INTP型のブログ

苦味があるな?

Ci-enのクリエイター記事を漁りまくるの面白いぞ

ci-en.net

 

Ci-enには主にエロゲー作ってたりエロ絵アップしてたりするクリエイターの方々がおるんですが、中には少し方向性の違う活動をしてたりする人もいて、それがまた面白いんですわ。

 

例えば「色仕掛けまとめブログ - Ci-en」では市販ゲームの色仕掛けシーンを紹介するみたいな活動をしてたりしますし、(今は自作ゲームの報告ブログにほぼなってますが)僕の敬愛するえろま兄貴の「闇魔法前線基地(仮) - Ci-en」では雑誌的なものを出版するのに挑戦する個人ブログみたいなのを楽しめます。

 

これらの何が面白いかって言うと需要を前提に作られたキュレーションサイト記事のようなものではなく、なんというか個人の好きがただ発露しただけみたいなのがめちゃくちゃいいなと思っちゃうんですよね。

 

ただ正直こういったものは少なくて殆どはゲーム制作の話やイラスト関連のものなんですが(別にそれを残念に思ってるわけではないです、制作現場を間近に見れてそれも面白いですし)

 

特に濃く書く話でもなかったのでTwitterで垂れ流そうと思ったんですが、あんまり僕のTwitterアカウント上で垂れ流すような話でもないし、そもそも僕の好きな空間を殺伐とした空間に晒したくもなかったしという。

 

しかしCi-enで記事あげてるエロゲー製作者の人たち、良い人な傾向が高いんですよね。コメントで「こここうしたら?」みたいな素人意見に対しても真摯に対応している人結構見られたりで、すげぇなっていう。(まあそんなにその人らを深掘りして観察してないからこそかもしれんけど)

なんで日本人口が減るほど東京の人口は増えるのか

これは至って単純な話で、

 

・日本人口が減る→地方になるほど絶対値で見たとき致命的な人口の少なさになる→人口が少なくて不便なので人の集まるところに行く→どうせなら東京へ

 

ということですね。

 

なので人口が減るほど東京都内に関しては人口が増えて、便利さや豊かさが高まっていくかと。ただし富裕層に限りでしょうが

 

一般的に所得の多い仕事というのは薄利多売の逆を行くものでして、処理する仕事の量は意外と少ないものなんですね(代わりに責任が増える)。逆に所得の少ない仕事は薄利多売のそれでして、東京の人口密度の高さも相まってとにかく忙しさが増します。

 

しかし薄利多売を実践する層は労働者階級であることが多いため、必要とする労働力が増えたところで賃金自体は上の層次第というところがあります。そして残念なことに人がどんどん増える東京と言う場所において労働者の価値は低いですので、賃金を上げることはほぼ無いと言ってよろしいでしょう。(技術力を必要とする仕事になるほどその傾向は減りますが)

 

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こういっちゃなんですが、僕は東京という場所を一般人にとってはあまりいい場所ではないと思っています。

 

確かに賃金は他と比べれば高いですし、ローカルイベントに関しては他の追随を許さぬほど盛んです。

 

ただそれらメリットを加味しても上記人口密度の高さから発生する過剰な労働力が必要とされてますし、そのデメリットはメリットを超越するのではないかと思いますから。

 

とはいえ逆に言えば地域に依存しない業務形態であれば特段デメリットが発生することは少なくなりますし、問題ないかもしれません。(個人的に人口密度が高いと幸福度が落ちるという統計があるので気に食わんってのはありますが)

 

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話逸れてしまいましたが、今後少子化によって人口は減り続けますし東京の人は増えるでしょうね。

 

また人口増加の一因として上記を書きましたが、他にも移民を取り入れていくことになるとは思いますので、それによって東京都の人口が増えるというのも出てくるかなとは感じます。

 

どう考えても少子化によって発生する経済資本返済の厳しさを対処するには移民ぐらいしか対処療法的な解決策ありませんし。(僕は移民反対ですが)

 

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最近こういったマクロな問題を考えるのが楽しくて色々脳みそこねくり回してるんですが、まじで詰んでいるというか改善策があるとしたら戦争ぐらいしか無いんじゃねっていう結論にだいたい陥るんですよね。

 

富の再分配って考え方も富裕層からすると「なんで大したリスクを背負ってない一般人たちを身を削って助けなきゃならんねん」って話になるんでそれが採用される可能性は低いですし、仮に採用されたとしてもタックスヘイブンなどの事例から考えても不当と感じられている以上知恵を凝らして避けられると思うんですよ。

 

ところが戦争下になれば一般人は血税としてその生命を捧げるわけですから、富裕層は血税を捧げない代わりにその富を国に捧げていくっていうのが筋になりますし、人間心理としてそういった考え方への抵抗感は少なく富の再分配がしっかり再現されていくのかなと。

 

そもそも戦争になれば既得権益みたいなものが分解されて、また新しくレースが開始されるっていう部分もあるのでそこも含めですかね。

 

他男女にまつわる問題に関しても戦争下になればだいたい解決するだろうなという問題ばかりで、戦争という存在がいかにマクロ下において有益であったかっていうのがわかりますわ。

 

とはいえ高度文明を持つ国家においての戦争は距離無限の即死(核)をばらまけてしまいますから中々起きないでしょうし、次点として災害と言う形になってくるんじゃないかなと。

 

すげぇ平たく言っちゃうと、ある程度の危機を受けないと人と人は手を取り合いづらく、長い平和は妙ないざこざを生んじゃうという話ですね。

 

知恵の実を食べたアダムとイヴの話ありますけど、人間というのは知恵をつけるほど地獄を生み出すという感じがしますし、知恵ってのは本当に禁断のものなのかもしれんなと思うところですわ。

 

PS:てかwikiで調べたら

 

人間は必ず死ぬようになり、男には労働の苦役が、女には男に支配され出産の苦しみが、もたらされるようになった。

知恵の樹 - Wikipedia

 

っていう一文があって、まさに現代の問題を端的に表してるのまじかって感じですわ。いつの時代も多少考えたらこの辺の問題に気づいて、どうしようもなさに苦しむのかもなと思ったり。

魅力的で不思議な世界

僕にとってそれは理想の世界だったりするんですが、これも結局はインパクトバイアスっていういわば人間の慣れによって持続性を持たない幸福なのかなと思うようになりました。

 

宝くじで一般庶民が3億円を当てようが、それから1年も経てば幸福度は落ち着きますし、圧倒的魅力を持つ異性と交際しても数年すればそれに慣れてしまう。

 

慣れというのは不遇な環境下において自己を守る強力な防衛機能だと思うのですが、同時に人間を延々と幸福を探させるよう動かせる悪魔の機能にも感じます。

 

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こんな事を考えていると僕の理想形の一つである、完全体験型VR世界というのもどんなに美しい世界に入っても慣れてしまい退屈を感じてしまうのではないかと、考えが及んでしまったわけです。

 

そうなると完璧な幸福を得ることは一生涯不可能で、常に何かを求め続けなくてはいけないのかなと絶望に近い何かを感じているというか。

 

いやほんとに僕の中に宗教的なものとして、脳を騙し切ることこそが完璧な幸福を得るための最適解だと思っていたのですが、それすら不可能ではないかと思ったらなんとも言えない絶望感がふつふつと湧いていてるんですよね。

 

脳の慣れという機能さえ超越する何かが生まれることを期待するという形で自分の中の宗教をアップグレードして事なきを得ておきますか。

 

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よくよく考えてみたら、年収400万と年収1000万で幸福度に差が出てくる現象があるわけですし、インパクトバイアスだけで全てを語ろうとするのはダメだわ。ってことはこんな魅力的で不思議な世界を完全体験型VR世界に求めて、それに救いを期待するの全然悪くないなと思った次第です。やっぱ俺の宗教問題ないやんけ!

対人ゲームを楽しむことの難しさよ

スーパーマリオみたいな1人やみんなでCPU相手にワイワイ楽しむゲームではなく、PUBGのような対人ゲームを楽しんでいくことってすごく難しいなと思っております。

 

なんでかっていうと人間はインパクトバイアスと呼ばれる、現状に慣れる機能を持っているからですね。現に宝くじにあたったと人と足を失った人はその当時で測ると幸福度に大きな開きがあるのに対して、1年後の幸福度になると大差なかったというのがあるんですよ。

 

ここに対人ゲームの楽しさが勝つことに依存しがちというのが関わってくるので、楽しみ続けるのがなかなか難しいというのがでてくるわけです。

 

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対人ゲームというものは敗者に厳しいものでして、負ければ煽られたり自尊心を傷つけられたりととにかくいいこと無し。対して勝てばとにかく気持ちが良いし楽しいわけです。

 

そのため勝率と対人ゲームの楽しさは相関があると思っていて、だからこそ長く楽しみ続けるには高い勝率を保つ必要があると見ています。

 

しかし今の対人ゲームは勝率が高ければレーティングが上がり、強い相手と当たるようになるため勝ちにくくなってくると言う特徴があるんですね。

 

つまり長く遊ぶほど勝てなくなる=対人ゲームの楽しさが薄れていくというものがあり、更にそこに前述したインパクトバイアスまでかかってきますから勝率維持を頑張ってできたとしても、それでも始めた当初に比べると楽しさが格段に薄れてしまいます。

 

対人ゲームを長く楽しむためには続けるほど勝率の上がる構図が必要なんですが、レーティングという仕組みがある以上むしろ勝率は下がっていくので対人ゲームを楽しむのって難しいよねって話です。

 

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とはいえ勝利至上主義的な楽しみ方をしなければ別に長く遊べるんですけどね。

 

例えば異文化交流みたいにしてみたり、ゲーム本来の遊ぶ方ではない遊び方をしてみたり。

 

ただこういったいわば邪道的遊び方は短期間では面白かったりするんですけど、長期的に見ると勝ち続けることより楽しいかって言われるとうーんって気はします。

 

あんまり上手い人と当たらないようにレーティングを上げないよう立ち回るってのもいいかもしれんですが、雑魚狩りしてもなぁと言う感じ。そもそもレーティングはそういった雑魚狩りから初心者を守るための措置なわけですし、それはゲーム全体の寿命を縮めるから良くないよねっていう。

 

やはりゲームは誰かと一緒にやって、誰かと一緒に協力プレーすること自体を楽しむみたいにしないと長続きしないのかもねと思ったり。……でもやっぱり協力してても負けまくってたらなんとも言えない気持ちになるしなぁ。

 

話題が延々とループしそうになってきたのでこのへんで

人のためになにかするのが悪ってまじで言ってんの?

 

一見「そうやって頭の悪い振りをするから男性に舐められる女性が増えるのです。だからやってはいけないのです」みたいな話でこれまた能力至上主義の女性から共感を得そうな話ですが、これって噛み砕くとタイトル通り人のためになにかするのはやっちゃダメってことじゃねと思うわけですよ。

 

僕だって「ねぇねぇこれ知ってる?」って鼻息混じりに、語りたそうに誰かが話しかけてきたときは知っていたとしても知らんということは多々ありますし、それはコミュニケーションを円滑に進めていく上で重要なことじゃないですか。

 

エマ・ワトソンみたいに知名度が高くて、一般人からすりゃ話すことさえできれば楽しいみたいな人ならコミュニケーションの中で忖度していく必要は無いかもしれんですが、特段価値を持っていない人が一切忖度しなけりゃそれは頭のおかしいヤバいやつとして扱われて周りから人がいなくなってしまいますよね。

 

要は会話で忖度したくないならそれ以外の価値持ってなきゃだめだろって話で、それがないなら頭の悪いふりしてでもコミュニケーションを円滑に進めなきゃ、ミクロで考えたときやって行けないだろうって話ですわ。

 

忖度したくないなら自己ブランドを過剰なまで上げて、それを使いながらコミュニケーションを進めればと思いますね。

 

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基本的にブランド力っていうのは格差があるから生じるもので、全人類がエマ・ワトソンと同じ顔・同じ考えを持っているのだとしたら、そこにブランド力なんて生まれませんし、じゃあどうやって人間関係が生まれていくかと言えば物質的距離感だったり、どれぐらい気持ち良いコミュニケーションを取らせてくれるかってだけですからね。エマ・ワトソン世界戦でこんな発言してるエマ・ワトソンの周りには残念ながら人は集まらんでしょう

 

しかしエマ・ワトソンみたいなブランド力の権化みたいなやつが自己体験を持って「忖度しなくても大丈夫! 周りには忖度しなくても良いって人が集まってくれるから!」みたいなこと言ってるの頭お花畑じゃねーかとして思えませんな。

 

とはいえ僕はこのツイートに書かれている文言のみを見ていっているので全体のスピーチを見ればもう少し正当性を感じるのかもしれませんが。

 

とにかくこういう甘ったるい毒に騙されて、孤独の中社会に当たり散らすようなクソ人間にならないよう注意したいところですね。

 

 

そもそもゾーニングする意味ってあるのか問題について

キズナアイさんの服装が「エッチ過ぎる!!!!」ということで批判され、議論になってないような口喧嘩があちこちで発生しておりますが、そもそもゾーニングする意味ってあるのかってことについて考えてみたいなと。

 

今回の問題って

 

NHKっていう清純ぶった場所があんなエロい服装のキャラ使うなや

・子供とかへの教育に悪いだろ

・性消費されてる感あって腹立つ

 

みたいなのが根本にあるみたいなんですね。

 

性消費でんでんについては反転した時にいくらでも似たような事例あるし、その辺の帳尻どうやって合わせんのってなったとき血で血を洗う戦いになって、結局娯楽が減るだけのクソ感情論だと思ってるので無視するとして、ゾーニング的立ち位置の意見について掘り下げていきたいのですよ。

 

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まず「性描写が増えると性犯罪が増える」説については、ある程度科学的データが有りましたので下記ページをもとに見てみます。

 

少年ジャンプの性描写で性犯罪は増えるのか?問題

 

・観察研究による事例で犯罪率上がるというデータが有る

→ただし性犯罪のラインが国によってバラけているせいで上振れが確認できていて、信憑性が薄い。また観察研究というのもデータ的に弱い

 

・性犯罪と性的メディアの流通量に相関はないと言うデータ

→しかも日本に至っては性的メディアが近年増えているけど性犯罪の量は減ってる。だからといって性的メディアが増えると性犯罪が減るとは言い切れはしない

 

計量経済学の手法で調べたら「性的メディア無罪!」

→操作変数法と呼ばれる手法で確認した結果、性的なメディアの増加と性犯罪の低下は関係性があった。

 

ということで性的メディアがあるほど性犯罪が減るとまでは断言しませんが、まず性犯罪が増えるということはなさそうです。

 

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次に考えていきたいのが情操教育というもの。

 

要は子供にエッチなもの見せるなって話なんですが、ここの問題はとりあえず2つ思いつきますが

 

・そもそもエロいエロくないのラインどこだよ

・エロをゾーニングすることによる効果ってなんだよ

 

っていう部分なんですね。

 

18禁に感しては乳首だとか性器だとかが露出している場合は該当するみたいなわかりやすい基準がありますけど、昨今行われているエロゾーニングは肌の露出が多いとか、ボディラインがわかりやすいとかそこから少し離れています。

 

どんな格好だろうとエロを見出す人はいますので、最終的にイスラム教で実施されているヒシャブやニカーブと呼ばれる顔を隠すものを使うレベルまで行く可能性がありますし、もっというと娯楽コンテンツがどんどんカウンターとして規制されていくことも考えられ危険です。

 

例えば今槍玉に挙げられているのは男性向けコンテンツですが、BLやTLといった少女でも手に取れる性的描写の多いマンガ本をカウンターで規制しようとする男性は必ず現れます。人を呪わば穴二つというやつですね

 

結局の所主観での判断を社会に持ち込むから面倒くさいことになるんですわな。気持ち悪いという感情を簡単にシェアできて、それを一般化しても良さそうに感じるSNSは魔境ですね。

 

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そもそも論として子供を性的描写から遠ざけることのメリットってあるのかって話にもなってきますね。

 

考えられる主張は

 

・性的コンテンツに早く触れると幼い年齢で妊娠する可能性がある

・性犯罪に手を出す可能性が増える

 

とかでしょうか。

 

性犯罪についてはデータ上そんなことはないというのがわかりますので、問題になるのは性コンテンツに早く触れると性行為に手を出しやすくなるかっていう部分ですが、これについては「それなら性教育もしたらやばいよね」っていう話にもなってきてしまいます。

 

AVを見て性行為に興味を持とうが、性教育によって性行為に興味を持とうがそこに大した差はないのではって話です。人間というのは聞きたいものだけを聴きますから、誰かを無責任に妊娠させてしまうような人はどのようば媒体からそれを学んだとしても、避妊具を利用することなんてまず無いだろうと。

 

とはいえここの性行為に手を出す可能性についてはデータが特にあるわけではないので、主観での話にしかなりません。ここについては不明であるとしておくのが健全でしょうね。

 

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まとめ

 

・主観を一般化するのはやめようね

・性犯罪は性的メディアが増えても増加しないし、むしろ減りそう

・妊娠リスクに関しては不明

ゾーニングする意味は不明だけど効果ありそうだからってぐらい(データ的には性犯罪を増やしかねない悪手の可能性のほうが高い)

 

と言う話。

 

結局こういった問題の根底にあるのって、「男性向けコンテンツのCMとかめっちゃ流れてくるのうぜぇ」って話だと思います。

 

まあ全くわからんわけでもなく、刀剣乱舞とかああいったコンテンツが世の中に大量にあってそれが暇なく見せつけられまくった場合、興味を持ちにくいものがたくさん視界に入るってことですし多少うんざりはするかなと

 

ただそうやって誰かが好きなものを規制しようとすれば、それをやられた誰かが反転してカウンターをするのが世の中の常というもので、自分の好きな世の中に変えたいからと規制という簡単な手段を選ぶのはアホくさいよなというのが個人の感想であります。

 

世の中を自分の好きなように変えたいなら自分が努力して大企業を作り上げ、自分と同じような嗜好を持つ人に向けてコンテンツを発信していけばよろしいのではないかと思うわけです。

 

ずるい言い方と感じるかもしれませんが、それができないというのであればそれは自分が選ばれた人間ではなくただの庶民であり、弱者として世の中の流れに適応していきながら生きていくことを要求される存在であることを知るのがよろしいかと。

 

「身の程を知れ」とか「人を呪わば穴二つ」とかこういった言葉が生まれる程度には似たような失敗をした人間は沢山いて、また延々とそんな失敗が繰り返されている世の中なのやもしれませんな。

 

 

ストレスが溜まると第三機能的に解消する説

タイトルの根拠は主観でしか無いので信憑性はお察し。本読まないから詳しくないし

 

ただの思考遊びですね。

 

 

それぞれ第三機能での解消の仕方。

 

Si→自分で肉欲的な発散

Se→複数人での肉欲的発散

Ti→ソリティアしだす

Te→論破マン化

Fi→自分の殻に閉じこもる

Fe→癇癪おこす

Ni→被害妄想

Ne→空想の世界への逃避

 

ぶっちゃけNはよくわからん、特にNiが不明

 

Tiはソリティアというか邪推をするイメージかなぁ、陰謀論的なのに入っちゃう感じ。Teは自分の反対意見を見たら何が何でも矯正したるという気持ちが強くなるとか

 

あくまでストレスの発散の時の話で、ブチ切れたときとかは普通に第一機能使ってる印象。

 

書いてて思ったけど不健全時、第一機能と第三機能でループするってのが繋がってくるのかな。

 

ストレスを第三機能的に発散するってのが合ってるか知らんので、流し読み推奨

 

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これはお蔵入りさせてた記事で、ありがたいことに質問箱で「見せて!」と来たもんですから公開したんですけど、ぶっちゃけ内容は今見ると大して納得感無いんですよね。

 

納得感ある部分は最低限

 

・Iは自己嫌悪や三大欲求を貪ったりする

・Eは攻撃性があらわれたり、やたら誰かにちょっかい出すようになったりする

 

というぐらい。

 

これにT/FとかS/Eとか乗ってくるとどういう風にそれが現れてくるのかって部分がまだ不明瞭というか。書いててそこが気になったからお蔵入りさせたというか。