中で試してみて取捨選択を行っていくという形に変えたんですが、まあやっぱり昔に比べると遥かに効率的で良い方向に舵を切れている感覚があります。(まあ大きな流れをミスってる感じがあるので、些事かもしれんけど)

 

しかしこういう「提示された正解を実行するだけ」って日々を送っていると、なにか問題にぶつかった時自分で考える前に正解を探すようになっちゃったんですよね。

 

別にそれが完全に悪いことじゃあないんでしょうが、ただ単純に面白くないなとは思うわけなのですわ。

 

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このブログで何度も面白さについて考えたことあるんですけど、それって一言で言うなら意外性なんですよ。

 

じゃあその意外性って何によって生まれるかと言うと無駄から生まれるんじゃないかと思うわけです。

 

例えば車輪の作り方はおそらくAmazonで検索かけて上の方に出てくる書籍を購入してしまえば把握できることだと思います。しかしそこには意外性なんてものはなく、実用性しか無い。それでは面白くないわけです。

 

幼稚園児に車輪を作ってみようと投げかけて、三角形の車輪が出てきたり。四角の角をひたすら直線で削って真円に近い状態を作り出す子が出てきたり。

 

そういう選択の多様性の中にこそ意外性ってものがあって、面白さが眠ってると思うわけです。だからこそ自分で考えることをしなくなってきている = 面白さを失ってきているだと思うわけで、それは嫌だなぁと。

 

しかし現実問題、実用性を高めることで得られるものも多かったりするわけで、ここの両立っていうのがこれからは求めていくことなのかなと思ったりしました。

 

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こっから蛇足

 

こうやって考えてみると自発的思考癖の強い人間ほどある種面白くなりやすいと言えるのかもしれないんすな。もっというと自発的思考によって出てくるのが現実離れしてるほうがより面白いとも言える。

 

自分で考えたがるのはMBTIで言うところのTiで、非現実的な思想はN系統で算出されがちなように見えるからTi-Neの並びは面白いを考える上では強いんだろうね。(自画自賛みたいで書きたくないけど)

 

ただ問題になるのが突拍子もなさの度合いで、前にも書いたけど非常識的な行動が許容範囲外になると面白い以前に気味が悪いとかになっちゃうんだよね。もしくは下品だとか。

 

その許容範囲外か許容範囲内かを見定める能力っておそらくSiからくるものに見えるから、そういう意味ではSiも大事なのかもしれない。もしくはFeやTeとかで、集団内での正しい立ち振舞を認識できるとか。

 

総括するとTi Ne Siの並びを持つINTPが最高に面白いを生み出しやすいのではとなるのだけど、ブログタイトルを見るにこれを書いているやつがINTPかもしれないので、ポジショントークとなりとても気色が悪く、興味深い的な面白い話から、自画自賛を繰り返す輩の気色の悪い話ということになるのでした。

 

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もうちょっと蛇足

 

今回の思考整理でなぜ自分の作る作品が面白くならないのかなんとなく気づいてきた気がする。多分商業的正解を求めているからなのだと思う。

 

そもそも自分の能力として商業的正解を実践していくって能力はそんなに高くない、ハンターハンターで言うところの具現化系なのに強化系のトレーニングばっかりしているみたいな、効率の悪い手法をとっている状態で。

 

だからどうしても面白い作品が作れてないんだと思う。

 

ありがたいことにこのブログは面白いとか読みやすいとか、褒めてもらえることがちょくちょくあって、その理由は多分僕が頭を真っ白にして書きたいことをただ書いているだけだからなのだろう。

 

なにかに触発されて、好奇心のまま情報を調べて、それを元に自分の頭の中で分析して吐き出す。ただの自己満足のブログなのだけど、自分の得意とする能力ばかり使っているから、それでも付け焼き刃で書く作品より断然面白くなってしまうのだと思う。

 

……しかしこの考え方の致命的な問題は、得意とする能力を使うということは再現性ゼロで、気分で作るってことになるわけで。それって安定感がまったくない博打みたいな感じになっちゃうんだよな。

 

逆に言えば、面白いを作り出したいときだけ頭の使い方を切り替えられればいいわけで、となると自動書記トレーニングとかそのへんの能力を習得してみるのもありかもしれないなと思った蛇足の蛇足の話でした。