ルッキズム[1](英: lookism)とは「looks(外見、容姿)+ism(主義)」すなわち外見至上主義[2]。外見によって人物の価値をはかることをいい、「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」など、外見に基づく蔑視を意味する場合もある[3][4][5][6]。
要は外見ベースでの価値判断、もしくは外見がそぐわなければ蔑視することを指す言葉っぽいです、ルッキズム。
さて、皆さんご存知沙耶の唄ですが、ネタバレになりますけどルッキズムを考えるのにいい題材だと思うわけです。
すげぇざっくり解説しますけど、
- 事故にあって脳に障害を抱えた主人公は世界がグロ肉だらけに見えるようになった
- 親友等も例外ではなく、声すら金切り声に聞こえる(耳を澄ますと何言ってるかわかるレベルらしい)
- そんな中沙耶という普通に人間かつめちゃくちゃ美少女に見える存在が現れた
みたいなのが沙耶の唄です。
主人公はグロ肉だらけの世界で唯一美しい外見をしている沙耶を心の支えにするわけですが、ここまでの話は”程度”を無視するのであればゴリゴリルッキズムなんですよね
親友等の外見も声もキモくなったから嫌になったし、世界もキモくなったから嫌
というのは程度を考えなければ、好ましい見た目と思えなくなったから嫌という話だと言えて、ルッキズム同等じゃないかっていう
もちろん程度を考えるのであれば、流石に同列に考えるには差があるだろうと言えるんですが、その程度の部分を感じ取るのは当人の主観なわけで
要はルッキズムに陥ってる人も、沙耶の唄の主人公と同じような心境なのやもしれんよねという話です。
---
正直、自分も沙耶の唄の主人公になったら気が狂うだろうなぁと思うわけだし、ゲジゲジ見たらキモイなぁと思ったりもしますし、外見による価値判断の影響は受けてるんだろうなと思ったりしました
なんていうかこう、高尚さでいうのであれば外見で判断するのではなく、中身で判断するのだよ。みたいなのは確かにそうだと思うし、そうあったほうが高尚な気はするんですが、それはそれとして自分がそういう判断ができている人間だと思うのは違うのかもなという
もしも外見影響ゼロな人間だとしたら、世界がグロ肉であってもなんら影響を受けないような気がしますし。
むしろ自分は外見の影響を受けていると自覚的であるほうが、外見影響を前提として価値判断に修正をかけなきゃなと思えていいんじゃねとか思ったわけです。
---
何が言いたいかって言うと
- 自分は外見にそんな左右されないタイプだと思ってた
- だけど沙耶の唄を改めて思うと、あの世界で狂うのなら外見影響受けるなと思った(つまりルッキズムな部分がゼロじゃないなと思った)
- かといってだからルッキズムに傾倒しても良いという話でもない気がした
- 結論としては自分は外見に影響を受ける、だからその分考慮して価値判断したいよなに落ち着いた
って話でした。
余談だけど20に満たない頃は斜に構えていたというか、MBTIでいうならSっぽい価値観に自分は影響を受けてないし、なんなら無視できるみたいな感覚あったんですけど、最近は全然そんなことねーわという感じになってきました
これは成長に伴って五感あたりが育った結果なのか、それとも無自覚な部分を自覚できるようになったのかどっちなんでしょうね。
こう上手く自分の中の隠したい部分というか、上手く消化できていないような部分を素直に受け止めて、その上でどうするかみたいなところを少しずついい感じにやれたらいいなーとか思いました
おわり