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苦味があるな?

許容できる非常識ってなんだよって言われたから具体例出す

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物語というのはやってはいけないことほど面白い - INTP型のブログ

 

上二つの記事で、「面白さって許容できる非常識なんだな」(要約)と書いたんですけど、それが良うわからんって言うのでめちゃくちゃ分かりやすいだろうやつ乗っけときます。

 

許容されない非常識の例:

 

 

許容できる非常識の例:

 

 

 この二つはどちらも常識的ではない→非常識な行動なんですけど、片方は面白い! と受け入れられて、もう片方は土下座するまでに発展してるわけですね。

 

この違いは見た人が不快に感じるかって話で、前者はおでんを買う人が明らか気持ち悪いと思うでしょうし、仕事中に何やってんだよと感じるでしょうから許容できない非常識となり、後者は見た人が別に嫌だと思わなかったから面白い(許容できる非常識)と受け入れられたんすな。

 

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「いやいや前者は面白い要素ゼロでしょ」という人もいるでしょうけど、その価値観を全人類が持っているならSNSに動画上げないでしょ。あれが世に出てくるのは、友達には受けていたからってのが前提にあるので面白さを抱えているんですよ。(なんなら後者の動画を不愉快に感じるという人もいるはず)

 

ただ社会的な価値観を捉えておらず、民衆の逆鱗に触れたから土下座して詫びる羽目になったってだけであって。

 

許容できる非常識を行って、紳士的に面白さを得ていくには

 

・社会常識を知る

・それを超えない範囲の非常識を行う

 

ってのが大事なのだろうと思う次第でございます。

どうして怒られが発生するのか

世の中の人間は教師に怒られたくないとか上司に怒られたくないとか、組織の中で上のものに怒鳴られることを恐れておるわけですが、どうしてそれは無くならないのか。

 

普通に考えればこういった「怒られるのは嫌だ」という感覚が今怒られる立場にいるものだけが感じているものでなく、昔からあるだろうことは想像に難くなく、ということは今怒鳴っている人たちも昔は怒られるのが嫌だと考えていた人たちなんですね。

 

人間は基本的に共感力を持つ生き物ですので(それを持たない例外である存在にサイコパスという名前が振られる程度には)、自分がされて嫌だったことは人にはしたくないと思うものなんですな。

 

だというのになぜ世の中から怒られが消えないのかといえば

 

・上の立場に立つと怒る教育が楽なことに気がつくから

・責任などの重圧によって精神的余裕が消え、沸点が低くなるから

 

の2パターンがほとんどかなと思います。(後者は説明するまでもなさそうだから割愛)

 

上の立場に立つと怒る教育が楽なことに気がつくから

 

人間って基本学校にもしょうがなく行ってるし、会社にもしょうがなく行ってるんですよ。本当は自分の好きなことだけしていたい、なんなら何もしたくないみたいな人が大多数。

 

それぐらいの意欲しかないため当然、吸収力も悪いです(そもそも人間の平均能力と今社会的に求められている能力も差が出てきているようにも思う)

 

だもんですから教えても全然覚えてくれない、かといってわからない点も聞いてくれない。みたいな状況が発生し、そこからミスが生まれる。そうしたら「教えたじゃん!」と思うのは普通の人間なら当然でしょう。

 

それでも優しくもう一度教える人情味に溢れた人も居ますが、先程も言ったように人は対して意欲を持って勉強も仕事もしているわけではないので、よくわかってないことが大概なんですね。

 

そんな形でミスが繰り返されていくうちに苛立ち、怒ってみるとあら不思議。今までとは打って変わって熱心に話を聞くではないかと(大抵表面上だけなんですけどね)

 

こういった「怠惰な人間はビビらせると真面目に動く」という成功体験から怒る行動が最適解として見出されていくんすな。

 

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中には教えがいのない部下を持っても延々丁寧に教えちゃうような人も居たりしますが、やっぱそれは例外中の例外で、野球界で言えばプロとして活躍しちゃうような少数派なんですよね。

 

他にも怒られが発生しないパターンがあって、それは部下が優秀であるというやつですな。部下が優秀であれば一度教えれば吸収してくれるわけで、なんら上司がストレスを抱えませんから怒りが組織に蔓延するなんてことはないです。(これは高偏差値の高校ほど校則がゆるいみたいな話にも通ずるとこがありますな)

 

結局リソースは有限なんだよって話になる

 

怒らないためには、精神的余裕(リソース)が必要で、それがゼロになったからキレてるわけなんですよ。

 

精神的余裕を多く持った才能溢れる人間であれば、ストレスを発生させまくる部下やユーザと相対しても笑顔を崩さないかもしれませんが、そういう人は少ないです(主観)

 

それに精神的余裕はどんな人間であれ天井はあるわけで、意欲の低い部下や生徒たちを最低水準の能力まで押し上げるという多大なストレスを感じることをやっていれば、多くはやはりリソースを失ってキレちゃいますよねっていう。

 

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余談なんですけど一時期ライターを募って色々やってた時、教えたとおりにちゃんとやってくれてたのは女性が多かったんですよね。割合的にキレそうになったのは男性のほうが多かった。

 

これは意欲の低い行為でも女性のが頑張れるってことなんですかね。

 

安定の女性、ボラの大きい男性って感じが個人的にはしました。主観なんであしからず

こういうことを面と向かって言わないのがワシクオリティ

 

いや全くもって意味がわからん。

 

「どうせ告白してもフラれるし、どうせキモがられるし」という感覚は、自己愛的なもの(傷つきたくないとか嫌な思いしたくない)とは言えると思うんですけど、他責思考ってのは飛躍してませんかね。

 

仮に「どうせ告白してもフラれるし、どうせキモがられる。だから好きな人に告白して欲しい」と餌が落ちてくるのを待つひな鳥みたいな姿勢なのであれば、自分がしたくない嫌な思いを他人に背負って欲しいと考えているといえ他責思考だと思いますが、件の話ではそこまで出てないので飛躍ですよねっていう。

 

しかもこれが「他責思考であって愛されるに値しない行為」とするのであれば、「どうせ告白しても死なないし、どうせキモがられても女なんて腐るほど世の中にいるし」っていう考え方のほうが他責的ではないですけど、批判される対象になるのではと思うんですよね。

 

なんで他責的であるのがダメかって言ったら「自分が担保すべき嫌な気持ちを相手に与えるから」であり、本質は嫌な気持ちを相手にさせるからなんですよ。

 

「女なんて腐るほど世の中にいるし」っていう考えは要は、「仮にキモがられて不愉快なコミュニケーションを取ったとしても、そこで関係性を断てばその後尾を引かない」っていう相手を嫌な気持ちにしても自分の知ったことではないという、本質的には前者と同じ話なわけで批判対象ではっていう。しかも前者と違って実害がガンガン発生する思考なわけですし(前者は行動しないため被害は暗数になるが、後者は行動するため被害が表出するから)

 

というかそもそもの話、最後に取ってつけたように「こんなこと言ってるようじゃ愛される資格ないよねー」みたいなわけわからん批判を乗っけてくるのまじで糞だと思うんですよね。お前が嫌なだけなのに、なんでちょっと論理的みたいに見せとんのじゃっていう。他責思考が愛される資格がないなんて道理はない(他責ってのは選択権を相手に与えるとも取れるのでそれが良いという人もいる)ですからね。

 

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まあジェンダー的に考えて男性がアプローチしてくれないと、マクロで見たとき婚姻率が低下して少子化が進むので、「どうせキモがられるし」なんて言わず頑張ってアプローチしてくれって話ならわかりますよ。

 

僕が腹立つのは一文の中で矛盾しまくってる論理性であって、もう少し論理を反転するなどして矛盾を孕んでいないか考えてくれやっていう話ですわ。

見出しやタイトルは結論を出すべきか問題

記事を書いている時、悩みがちなのが見出しやタイトルは結論を書くべきかって部分で、例えば「ゲーム部が面白い理由について書きたい」と思った場合

 

「ゲーム部が面白すぎる!その理由とは?」

 

「ゲーム部が面白すぎる理由はキャラクターにあり!」

 

みたいなのが考えられるんですね。で、前者が疑問文で終わらせるパターンで、後者が結論も出しちゃってるパターンです。

 

基本的に見出しやタイトルはこの2パターンで括れるんですけど、どちらにすべきかは議論されがちなんですが、結論みたいなのは出ていません。

 

ただ結論がなかろうとも見出しやタイトルは作っていかなきゃいけないわけで、自分なりの答えを導かなきゃいけないわけなんすな。で僕がどう考えているかというと、

 

・引きの強さ

・情報量の割合

・競合との兼ね合い

 

で決めるようにしています。

 

引きの強さ

 

これはそのまんまですね。結論出しても「???」みたいになり、しかも読みたくなるようなら使ってもよいかと。逆に弱いと感じるなら疑問文で締めちゃったほうが良いですね

 

例で出したやつはまあそうだろうなって感じが強いので疑問文で締めたほうが無難な気がします

 

ただ結論出しても「ゲーム部が面白い理由ってキャラクターだろうけど、実際どうなんだろう」と考えているユーザーの共感を煽って読みたくさせられたりするんで、そこまで悪くもないでしょうが、ちょっと王道から外れる感じはありますね。

 

(共感させる結論出しは自分の意見を確かにしたいとか、うんうん頷きながら文章を読みたい欲求がある場所なら通用する。例えばミソジニーやらミサンドリストの人とか……)

 

情報量の割合

 

こっちはタイトルより見出しの話なんですけど、記事中に使われている見出しが全部「?」で終わってると全文しっかり読む必要が出てしまうので読み手の負担になっちゃいます。

 

いくつかは見出しに結論を入れてあげて情報の把握を楽にさせてあげたほうが良いです。

 

感覚的には見出しの中で一番抽象度が低くなる部分は結論を出したほうが良さげ。

 

(具体例出そうと思ったんですが面倒だったので割愛)

 

競合との兼ね合い

 

これはタイトルの話になるんですが、自分の狙っているキーワードで上位表示しているページたちのタイトルの中で目立つように付けます。

 

例えばなんですけど

 

「2019年に読んだおすすめの漫画100選!」

「これまでの人生の中で読んだ、本当におすすめできる漫画まとめ」

「これだけは読みたい漫画111選」

「完結済みで簡単に読める漫画70選」

 

みたいに数字を使ったタイトルが多い中、「これまでの人生の中で読んだ、本当におすすめできる漫画まとめ」みたいに数字を取り除いたものを入れたら逆に浮く(目立つ)んすな。

 

↓実際の図

「2019年に読んだおすすめの漫画100選!」

「これまでの人生の中で読んだ、本当におすすめできる漫画まとめ」

「これだけは読みたい漫画111選」

「完結済みで簡単に読める漫画70選」

 

(数字タイトルはめちゃめちゃ強いので、これやってもどっこいどっこいの可能性はあるし、そもそもSEO的に数字タイトルになしで勝つのきつかったり)

 

結局の所バランスよね

 

キャッチーさは大事なんですけど、それ一辺倒だと凹凸がなくなるんでインパクトって消え失せるんすわ。

 

インパクトはあくまで他との比較によって表現されるものですからね。

 

また記事内容としては基本的にネット上の無料記事は読み飛ばし前提ですんで、疑問文だらけにして読む文章量を増やすのは良くないんですわ。

 

実際訪問者録画機能を持つアクセス解析ツールを入れて見てみたんですが、多くは見出しや字の色が変わっている部分だけ一瞬ストップして、他はノンストップスワイプで進んでいきますからね。

 

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それぞれの特徴を書くと

 

疑問文→キャッチーさを持つが、情報量が増えて読み手の負担になる

結論 →情報量が減り楽に読めるが、かわりにキャッチーさが消える

 

といえますね。

 

要所要所に疑問文を入れて読み手に確実に伝えたい情報を読ませ、他は結論ベースで情報量を減らすってのがこの記事タイトルに対しての答えですな(自分なりの)

 

A/Bテストやったりもしたんですけど記事によってまちまちなんで、多分こういうことだと思うんですよね。もっと深掘りしたらユーザー層の違いやサイトのブランド力とかも入ってくるんでしょうが、流石にそれらを比較できるサイト持ってないしなぁ

 

タイトルと見出しは現SEO環境だと重要度高めですし、多少は考えつつ、かといって考えすぎずでやっていきたいところさんですね

 

自分の本当に好きなことを見つけたい

多分好きなことの答えって「人より上手く出来て、かつ刺激を感じられるもの」だと思うんですよね。

 

刺激ってのが曖昧なのでもう少し掘り下げるとドーパミンが出るかって部分すな。例えば料理が上手く出来て、かつ完成したモノを見て満足感を得られるとか、提供して喜ばれることに嬉しさを感じるとかそんな感じ。

 

言うなれば「作業終了段階で楽しいって感情が湧くか」ですね。これは達成感って捉えても良いとは思います

 

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東大卒プロゲーマーのときどって方がいるんですけど、その人は要領が良くて大抵のことは人より上手くできるようなんですね。

 

そんな中プロゲーマーとして戦っていった時最終的に情熱の差ってのを痛感したらしいんすな。情熱ってのは多分モチベーションと言い換えても良いかも

 

要は普通の人がヘロヘロになりながら8時間頑張る中、脳汁出しまくりながら8時間あっさり作業をこなしてしまうやべーやつらの情熱には要領や計画性、分析力なんかだけではとてもじゃないけど勝てないって話なんすわ。

 

僕も自分で言うことじゃない気はしますがそれなりに要領のいいほうで、人より少ない労力で人より多い成果を得られがちなんですが、人生の中でオリンピックに出るような人と戦った時に情熱の差ってのを嫌でも感じさせられたんすね。

 

根本的な資質の差も当然あるんですが、それに対してかける情熱が違うんですよ。自分の抱えているリソースをほぼ全てそこにつぎ込んでいる感じで、あれが天才なんだなと思わされました。資質と情熱を兼ね備えた化物には勝てそうにない

 

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「天才には勝てない」そういう思いがあったので要領の良さで器用貧乏にやっていこうと考えまして、多分人に話したら多少は羨ましいと言われる人生を送れてはいるんですが、人間の欲深さなのか満足感がなくなり天才にまた戦いを挑みたいと思っちゃったんですね。

 

そんなわけで得意と情熱が重なる分野、つまりは好きなことを見つけねばと思ったんですが、まあそう簡単に見つかるもんでもないですな。そもそも無いかもしれないし、あったとしても社会的価値を持たないかもしれない

 

それでも戦ってみたいという気持ちが消えないんですわ。

 

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急にこんな中二病くさいことを書き始めたのはちょっと前に沢山の人とあって劣等感を刺激されたというのも大きいと思います。前見て進んでる人、理想を掲げてる人、自分より優秀な人

 

そんな人達を見ていたら自分の空虚さを感じ始めて、その穴を埋めたくて必死になっているのやもしれません。

コミュニケーションは次郎のラーメンに似ている

「腹減ったー、次郎のラーメンマシマシいけるわー」→

 

「うおおお、うめぇ!無限に入るな!」→

 

「ん?ちょっとくるしいような、いやでもまだ入る」→

 

「やばい、もう無理…自分見誤った、しかし全部食わんと」→

 

「ギリ完食…苦しすぎる。二度と食わんわ…」

 

みたいなのってあるじゃないですか。自分の胃袋事情を間違え空腹感のみで食べにいっちゃう感じ、僕にとってのコミュニケーションってまさにそれなんですよね

 

「うおおお久々に人と合うし、たくさん喋るぞー」と思って行って、最初はその気持のまま自分なりに楽しいコミュニケーションを繰り広げられるんですけど、じわじわ満足感によってコミュ力ブーストがなくなるというかなんというか。

 

どうも食事もコミュニケーションも小食傾向なので、腹八分目を心がけて大盛り食べに行かないようにしなきゃですね

隠し部屋にロマンを感じる理由を考えてみた

www.youtube.com

この動画を見てたら「隠し部屋ってなんかいいなぁ~!!」って思ったわけですが、なんでそこにロマンを感じるのだろうと疑問を抱いたわけですね。

 

隠し部屋は『男のロマン』的な扱いを受けがちで、検索をかけてみてもセットで語られることが多いです。

 

つまりは「どうして男は隠し部屋にロマンを感じるのか」を紐解いていけば、なんかいいなぁ~って原因がわかってくるんじゃないって方針でいってみようかと思います。

 

生物学心理学でいうクーリッジ効果(クーリッジこうか、Coolidge effect)は、哺乳類のオス(限定的だがメスの場合も)が、新しい受容可能な性的パートナーと出会うと性的欲求を回復させる現象を指し[1][2][3][4]、これは既に馴染みの性的パートナーとの性交渉が絶えた後にも起こる。

クーリッジ効果 - Wikipedia

 

wikiから適当に引っ張ってきたんですが、クーリッジ効果なるものがあるらしいんすな。

 

これが正しいとした時、男性は「新規性に興奮する」と言えるんじゃないかと思うわけですよ。

 

新しい需要可能な性的パートナーって隠し部屋と同じく未知を抱えた存在なわけで、だからこそ隠し部屋にロマンを感じる男って構図はクーリッジ効果で語れるんじゃないかと思うわけです

 

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そう考えていくと隠し部屋って慣れてない状態でこそ楽しめるもので、何回か利用したらただの部屋と同格に成り下がるんだだろうなぁとちょっとテンション下がりましたね。微妙に入りにくい利便性の低い部屋になりそう

 

というかロマンとは未知であるっていうすごい単純な話になりますなこれ。どうしてそうなるのかに納得感持てたし良いか