そもそもユーモアとはなにか?というのを考えるうえで土台として使えそうなのが、不一致理論というやつですね。
予期しなかったことが実際にはそうならなかったことで笑いになるというもの。例えば友達が手を振りながらおーいと歩いてきたら急にすっ転んだ。みたいなのも実際に目の前で起きたら笑っちゃいますが、これは予想としてはそのまま近くまで来て話し始める。みたいな予想からズレた結果だと言えます。
この不一致理論は広範な笑いをフォローすると考えていて、大喜利のようなものからたとえツッコミ、天丼のようなものもここに当てはまると考えられます。
難しいのはそのズレを理解できる範囲であるかという話で、さっきの例でいうと手を振りながら歩いてきた友人がいきなり爆散したところを見ても笑えないし、呆然とするしかできないみたいな話です。他にも行き過ぎると恐怖の感情のほうが優先されます。
布団被ったら中から真っ白な男の子がでてくるのは予期できるわけがなく、理解できるわけもないので恐怖が勝つって話です。
他にも優越理論というものあります。これは自虐ネタが笑いを誘ったり、逆にいわゆる”いじり”が笑いを生む理屈とも言えます。
あとは解放理論というもので、緊張感などの抑圧された環状がゆるむと笑いが起きると言われています。すべったりすると空気がこおりますが、その空気が時間経過によって緩むと逆に呆れたような形で笑いがこぼれる。みたいなやつです。
他にも堅物な人が急に下ネタを言うとかも、堅物な人が醸し出す緊張感を下ネタが緩和することで笑いになる。みたいな話と言えます。
そしてこれら不一致理論、優越理論、解放理論を統合しやすい考え方が「無害化された違反」というやつで、ようするにユーモアは「何らかの違反や逸脱」があったとき、同時にそれが「深刻な脅威ではない」と感じられるときに起きるという考え方です。
布団から真っ白い男の子がでてくるのも、友人が近づいてくる過程で急に爆発するのも深刻な脅威と評価可能なのでユーモアにならないという説明ができますね。
他にも優越理論でもはやいじめみたいなのが笑えないとなるのも、その矛先がいつ自分に向くかもしれないと思ったり、同情心が働いたりすると笑えないです。
解放理論も緊張が強すぎればそもそも緩和しないとかありそうです。
そう考えるといわゆる天然だよねーと言われる人は、他の人達が共有する(もしくはその個人が保有する)常識があったときに、そこからズレているというのが面白いし、それをわざとではなく常識だと思ってやっているように見える。みたいなところから来ていると言えそうです。
一言で言えば状況に対する「まずさ」が笑いの種なわけで、まずさというのは様々です
- 失敗している
- 変なことを言っている
- 常識から外れている
- 立場が逆転している
- 本音が漏れている
- 権威が崩れている
などなど。そしてそれらが「壊滅的ではない」し「脅威ではない」ときに笑えます。
他にもいろんな解釈がありますが、一つのユーモアの体系的理解としてはかなり良い土台な気がしています。
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ちなみに心理学的なユーモアスタイルの分類もあります。
- 親和的ユーモア:場を和ませる
- 自己高揚的ユーモア:しんどさを笑いに変える
- 攻撃的ユーモア:他人を下げる
- 自己卑下的ユーモア:自分を下げる
ですね。ちなみに順に関係性の改善、ストレス耐性の改善、優越感や支配感の獲得、場を和ませる(ただし自己消耗する)みたいに評価されるようです。
ただし最後だけが自虐的ユーモアであるかという塗装でもなく、例えば「俺も昔同じ失敗してこっぴどく先輩に怒られたよー」みたいな話をするのは自虐的ですが親和的ユーモアに分類されるとされ、単に居場所のため「へへ、俺なんか全然ダメダメですよ、皆さんのおかげですよ」みたいなのは自己卑下的ユーモアと考えられるそうです。分類むずすぎんだろ
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もうちょっと面白さを分解してみると理解が捗りそうなので書いてみると
- 発見の面白さ
- 共有の面白さ
- 優越の面白さ
- 解放の面白さ
- 反転の面白さ
などなど、色々ありそうです。お笑いの鉄板大喜利は「発見の面白さ」と言えますね。確かに面白いと感じるのは確かにって成分が入りがちな気がします。
共有はいわゆるあるあるネタ、優越は下を見て安心するような感覚? 解放は冒頭の解放理論的な面白さ。反転は立場の逆転的なやつですね。
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っていうことでざっくりまとめるとユーモアは「ズレの管理能力」とも言えそうです。
じゃあズレを見つける能力の源泉は何かというと世の中に対して「変だ」と思う能力が高い状態だと見つけやすいと言えます。
じじい、ばばあになるほどこの辺の常識に対して疑う能力が鈍るというか、常識を受け入れる能力が伸びるというか、そういうところがあるのでユーモアセンスが鈍っていくというのはあるかもしれないですね。
じゃあ常識を疑うためにはどうすればいいかといえば、inputが均質化しそれが常識であるという学習をしすぎた結果だとすれば、inputをより広くノイジーにしたほうが良いという話でもあります。そういう意味で海外に行くと価値観が変わるとか、そういうのを利用するのもありかもしれないですね。
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というわけで最後に大喜利でもやります。
AIにお題をもらったので私の頑張りをどうぞ
「この動物園、だいぶ経営が苦しそうだな」なぜそう思った?
最初の30分は展示側ですと言われた。
「この美容室、カット以外のことで儲けようとしているな」なぜそう思った?
入店したら別の美容室を紹介された。
「このコンビニ、未来から来たな」なぜそう思った?
おにぎりより入れ歯洗浄液の棚が広い。
「このタクシー運転手、目的地に着く気がないな」なぜそう思った?
たびたび振り返って「前の車追いますか?」と聞いてくる。
「この学校、校則が独特すぎるな」どんな校則?
BeRealの通知が来た人から昼休みに入ってよい。
「この探偵、事件を解決する気がないな」なぜそう思った?
正しい証拠品を突きつける前にハズレ選択肢の反応を確認しだす。
「このラーメン屋、店主がラーメンに興味ないな」なぜそう思った?
箸立てにフォークしか入ってない。
