さよなら絵梨って作品読んだんですよ
内容どうこうはさておいて、読んでるとき「主人公の成長した姿、めっちゃ父親に似てるな……」って思ったんですよね
それってやっぱ遺伝子のなせる技というか、父親と息子で同一な部分が多いってことだよなと思うんです
遺伝子検査とかしたら、親と子供が紐づいたりもするわけですし、なんかそういう事考えてたら「俺って遺伝子の方舟だなぁ」みたいな気持ちになったんですよね
なんかこう、父親と母親ないし祖父や祖母、その血統が加重平均されたような存在が自分で、もしそんな存在が今の時間軸と環境で生きたとしたらどんな人間になるのか?みたいなのはほとんど決まってるんじゃないかという気持ちになったわけです
量子力学があるからある程度のランダム性はあるのかもしれないけど、観測できないランダム性なんて一度しかなぞれない人間からするとそれはもう必然というか。
俺の屍を越えてゆけってゲームもあったりしますけど、そう思ったとき自分がNPCな感覚に陥ったんですよね。こう機械的というか数学的に計算されて現れたのが自分で、用意された環境に対して時間経過を経た存在が現在の自分でしか無いというか
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何が言いたいかといえば、人生とは必然なのか偶然なのかみたいな?なんか違う気もするけど多分そんな感じ
頑張ろうと思う意志も、何もしたくないなと思う時も、高度な計算機があれば血統と環境を特徴量として計算できるんじゃねみたいな。
それは転じて人生がどう転ぶのか、あらゆる事象は自分の主観からすると、その主観が芽生えたときから終わるときまですべて必然なのではないか……的な?
結論、そうだったとしてそれを証明しようという意志も能力もないし、だからなにかが変わるわけでもないんですけど、なんかそんな感じの思いというか考えが頭に浮かんだという話でした。
※タイトルの意図はそう言うの全部ひっくるめて人間が誕生するって言うより増えてるって感覚が芽生えたということです。だって血統が加重平均された存在が自分だとしたら、人類って共通項がでてくるだろうし、そう考えたときなんか増えたって感じしません?だって量産型ロボットって誕生したというより増えたって感じじゃん。そんな仕組みが人間という生物に備わってるの凄いなというタイトル