INTP型のブログ

苦味があるな?

強者と弱者の溝

強者と弱者って表現を使いましたけど、いわゆる『隣の芝生は青く見える』ってやつですよ。

 

前に、持続化給付金をもらったと知人に話したことがあるんですけど、それ以来一緒に飲みに行くたびに会計時「じゃあ今日はニゲェさんの奢りってことでw」みたいなジョークが入るようになりまして、繊細な人なこともあり「不快だからやめろ」というのも恐ろしく、まあいいかで放置してるんですが、やっぱり思うところもあるんですよ。そもそも給付金をもらうぐらい収入右肩下がりで、お先真っ暗人生なのだが?そいつにいいとこの正社員が奢らせようとすんの?っていう。

 

こういう現象って色々形を変えてあると思うんですが、抽象的に捉えると「悩みを本質的に共有できない」って部分がタイトルにも書いた溝を生んでいくんだろうなと思うんですよ。

 

最近Twitterでブスはツライ、美人はいいよなって漫画を見て、確かに美人は得してるとは思うんですが、それによって発生する不満が無いわけじゃないんですよ。「じゃあブスになれよ」とかそういう反論は刺さるだろうし、でもそういうことではなく、ただ単に不満を共有しても「でも得してんじゃん」で受け入れてもらえないことがツライ。

 

そうなると同じ悩みを抱えてる人同士で集まったほうが楽なんですよ。不満を共有したら心の底から「わかる…!」とか「大変だったね…」って言ってもらえる経験、強者になればなるほど少なくなるわけで、だからこそこの共感は貴重かつ、とても嬉しいものになる。

 

これが強者と弱者の溝を生んでくんですよ。

 

友人が成り上がった時に「お前は運が良くていいよな」なんて言った日には、相談がされなくなり、疎遠になり、いつの間にか将来的に困ったとき余りあるリソースで救いの手を差し伸べてくれたかもしれない、強者な友人を失っていく。

 

SNSは共感ベースのコンテンツを多く生み出していて、だからこそより多くの強者と弱者の溝を作っていったと思います。金持ちは金持ちとつるむし、芸能人は芸能人とつるむ。なぜならそうしないと、包み隠さない嫉妬と羨望が入り混じった感情をぶつけられてしまうのだから。

 

別に強者と弱者の関係性ですら無いのに関わらず、労働者と個人事業者ってだけで「時間に余裕があっていいですよね」だの「頑張ったら頑張った分だけ報われるじゃないですか」だの。いつでも仕事してもいいし、いつでも仕事しなくてもいいからこそ、休みと仕事の境目がなく、常日頃焦燥感にかられるなんて悩みは共感してもらえず。逆に「上司が~」だの「納得行かないことがあって~」だの、僕自身労働者だったからこそわかるのでそっちは共感されていく。

 

弱者の愚痴ほど共感されるものはないし、強者の愚痴ほど否定されるものはない。

 

なんていうのは、流石に言いすぎかもしれませんが、弱者性…いわゆる可哀想の度合いの強弱で共感されるかされないかが決まっていく世の中、そりゃあ相対的に見れば強者のほうが否定されていくでしょうよ。

 

分断社会が問題視されている感じしますが、そこを乗り越えるには「想像もできない、他方からすれば羨ましくもある悩み」に共感していくことがまずは必要なんじゃないのと思う、腰が痛くて眠れない夜でした。久々にジョギングしたら腰が砕けて横になれんっていうね。まあでも寝るわ、おやすみ。