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苦味があるな?

倫理観はどこまでいくのだろうか?

locafra.com

 

とてもいい記事だった。

 

こういう話は同情するかしないかの線引をどこに置くかという話がやっぱ一つのテーマよな。(そしてもう一つは同情するとして、その上でその気持ちにどうやって折り合いをつけるかという部分。ビーガンだったり感謝だったり慣れだったり無視だったり)

 

 

あまり詳しくはないけど、同情するかの線引は感情表現をする哺乳類かどうかみたいなところにある気がする。俺も人間なので分かるけど、やはり哺乳類はそれだけで感情移入しやすい。感情移入した生き物が害されてるさまをみたらサイコパスじゃないので動揺はする。

 

でも経済的合理性が低いことをしたら、記事内でも触れられていたけど、倫理的に優しい運営方針の牛舎から潰れて、安く作って高く売るでやってるファクトリーが儲かり、より牛たちの境遇は悪くなる。

 

じゃあ全人類ヴィーガンが達成できるかといえばそれは明らかに難しい……と思うのだけれど、奴隷解放の延長線上で起きることもあるのだろうか。

 

今の自分の感覚では、人間を経済動物のように経済人間として捉えることは出来ないけど、多分昔の奴隷商はそんな感覚だったのではないかと思う。

 

例えばあなたが釣りをして、生きたまま釣った魚をさばかなければいけないとき、首元にグッとナイフを入れて、血が吹き出て痙攣する魚が死ぬまでをただ、じっと待つであろう。

 

小さい頃は生きたまま捌かれる魚やカニに感情移入していたような記憶があるのだけど、まあ牛や豚に比べたら魚やカニは二の次のようには思う。

 

昔はこの線引が白人と黒人みたいなところでも分かれてて、だから奴隷が人間であってもそれは別と感じてたんじゃないかなぁという。

 

もちろん奴隷も牛や豚と同じ用に利益をもたらすものとして、サイコな金持ちでもない限りある程度大切に扱ってきたのだろうし、場合によっては愛情も注いだろうけど、それでも人間と経済人間として線を引いてたんじゃないかと思う。

 

それで言うと倫理観が、奴隷も人間だし同じ扱いをしなくてはいけないと変わってきていていることを考えたら、もしかしたら牛や豚も同じ哺乳類だぞと合成肉を口にするような時代が来るかもしれない。

 

まあ昔奴隷がやっていたようなことも賃金が発生する形である程度残ってたりするし、需要がある限り肉食がこの世から消えることはないだろうけど。(肉食動物が愛玩動物としているしな)

 

そんな感じでタイトル通り『倫理観はどこまでいくのだろうか?』と未来に思いを馳せるのでした。