INTP型のブログ

苦味があるな?

断捨離母

スピリチュアルにドハマリして、瀬戸内寂聴やらなんかよく知らん温和そうな笑顔が表紙に描かれている老齢の女性の本が家中にある母なのだけど、最近はこんまりにでもハマったのかとにかくモノを捨てているようだ。

 

別に家を出ている身なので何捨てようが良いんだけれど、姉の工作品や俺のゲームなども勝手に捨てるなり売るなりしている時期があった。

 

それで一度ショックな事があり、まあでも大人だしスルーしとくかと無反応を貫いたら、なにか察知したのかそれ以後やたらとこれ捨てるけどこれ売るけどと連絡が来るようになった。

 

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別にいいといったけど、本音を言えばそれぐらい取っといてもよくねーかと思わなくもない。

 

特に姉が幼稚園児ぐらいの頃に作ったであろう工作品も問答無用で捨てることにしたようで、なんというか母にとってそういうものを見て思い出に浸るみたいなシーンはないのかともやもやした気持ちになる。そしてそんな女々しいこと考える自分も少し嫌になる。

 

合理的に考えれば使わなくなって久しいものが再度使われることなんて無いのだから、モノを捨てて今使うものにスペースを割くのは良いだろうよ。モノが多いことは基本的にはよくないことのほうが多いしな。

 

だからまあただのワガママなんですよ。昔愛用したものが実家にわずかでも残ってたら、なんか良いなぁというわがままなんです。

 

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思い返すと母親とは小さい頃から本当に相性が悪かったと思う。というか普通に性格悪いと思う。

 

宿題の答え合わせするのを母親がやるとうるさいので見せたら、背中の背が間違っていると言われ、当時月じゃなくて貝だと思っていた俺は何度も北の書き方を工夫してブチ切れられたりしたんですけど、嫌々おかしいだろと。暗記科目で答えでなかったのになんで繰り返しやれば出ると思ってんだこのバカはと思ったものだし、

 

テレビ見ながらチャーハン食ってたら、食べるの遅くて食器を片付けられないことに切れた母親に外に締め出されたこともあったっけか。で、仕事終わりの父親に入れてもらうというな。

 

(根本的に何も知らねーバカのくせに、なにか聞くと「教育だから」みたいな雰囲気出して自分で調べなさいと言ってくるのもマジで嫌いだった。自分で調べるが最適解ならこの世の中に学校も習い事もコーチングもコンサルティングも全ていらねーわバカが。)

 

もちろんこういう嫌な思い出だけじゃなくて、いい思い出もあるような気はするけど、いい思い出のレベルは友達と野球して帰ってきてそれを話したら珍しく何も言わずに良かったねと話聞いてくれたぐらいですよ。

 

中学生の頃は陸上で全国大会まで行きましたけど褒められませんでしたからね。振り返ると小さい頃は母親から褒められたいという呪いがあったように思うわ。

 

なんていうか人間は長く付き合ってきた人間に対して、嫌なところがあったとしても「もしかしたら自分の思う良い反応を示してくれるようになるかもしれない」って期待が湧くんだと思うんですよ。

 

だけどそんなことはまず起きないんですよね。怒ろうが主張しようが、短期的には変わるかもしれないけど長期的には変わらない。勝手にモノ捨てるなとブチギレたことあったけど、短期的効果はあれど長期的にはまた勝手にモノ捨ててるんですよ。

 

(てかあの女、怒られると泣いて被害者面するんですよ。だからか知らないけど、そういう対応されると怒りがスーッと引いて、こいつは人間じゃないんだなぁという気持ちになるんですよね。)

 

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それはそれとして表面上だけでも仲良さそうに見せといたほうが得なこと多いし、父親とは仲が良いので、心底気に食わないやつであってもできる限り普通に対応しなきゃいけないのが人間関係の難しさだよなぁと、実家に帰るたびに思います。はい、そういう愚痴でした。