「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」
— 藤巻健太 衆議院議員 (@Kenta_Fujimaki) May 17, 2022
金融教育をテーマに、財務金融委員会で議論させて頂きました。 pic.twitter.com/aUmlrvSaKv
これ系の問題の本質は『何かをカリキュラムに追加するためには何かを削る必要がある』ってところなんですよね
三角関数もそうですけど、今授業でやってることで完全に無意味なものなんて無いわけで、だから三角関数が古文になろうが英語になろうが生物になろうが、どれになったとしても批判的意見でバズってたと思うわけです
しかし今回は金融でしたけど、金融知識は今学校でやっていることと比較して全く使わない無意味なものと言われたらそうじゃないですよね。昨今は特に老後資産は自分で作れなんて言われている時代で、金融知識自体は比較的幅広く有用な知識だと思います
だから必要不要論になると風あたりの強い授業なんかは教養だとかより抽象的で高尚っぽい表現をしてお茶濁したりするわけですが……
何が言いたいかといえば日本人のほぼ全ては学業を通じて好きな授業嫌いな授業があったわけで、その好きな授業や役に立ったと思える授業を削ろうとする勢力にはそりゃあ批判的になるわけです
なので最初の話に戻りますけど『何かをカリキュラムに追加するためには何かを削る必要がある』けれども、削ろうとしても世論がそれを許さないっていうのが今回の件から学べることな気がします
なんというかミクロな問題で例えるとお父さんは野球を習わせたい、お母さんはピアノを習わせたい、ぎゃあぎゃあ喧嘩して「じゃあどちらもやらせよう」で、割を食うお子さん。みたいな
いや適切には野球とピアノを習っている状態から「やっぱり水泳もやらせたいからピアノの時間を削りたい」で大喧嘩になってる感じかな
こういう世論がストッパーになって制度を変更できなくなってる状態は民主主義の不健全なところのような気もします、まあ政治サイドで勝手に色々変更できない様になってるんだからよく働いているとも言えるわけですが…
世の決まり事をよく決めるというのはとても難しいことですなぁと思うわけでした。