1.意外と作る人向けの店って無いんね
いや、隅から隅まで見たわけじゃないからわかんないけど、なんていうかこうイラストレーター向け専門店とか、プログラマー向け専門店とか、ゲームクリエイター向け専門店とか。
秋葉原のオタクと相性の良さそうなクリエイター職、それ向けの専門店っていうのが無いんだなぁと思った。
そういう店は人がそもそも入ってこないって言うのでつまずきそうだけど、秋葉原のオタクはちょろちょろ入ってきそうだし、入店するだけで自尊心も満たせそうだし、なんかしらやる人いそうだなぁとか思ったのだけどなかった。(本当になかったのかは知らんけど)
2.オタクはすげぇモノを探すんだろうなぁ
缶バッジが数百、数千ぐらい陳列されている店があったんだけど、ああいうふうに超大量の陳列を行うと「いっぱいあるなぁ」と満足感は与えられるんだけど、ちゃんと見る人は少なくなるみたいなマーケティング理論があるんですよ。だから確かだけど選択肢は7つぐらいまでにしとけよみたいなのがあったりするわけで。
店の場合は区切りを用意することで選びやすくするんだけど、(ちょうどウェブライティングで文章の塊をスペースを開けて配置していくみたいな感じ)缶バッジはそういうのもなくとにかく大量配置って感じだった。
それでも見てる人はちらほらいたので凄いなぁっていう。
しかし考えてみると、僕が高校生の頃狂ったようにカードゲームのストレージを3,4時間ぐらい平気で見続けていたことがあるので、共感できる案件なのかもしれない。
3.フィギュアの前で脚をとめる人たち
ラジ館内にフィギュアがショーケースに飾られているコーナーがあったんですよ。
通行のスペースにあるのに、そこで目を奪われて足を止める人達が結構いて邪魔クセェなぁと思ってたんですけど、僕自身特に知らないキャラのものだけどすげぇと見ちゃったんですよね。
最近つくづく、凄みを出すのは五感的要素だなと思っていて、例えばハリウッド映画のハッカーの凄さってすげぇ早いタイピング速度とか、ハッキング成功後の動作によって表現されるじゃないですか。別にどんなコードが入力されているとか、どういう発想でそのハッキングを行っているかで凄みが評価されるわけじゃないんですよ。(クラッキングというツッコミ)
だから凄みって五感的なことが多いよなあって思っていて、だからこそフィギュアの造形とかそういうので足が止まっているんだろうな、3D強いなとか思ってたんですが、しかし考えてみると箱の中身がみえるように積んであるフィギュアの前では足止めてる人いなかったんですよね。
クオリティの差もあるかもしれんですけど、単純にショーケースっていうモノの持つ意味が影響してんのかなぁと思ったり。
ショーケース = 高級って刷り込みが、より一層そこに並ぶフィギュアの印象をハイクオリティにしていたのではないかという話です。
確かに秋葉原にはイラストが広告を含めると沢山あるんですけど、別にそれら全てで足を止めて見るわけじゃない。いいものがあればまじまじ見てみるという感じです。
しかし、フレームに入っていて、厳かな空間に飾られているイラストは無条件で通常より時間を割いて見ていたような気がします。
ガラスによって区切られた空間の向こう側に、人間は何かしらの欲求を持っているのか、特別な意味付けを持っているのか……
そんな感じ。
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あと余談だけど、他の街に行ってもそんなに興奮しなかったので、多分東京全体の凄みにテンション上がってたのではなく、秋葉原の雰囲気にだけテンション上がっていたんだと思う。自分が思っている以上にオタク的な欲求が強いんだなぁ……