2018年末ころから社会的強さみたいなものを意識していたところがあって、例えば炎上に繋がりそうな要素はメインの仕事では徹底的に排除するようにしていたし、一般的な人に伝えたとき受け入れられやすいことを意識したりもしていました。
自己嗜好より他者嗜好というか、政治的に強いものをなるべく軸にしていこうと思っていたわけですよ。
そんな感じで”理想的”なことを頑張ってきてたんですが、なんか違かったのかもしれないなと最近思いまして。
というのも最近大洗という場所に行ってきたんですよ。
大洗はガルパンの聖地で、なんかすごいらしいと話には聞いていて。ガルパン好きの度合いとしては数年前にアニメと映画はひと通り見た程度で、関連グッズには特に触れてなかったぐらいだったんですが面白いかなと思い行ってきました。(この関連グッズに触れないというのもオタクらしい仕草が自分の周りでは弱い属性だったからなのもある)
そんなライトなガルパン好きの僕ですが、街全体がガルパンとタイアップしているというか、一体化しているような雰囲気を見てすごく楽しかったんですよ。
正直僕は世の中一般的に楽しまれていることが大体好きじゃないし、なんなら嫌いまであるんです。
例えば芸能人とか歌とか、自分の周りで話題の中心になっていたものがあんまり好きじゃないんですよ。というのも小さい頃からアニメやらゲームやらが好きだったので、周りが「ねえねえ、AKBの番組面白くなかった?」みたいに話しかけられたとき「見てない」と何度も答える羽目になったので、なんだかそれ自体が嫌いになってきたというか。
「どうして知らないの?好きじゃないの?信じられない」みたいな態度を取られた日にはなんで趣味嗜好の違いだけでマウント取られなきゃいけないんだよカスがという思いでいっぱいになったものです。
まあそんなわけで僕にとって街というものは退屈で興味のわかないものに溢れた場所なんですよ。でも大洗はガルパンという好きなものに溢れていて、単純に楽しいし、ここが自分の居場所なのかもしれないとすら思ったわけです。未だにこう書くとキモいヲタクだなと自己嫌悪してしまうんですが。
本当に大洗がすごく楽しくて、そこでこう思ったんですよ。
「理想を追いかけて手に入ったとしても、こんな楽しい思いはしないんだろうな」
大洗からの帰りの電車でタイトル通り、理想的なことと好きなことは違うんだと思いまして。
ガルパンのようにヲタク色の強い作品であっても、老若男女問わず商店街の人々が、大洗という色んな人のいる街自体がガルパンというものを受け入れ共生していて、無理に理想的なものを目指さなくてもいいんじゃないかと思ったんですよ。だって自分の好きなものと共存してる街があるんだから。
身内に笑われようと、誰かに後ろ指さされようと。好きを否定せずまっすぐ向き合ったほうが楽しそうだよなーと漠然と思いました。
そんなわけで仕事の方針も身の回りの置き方も少しずつ変えていこうかなと、今までは
- 理想的なものに近づくために、必要な能力や戦略を考えていく
だったんですが、これからは
- 好きなもので生きていくために、必要な能力や戦略を考えていく
っていうふうにしていこうかなぁと思っています。
昔を思い返せば、誰かに怒られようが、嫌われようが。悪ふざけをしたいと思ったら、ワクワクしながらやったもので。そういう楽しいと思える瞬間に正直に向き合えるようになれたらなと思いました。
もちろんあらゆることは程度問題だと思っているので極端に傾倒することはしません、これを機に緩やかな方針転換が出来たらなぁとか思ったという話でした。