1.親和的ユーモア:友だち多め。自尊心や幸福度もかなり高めで、感情的に安定しており、社会にもよくなじむ。鬱傾向にはなりにくく、ビッグファイブでいうと外向性と開放性が高め。
2.自己高揚的ユーモア:鬱や不安傾向はかなり少なめ。創造性が高くてストレスにも強い。自信、楽観性、幸福度はいずれも高め。ビッグファイブでは外向性と開放性が高く、神経症傾向は低め。
3.攻撃的ユーモア:ビッグファイブの神経症傾向がかなり高め。いっぽうで調和性と誠実性がかなり低く、不安を隠すために攻撃的な冗談に走る傾向がみてとれる。
4.自己卑下的ユーモア:こちらも神経症傾向がかなり高く、調和性と誠実性は低め。自信や幸福度は低く、鬱や不安症にもなりやすい。
1.親和的ユーモア:周囲との共感を上げて、他者との結びつきを強めるために使われる笑い。「あるあるネタ」とかが典型例かも。誰も傷つけないことが重要なので、たとえば「顔芸」や「ダジャレ」なんかもこの範疇。
2.自己高揚的ユーモア:ストレスフルな状況を笑い飛ばしたり、何気ない日常におもしろポイントを見出すような笑い。自分の失敗を笑い飛ばしたり、嫌な作業をゲーム形式にしてみたりとか、そういうことっすね。最近の映画だと「オデッセイ」の主人公とか、自己高揚的ユーモアの固まりでしたな。
3.攻撃的ユーモア:他人をけなしたり、からかったり、皮肉ったりするタイプの笑い。差別ネタなんかもこの範疇。昔の「ねこぢる」とか「サウスパーク」的なやつですかね(どっちも好きだけど)。
4.自己卑下的ユーモア:いわゆる「自虐ネタ」的な笑い。マルクス兄弟の「私に入会を勧めるようなクラブには入りたくない」みたいなやつが典型例でしょうか。自らを笑い物にする点では「自己高揚的ユーモア」と近いんだけど、こっちは他人の承認を得るために自分を下にさげちゃうとこが大きな違い。
自己卑下的ユーモアと攻撃的ユーモアはすぐ思いつくんですよ。例えば自己卑下的なのは「FXは簡単。下がったときに買って上がったときに売るだけ、俺はこの手法で200万を4000円にした」みたいなやつ。
攻撃的ユーモアは引用にも書いてあるけどサウスパーク的なやつ。これもわかりやすい。
親和的ユーモアも説明を見たら「ああ、TikTokとかで流行ってるタイプの動画やな」となんとなくわかる。
ただ自己高揚的ユーモアだけは説明を見ても全然イメージつかなかったんですよ。
「ストレスフルな状況を笑い飛ばすことがユーモアに繋がるか?」みたいな。
ぼんやり、交通事故にあった時とかに「壁とキスしちまったぜ」みたいなやつかなとか思ったんですが、ただのアメリカンジョークでは?という気持ちもあったり。
で、今日Twitter見てたら鳥人間コンテストで有名になった彼がTLに流れてきて、当時の映像を見たんですね。
「こ、これだぁーー!!」
このくだりとか、まさに自己高揚的ユーモアだなと思うわけですよ。
「悪いねヘボパイロットで」(自分の失敗)→「エンジンだけは一流のところ見せてやるぜ」(ポジティブに塗り替える)
って形が、これぞ自己高揚的ユーモアだと感じました。
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という記事を書こうと思ったんですが、書いてたら
「超高性能エンジンの凄さ見せてやるぜ」→「…まあパイロットはヘボいがな」
みたいにしたら、見慣れた自己卑下的ユーモアに成り代わるので、単に順番の問題なだけで自己卑下的ユーモアと言われたらそうなのかもしれないと思いました。
冷静に振り返ってみると、オデッセイ見た時「食べるものもない、帰る方法もない、絶望的な状況だ。……僕じゃなかったらね」(意訳)みたいなシーンあった気がするので、これが自己高揚的ユーモアで、今回紹介したのは普通に自己卑下的ユーモアかもしれん。
改めてみたら
自己卑下的ユーモア:
自らを笑い物にする点では「自己高揚的ユーモア」と近いんだけど、こっちは他人の承認を得るために自分を下にさげちゃうとこが大きな違い。
って書いてあったし、普通に間違ってたわ。
でも、そしたらやっぱ自己高揚的ユーモアよくわかんないわ。ユーモアというかただのナルシスト発言というか、ビッグマウスというかそんな印象が強い。
ナルシストはモテるという話も加味すると整合性が取れるような気もするけど、本当にこんな短絡的考えで良いのだろうかと思ったり……
結局わからないという結果になった思考でした。
※あくまでこのブログは誰かに見てもらうために書いてるわけではなく、自分の考えをまとめるために書いてるだけなので、こういうのも公開されます。読まれるのは素直に嬉しいけど