最近友達が
- 「好きって言われたから好きになっちゃうやつって芯なさすぎだよな」
みたいなこと言ってたので
- 「それを言ったら、例えば少年漫画の雛形みたいな『守ってもらえたから好きになった』とか『優しくしてもらえたから好きになった』も、相手から好意を示されたから好きになったって構図は同じなんだから、こういうのも芯ないってことにならん?」
と返したら「いやいや全然同じになんないだろ」で平行線になったんですが、捉え方がずれて平行線になったらすり合わせムズいんだなぁと思ったという話なんですよ。
すごいざっくりいうと、僕は
- 「チューリップの持つ花としての性質を批判したら、バラもカーネーションも同じ花なんだから批判するんだな?」(抽象)
って主張で、友人は
- 「いやいやチューリップもバラもカーネーションも全く違う花なんだから論点ずれてるだろ」(具体)
と言ってるわけですよ。
で、なんで平行線になったかといえば「僕が共通項だと思っていることを相手は共通項だとは思ってないし、それ以外の要素の影響もあるんだから論点ずらしになる」と考えているからですね。
要は
- 「守るや親切といった行動で示すものと、言葉だけで示すものでは好意の示し方として同じものとは言えない」
- 「そもそも守るや親切が持つ行為を示した以外の要素を排除してしまっているから話にならない」
みたいな感じ。
逆に僕としては
- 「相手の好意に合わせて自分の好意が上下することを批判している」
- 「ということは守るや親切といった別の好意の示し方で好感度が上下するのも同じく批判すべき」
って主張っすね。
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別に僕としては結論がどうなろうがどうでも良くて納得感があればいいので、相手の主張がどういう原理の元行われているか分かったので特段どっちが正しいか決めたわけじゃないです。(そっちの言いたいことは分かったから、こっちの言いたいことも分かってくれのスタンス)
ただただ抽象と具体はぶつかりあいやすいなぁと思ったというだけの話でした。
結局の所程度問題なので、例えば「チューリップ好きなんだよね」って言ってる人に「じゃあバラもカーネーションもタンポポも花全部好きなんだね」と、抽象的に捉えるのはやりすぎなのではと思いますし。
同じく「チューリップ好きなんだよね」と言った人に、「チューリップと言ってもイルデフランスとかメリーウィドーとかピンクダイヤモンドとか色々あるよね?どれが好きなの?」ってより具体を求めすぎるのもやりすぎに見えます。
より具体的を求めすぎて掘り下げすぎるのも、抽象的に捉えすぎてふんわりとしか認識できないのも、微妙そうだなぁという話でした。何事も程度問題すね、そのラインを見極めるのがまた難しいわけですが。