INTP型のブログ

苦味があるな?

優しさは人をおかしくする

時もある。

ニコニコでガンガン動画を上げていた頃、投稿時刻と再生数の伸びを検証しようといつもと違う時間に上げたことがあるんですよ。変更後の時間のが都合よい人多いみたいなので変えますみたいに書いて

そうしたら「前の時刻のほうがよかった」「初期から応援してた人のことはどうでもいいんだ」みたいなコメントがついたもので、ひよった僕は即戻しアンド軽い謝罪みたいなのをしたんですよね

すると今度は「謝らなくていい」「そんなやつのいうこと無視していい」みたいに擁護されるわ、前述したコメントには「投稿者はお前のママじゃないが?」みたいな批判がつくわで、なんだなんだ優しいじゃんと思ったわけです

とはいえ少数の人間に大量の攻撃がつく状態は不健全と思い、コメを削除したりなるべく穏便にことがすむよう表向きには触れなかったりしたんですが、内心嬉しさもあったんですよね

再生数をとるという算段もありましたが、悪いと思うことをやったわけではなく、よかれと思ってやったのに批判がついて、なんというか気持ちの萎えはあったわけです

だからこそそうした擁護は気持ち救われる面もあり、方法はどうあれ嬉しさはあったんですよね

ただこれは恐ろしくもある話なんですよ

今時風に言えば『ぴえんすれば無限に優しくしてもらえる』状況で、ちょっとつらいことがあったらいくらでも慰めて貰えてしまうし、嫌なやつを他人を通じて攻撃できてしまう

なんとなくそういった行為がダサいしやりたくないという気持ちがあったので以降そういうことが無いよう努めましたが、歯止め聞かずその魔力に溺れてしまう可能性は十分あったような気がします

そうなってしまうと自分の精神がどんどん他人依存になるような気がするんですよね

嫌なことがあったとき、気持ちを吐露して慰めてもらおう。そういうムーブが出来上がってしまうような気がするんですよ

するとメンタルが他人の反応次第になっていき、自己のコントロール権がどんどん自分から離れてしまう。それって大分不健全なのでは、という

だからタイトル通り優しさというのは人をおかしくする側面もあるなぁと思うわけです

気持ちが萎えている時、人に愚痴ってスッキリするぐらいだったら健全な気しますが、過剰な優しさが供給されると歪むのではなかろうか。

とか思った話を思い出したので書いたのでした。おしまい