INTP型のブログ

苦味があるな?

参入障壁の下がりまくったSEOで生き残る方法

ざっくりだけど2015年ごろは続けることさえできれば大抵は稼ぐことのできる時代だったと思う。


なぜそのような状況だったかと言えば、簡単に読み解くと理由は二つしかない。


検索エンジンの評価軸がコンテンツ寄りだったから
・参入者が少なかったから(参入障壁が高かったから)


評価軸がコンテンツ寄りというのはテキスト寄りと言い換えることもできて、だから当時ぐらいから長文SEOと呼ばれる流れが生まれていたように思う。

今からでは信じられないかもしれないけど、2012とかは1000文字書いてたらコンテンツ量としてはピカイチ。あとはサテライトサイト作ってバックリンク当てよう。みたいな流れが確かにあった。

その最低限必要な文字数が増えるたびにオワコン化が進んでるとか言われてたっけ…

閑話休題

評価軸がコンテンツ寄り、ひいてはテキストよりというのは、高い再現性があった。

クローラー、要は検索エンジンが高評価を示すテキストの形というのは一定で、それを守りつつ文量を増やすだけでいいのだから根性のある人間は儲かった。だから当時はとにかく「続ければなんとかなる」と言われていた。(もちろんクローラーに読ませる形を知っていることが最低条件だったけど)

そして当時稼ぎやすかった要因はもうひとつ、稼ぐための情報はほとんどオフラインでしか出回ってなかった。

今では常識に近いサジェストで出てきたワードを見出しタグに盛り込みつつテキストを形成する。というのも当時は知るひとぞ知る、検索エンジンのハックテクニックだった。

だから谷と呼ばれる、稼いでいるアフィリエイターの集うコミュニティは、当時希少性の高い情報を秘匿しつつ獲得していたというのが大きかったように思う。

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ではなぜ今のSEOが難しくなったかと言えば、

・コンテンツ軸からドメイン軸になった
・参入者が増えた(howtoサイトが増えて、参入障壁が下がった)

という面が大きい。

まずドメイン軸についてだけど、これはテキストベースの真逆。ユーザーの反応ベースと言い換えてもいい。

いわゆるUX(ユーザー体験)と呼ばれるもので、例えばサイトに対しての適切な滞在時間やページ/セッション、Returnning visitorが獲得できているか。またシェアやブックマークなど、検索流入以外の経路を十分に獲得できているか。他、単純にコンスタントな被リンク獲得などが、ドメイン軸で見ている要素と言える。

このUXの改善というのは、テキストをクローラー向けに最適化するのに比べたら、再現性は著しく低い。だから稼ぐのが難しくなった。

もうひとつは参入障壁の低下。つまり、希少度の高い情報だからこそ、それを使うだけで勝てた状況が崩壊した。なぜならhowtoサイトを通じて、炭鉱夫は効率的手法を得てから鉱山に来ているからだ。

限られたパイ(ここでは特定キーワードの上位のこと)の奪い合いをしている以上、同じ水準のライバルが増えるというのはそれだけ勝つことが難しくなる。

勝つには差別化をするしかないわけだけど、残念なことに単純なSEOの情報では差が付かず、高い再現性を持って勝つことは極めて難しいと言える。

だから今のSEOは稼げない。そう言われる。

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その上で、SEOを駆使して食べるためにはどうするか。これはおそらく3つある。


・ブラックハットを行う
・ジャンル選定能力で差をつける
・愚直にUXを改善する(重要:競合よりも)


ブラックハットというのは、グーグルペナルティ(簡単に言えば検索結果から手動で排除されること)の対象となるテクニックで、中古ドメインと呼ばれる、過去運営歴のあるドメインにサイトを載せ、そこからリンクを飛ばしてメインサイトで稼ぐという手法だ。

古くはアフィリエイトファクトリー時代から猛威を奮っていた手法なのだけど、正直厳しい部分が大きい。

当たりドメインさえ引ければ、ドメイン取得にかかった費用をペイできるけど、おおよそ数百のドメインを試して引けるか引けないかというレベルだし、なにより精神的にきつい。

ただ、アフィリエイターの中にはこの手法で今も食べているという人も存在しており、1日10時間ぐらい虚無を生産し続ける精神力があるならいけるかもしれない。(俺は無理)

次のジャンル選定能力だけど、これは言ってしまえばブルーオーシャンを探す力で食べるということ。

ブルーオーシャンはもう無い」というのはいつの時代も言われてきた言葉で、2013とかでもアフィリエイトを始めるには遅すぎると言われていたりした。

何が言いたいかと言えば、頑張ってそれっぽいところに数打てば、ブルーオーシャンが見つかるので、そこを起点に頑張ろうと言う話。

成人が最低限暮らすぐらいの賃金は得られると思う。ただ、ブラックハットに負けず劣らず数をこなす必要があるので、根性ゲー。

最後のUX改善。これが今のSEOの王道だと思う。


SEO的なUX改善の意味


なんとなく言葉の響きが良いから使ってそうなやつも多そうなUX。ユーザーのために、良いコンテンツを作れば伸びる。そう言うけど、それって思考停止でしかないよね。

そもそもここでいうUXってなにかと言うと、途中でもちょっと書いたけど、

・使ってる瞬間(アクセス解析のページ滞在時間など)
・使った後(体験の共有、シェア、被リンク)
・再訪問

など、サイトを知ってからの利用とその後使わなくなるまでの生涯リアクションと言える。

つまりUX改善というのは、これらの数字を高くすると言うことだ。狙った検索ワードにならぶ競合より。

SEOの視点から言うと、良いコンテンツとは先ほど書いた3条件を改善するコンテンツのことだ。

であれば直帰率や滞在時間、ページ/セッションなどの数字に関しては、ページ分割するだけで改善する。

実際、この手法で結果を出していたアフィリエイターもいたんだけど、最終的には伸び悩んでいたようだ。

これに関しては、おそらくだけど検索順位に対しての一定数のシェアやReturnning visitorがフィルターとして存在していて、それを満たしていなければ順位を落とされると考えている。

こうした、一度順位が上がったあと落ちると言う経験は何度も味わっていて、これは結局のところ競合と比べでシェア、被リンク、再訪問数で負けたから起きていると、色んなデータをよんで推測した。

だからUXのどれかひとつを強力に改善しても、一時的順位向上はあるかもしれないけれど、長期的上位には繋がらない。

つまりサイト全体で先ほど書いた3要素を改善するようなコンテンツを用意することがUXに重きをおいたSEOだと言える。

1.使用時の数字改善

ページ分割は最適解なのだけど、ユーザーにストレスをかけるのでシェアや再訪問に悪影響がでると見ている。

とはいえページ分割の本質的な要素は間違いなくSEOにおいて強い。

本質的な要素とはすなわち、同一ドメインに対しての1ユーザーのページ閲覧数や滞在時間だ。

だからページ数の増加と、遷移を促す導線強化はマスト。とくに強力な導線が必要と考えている。

強力な導線とはユーザーニーズにマッチしたHUBページの用意がベター。最良は高速な検索システムだとは思う。

2.シェア、被リンク

シェア、被リンクのトリガーとなるのは、コンテンツの方向性と内容、作成者の権威性だ。

コンテンツの方向性に関してだけど、シェアされやすいコンテンツはある程度決まっている。言ってしまうと講座・まとめ・ツールの3つだ。

有用な講座は「○○を勉強したい…」という人に第一回が渡される。連番になっていると導線が分かりやすいため、独立したコンテンツより講座の第一回というのはシェアされやすい傾向にある。

まとめは、例えばコロナが始まった当初は宅配対応や持ち帰りをやってる飲食店をまとめたサイトが伸びてたのだけど、ああいうのはやはり伸びやすい。

ツールは、例えば計算ツールや画像圧縮のできるページ、特定ジャンルに絞った検索ツールなんかがここにあたる。

講座・まとめは根性さえあればなんとかなる。

ツールは技術力がないと設置できない。

この性質は、過去のSEO状況を踏まえると、前者に力を入れすぎるというのは極めて危険なことがわかってもらえるのではないかと思う。

結局のところ、根性でなんとかなるコンテンツは、低賃金で人員を確保した企業サイトに、時間当たりの労働量で決して勝てないのでじり貧コンテンツだ。

ツールはそれでいうと、前者より寿命が長いと見ている。

このツールが1つめのサイト使用時の数字改善にも貢献するようなら、それが最良だと考えている。それはなにかと言えば……まあ言わなくても分かると思うのでわざわざ書くのはやめとく。

3.再訪問性

実はこれは、2で紹介したコンテンツがそのままReturnning visitorを得やすいコンテンツとなっている。

シェアされるのは大抵、再利用性の高いコンテンツだからだ。(自己顕示欲を満たす系もあるけど)

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結論を簡単に書くと、SEOを踏まえたUX改善とは


1.ページ数を増やす
2.導線を改善する
3.講座、まとめ、ツールコンテンツを用意する


となる。良いコンテンツを作れば順位が上がると、それっぽいことを言って悦に入ってる人。その場合の良いコンテンツに入る具体的な内容はこれだ。


蛇足


途中でも触れたけど、ただの講座・まとめは先がないと思う。

歴史を考えるに、根性でなんとかなる分野は人海戦術を体力のある企業がやってきた瞬間終わるので。

ではどうしたらよいのかと言えば、能力が必要になるものをやることだと思う。それは単純に難しかったり、情報がまだ手軽に手に入る位置になかったりするものだ。

当初のアフィリエイター環境もwordpressを使えるかどうかが技術的ラインだったし、今は複数のプラグインを駆使できるかだったり、wpの仕組みやCSSを活用して導線を最適化できるかだったりに変わってきた。

たがそれもほとんどの人ができるようになってきて、差別化できる要素では無くなってきている。(優秀なテーマの登場で、実装の難易度が下がったのもある)

これを踏まえると、今後SEOをやっていくなら更に高難易度なツール作成が必要になってくるのではと思う。

理由のひとつはアフィリエイト業界の流れが、もうひとつはエンジニア業界が売り手市場と言われているからだ。

売り手ということは買い手がいるということで、買い手がいるということはそれだけエンジニアを使ってやりたいことがあるということだ。

エンジニアが必ずしもウェブ業界に繋がってくるわけではないけれど、少なからずコーディングが出来る層を要して構築されたウェブサイトが、今よりも検索結果に増えてくるはずだ。

そもそも、アフィリエイトというSEOと密接な業界で、ツールコンテンツに求められている質が日ごとに伸びている以上、ウェブ全体の大きな流れが同じ方向を向いていてもおかしい話ではない。なにせSEOは露出経路としてダイナミックだし魅力的だ。

だからこれから何年かはプログラミングがより熱くなり、そしてより生き残るためには根性(人海戦術)でカバーできる部分ではなく、能力(高度な実装や逸脱したアイデア)が必要になってくるのだと思う。

ちなみに技術ラインの底上げが起きたあとに来るのは大抵ブランド勝負。差別化要素がなくなって、目に入るものがほぼ均一になったら、あとは気に入ったものだからとか、好きな人が作ったものだとかそういうものになるので。

大抵の流れは


1.分野のハック(最適論探し)が始まる
2.最適論にたどり着いた人たちが勝つ
3.最適論が広まり、根性のある人たちが勝つ
4.最適論の水準が上がり、それについていく人たちが勝つ
5.3と4が繰り返される
6.差別化要素がほぼ無くなり、ブランド勝負になる(この段階までの人徳の積み重ね勝負)


というイメージ。いまはまだ技術サイドの天井が高く、人海戦術より技術で戦った方が楽じゃね?という時期だと思う。

Youtubeなんかは投稿頻度(根性)も天井感あるし、最適論(その分野でどれぐらいの立ち位置かとか、五感的スキルの高さとか)の水準も相当高いよね。各分野の世界一大体いるでしょ。

だから今は6のフェイズって印象があるね。

Vtuberが登場した時みたいに、新たな最適論が現れるまではこれまでの積み重ね勝負の側面が大きいんじゃないかな。(アフィと同じで小規模にやるなら余裕で新規参入できるけど)

自己開示と好感度

基本的に人間が特定の人物に好感を抱く場合、そこにあるのは

 

  1. どういう考え方をしているか
  2. どんな五感情報を渡してくるか

 

の2つだけです。

 

1.どんな考え方

 

配信者Aさんが「LGBT当事者です」と告白した場合、受け手側の反応は以下の3通りに分類できます。

 

  1. 共感する人
  2. 受け入れる人
  3. 拒絶する人

 

まず1の共感する人は最も好感度が上がります。単純に考え方を共有できる人にほど好感を抱く性質があるためです。人間の共有欲は強く、なんなら誕生日が同じとか同い年とか、それだけで好感度が上がっちゃうレベルですから。

 

2の受け入れる人は共感する人よりは低い上昇幅ですが上がります。基本的に考えたの公開は受け入れられると好感度が上昇するんですが、見た目からわかることなどわざわざ言わなくても受け手側がすでに把握している事柄の場合「もう知ってる」と、むしろ好感度が下がる傾向にあるようです。めんどいのでソースは出さんです。

 

3の拒絶する人は離れていくし、場合によってはアンチ化します。ただこれは1と2の割合に比べると非常に少ない傾向にあります。

 

注意点として考え方の公開はの上げ下げの幅は、どれだけ言いづらい話題かが影響します。例えば「天気は晴れのほうが好き!」といった自己開示は大した影響をもたらしません。

 

2.どんな五感情報

 

基本的には視覚と聴覚です。ほか、嗅覚と触覚はオフラインで会う場合は影響します。(触覚は握手するや文化圏によってはハグで影響が出る)味覚は肉体関係にあるか、相手が嘘を見抜くために汗を舐めてくるタイプの人でもない限りは関係ないと思います。

 

知っている五感情報の多さは = 距離感と言えます。

 

そのため多くの著名人は顔出し + 声出しをしてますし、発声練習やメイク、正装などでより優れた五感体験を提供するように心がけています。

 

考え方の公開と同じく、声や顔の公開によって受け手側は3パターンの反応をします。

 

  1. 理想的と感じる
  2. 受け入れられる
  3. 嫌悪感を感じる

 

この辺はわざわざ言語化しなくても良さそうなのでやりません。ただ単純接触効果といって、要はあれは『何度も触れる声と見た目は加点される』みたいな話なんで、優れた声や見た目をしていなくてもめげずに何度もやってればイケボだのなんだの言われるようになるっぽいです。(配信者の方が続けていくうちにイケボやイケメンと言われるようになった、なにも変わってないのに。という体験談を語っていたりする)

 

3.好感は一方通行

 

自己開示をしたことによって発生する好感は基本的には一方通行です。特に五感情報の開示による好感は。

 

一応考え方の公開は認知的不協和というものがあるため、言いづらいことをいうほど伝えた側に愛着が発生したりします。(認知的不協和:言いづらいことは仲の良い人にしか言いたくない→逆に言えば言いづらいことを言えばその人との仲が良くなってしまうというもの→つまり言いづらいことをいうと相手に好感を抱く)

 

ただ認知的不協和は五感情報には影響がありません。(とんでもなく見た目や声にコンプレックスがあって、人前では決してマスクを外さないし、声を出さないとかでもなければ)

 

そんため自分をさらけ出していないのに好感を抱いてくるファンへの好感は、自分をさらけ出しているタイプの人に比べると低い傾向にあるかもしれません。(昔ゲーム部でみりあの声をやってた人はこのパターンな気がする)

 

4.自己開示と嫌われ

 

自己開示は多くの人にとっては恐怖の対象です。

 

というのも大抵の人は好かれる以上に嫌われるリスクのほうが怖いためです。よくポジティブな感情よりネガティブな感情のほうが7倍強いとか言われるんですが、そのとおり人は高評価より低評価に過敏に反応します。

 

Youtubeの悩み相談で多いのが、高評価4ぐらいのところに、低評価が1ついてめちゃくちゃ辛いです。みたいなやつらしいんですが、冷静に考えると5人中4人に好かれてるって凄い状況のはずなんですよ。でも5人中1人の嫌いという感情に強く反応してしまう。

 

だからこそ『自己開示をすることによって嫌われるかもしれない』という感覚が、自分のことをさらけ出す抵抗になっているんですが、ここを乗り越えられないと人から好かれるというのはとても難しいです。

 

とはいえ、普通の人間の営みというのは数百時間活動をともにして(気が合うかもな)と思い、そこから安心感を得つつ、ちょっとの勇気を振り絞って自己開示をし、そこで受け入れられて仲の良さが深まっていく。という流れを踏むので、特にネット上の不特定多数に見られている場所で、自分をさらけ出すというのをやりたくないのは自然ではあるんですけどね。

 

結論を言えば、どんな段階であれ自発的に勇気を出さなければいけなくはあるので、誰かから好かれたいという思いがあるなら、嫌だけど自己開示しなくてはいけないってフェイズがあるとは思います。

 

5.自己開示の内容

 

例えば自分の声は間違いなくキモいし嫌われると思う。とか、自分の考えはかなり荒んでいるので嫌われることしか無い。とか。

 

そういう場合どうするのかといえば、五感情報の場合は発声練習しろということになるし、考えで嫌われるという場合は「でも自分のアイデンティティは早々変わらないんだから、演技しながら生きたくないのなら選別は避けては通れないよね」という話になります。

 

五感情報、特に声による好感って声の質というより音量の不安定さが一番あかんところなので、そこをなんとかすれば嫌われのほうが多くなるってことはあんましないです。長くやってけば単純接触効果も期待できるし。

 

考え方の開示は、楽しく生きたいならとっとと出して、共感できる人を絞ったほうが結局は楽しく生きていけます。

 

ただビジネスとしてやっていくんだ、という場合は演技してしまうのもありだとは思います。言ってしまえば、アイドルはだいたいそんな感じなわけですし。

 

どうしても大衆に受け入れられる考え方とそうじゃない考え方っていうのはありますからね。例えばにじさんじの剣持ってひとはロリコンであることを開示してるんですが、無理な人は絶対ムリなものじゃないですか。でも一定数のファンを持っているわけで、研鑽し尽くした自己ではなく、等身大の自分で勝負しても案外大丈夫なんじゃないかと思います。

 

俺も初期の記事とか自分丸出しみたいな文章ばっか書いてたけど、その頃のが仲良くしようとしてくれる人多かったような気がしますし。

 

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好かれるという価値を得たいのであれば、嫌われるという代償を払わなければいけない。嫌われるという代償を払わないのなら、好かれるという価値も得られない。

 

世の中いいことばっかは難しいってことなんすなぁ。

 

蛇足

 

この話を加味すると個人名のブランディングをするなら、声出し以上はマストな気がする。顔出しもできるならやっちゃったほうが手っ取り早いと思うけど、やりたくないなら馬のマスク被って身体を少し見せるだけでも違うとは思う。体格とか服装とか所作とか、そこらへん見るだけでもぜんぜん違うので。

1ユーザーあたりのチャンネル登録数を多くするっていう戦略もあるのか…?

www.youtube.com

 

こういうチャンネル見つけたんですけど、関連チャンネル見たら、

 

ゆっくり実況オンライン2 - YouTube

ゆっくり実況オンライン11 - YouTube

 

ぐらい、似た動画を投稿しているチャンネルがあって、なんでこんなことしてるんだろうっていう。

 

まず考えられるのは垢バン対策でしょうか。でも見た限り初代chが生き続けてるわけだし、用意するとしても3つ目ぐらいまでじゃないのって言う思いがあるわけでして。

 

次はSEOの観点から、ch同士で相互にリンクを送り合うことでch評価を高めるという考え。まあ無くはなさそうだけど、どうなんでしょうかね?

 

お次は動画の使い回し。複数チャンネルで動画を使いまわして、1動画の再生回数をかさ増しするという方法。だけどパッと見た感じ使いまわしているようには見えないんですよね。もしかしたらサムネだけ替えてて内容は同じかもしれんけど、そこまで見る気が起きないから分からん。

 

次に1ユーザーあたりの登録者数を増やすという考え。ファンはサブチャンネルも登録するのが一般的だと思うので、じゃあ10chあったら全部とは言わなくても5chぐらいは登録してくれるかもしれない。であれば1ユーザーが5ch分の登録を自分にしてくれていると言えるわけで効率的…?なのかも。ただ登録者数増やして何するんだという気持ちもある、売却するのかな?

 

最後に金持ちの気まぐれ。金持ってそうな企画をしてるのでただただ気まぐれで増やしている可能性ですね。ここまで来たら意図もクソも無いので知らんです。

倫理観はどこまでいくのだろうか?

locafra.com

 

とてもいい記事だった。

 

こういう話は同情するかしないかの線引をどこに置くかという話がやっぱ一つのテーマよな。(そしてもう一つは同情するとして、その上でその気持ちにどうやって折り合いをつけるかという部分。ビーガンだったり感謝だったり慣れだったり無視だったり)

 

 

あまり詳しくはないけど、同情するかの線引は感情表現をする哺乳類かどうかみたいなところにある気がする。俺も人間なので分かるけど、やはり哺乳類はそれだけで感情移入しやすい。感情移入した生き物が害されてるさまをみたらサイコパスじゃないので動揺はする。

 

でも経済的合理性が低いことをしたら、記事内でも触れられていたけど、倫理的に優しい運営方針の牛舎から潰れて、安く作って高く売るでやってるファクトリーが儲かり、より牛たちの境遇は悪くなる。

 

じゃあ全人類ヴィーガンが達成できるかといえばそれは明らかに難しい……と思うのだけれど、奴隷解放の延長線上で起きることもあるのだろうか。

 

今の自分の感覚では、人間を経済動物のように経済人間として捉えることは出来ないけど、多分昔の奴隷商はそんな感覚だったのではないかと思う。

 

例えばあなたが釣りをして、生きたまま釣った魚をさばかなければいけないとき、首元にグッとナイフを入れて、血が吹き出て痙攣する魚が死ぬまでをただ、じっと待つであろう。

 

小さい頃は生きたまま捌かれる魚やカニに感情移入していたような記憶があるのだけど、まあ牛や豚に比べたら魚やカニは二の次のようには思う。

 

昔はこの線引が白人と黒人みたいなところでも分かれてて、だから奴隷が人間であってもそれは別と感じてたんじゃないかなぁという。

 

もちろん奴隷も牛や豚と同じ用に利益をもたらすものとして、サイコな金持ちでもない限りある程度大切に扱ってきたのだろうし、場合によっては愛情も注いだろうけど、それでも人間と経済人間として線を引いてたんじゃないかと思う。

 

それで言うと倫理観が、奴隷も人間だし同じ扱いをしなくてはいけないと変わってきていていることを考えたら、もしかしたら牛や豚も同じ哺乳類だぞと合成肉を口にするような時代が来るかもしれない。

 

まあ昔奴隷がやっていたようなことも賃金が発生する形である程度残ってたりするし、需要がある限り肉食がこの世から消えることはないだろうけど。(肉食動物が愛玩動物としているしな)

 

そんな感じでタイトル通り『倫理観はどこまでいくのだろうか?』と未来に思いを馳せるのでした。

INTP&ENTJ or INTJ&ENTP

  • Ne = アイデア出し(もしくは多様なインプット)
  • Ni = 有効なもの選択(もしくは情報のカテゴライズ)

 

と考えた時、xNTPがアイデアを出し、xNTJがその中から一番良さそうなものを決めるという形になるので強そう。

 

これがINTP&ENTPだとアイデアがモリモリ出てきて、大量の案を目の前にしながら「さてどうするか……」と大いに悩むことになりそう。

 

逆にINTJ&ENTJだと、とても迅速な決断をしそう。

 

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INTP&ENTJ

 

Ti NeとTe Niのコンビなので、Tベース。Tiであれば既に内部にある情報をベースに考えるのだろうし、Teであれば(手に取れる範囲内で)外部にある情報をベースに考えることになる。

 

ということは思考ベースの組み合わせなのだと思う。とくにクローズドな場の場合はINTPがウキウキで考えたことをENTJが(これは使える…)(これは使えない…)と横で聞いてるような感じになるのかもしれない。

 

クローズドな場ではなく、他にも色んな人間がいるのであればINTPが余計なことを言ったら権威性を保つためにENTJは叱咤する必要が出てくるし、INTPはそれによって反感を持つかもしれない。悪循環。

 

INTJ&ENTP

 

Ni TeとNe Tiのコンビなので、特定の物をどう見るかがベース。Niは情報Aがあった時、それをカテゴライズして理路整然にインプットする。だから量が取れないというか量を取りたくない、断捨離をする。

 

Neは情報Aがあったらとりあえず貰っておく。記憶力に応じてそれらは保存され、その後情報B、情報Cととっていった時、情報Dを手に入れ薄れかけていた情報Aと結びついて、新たな情報D-2を手に入れたりする。これは優先順位を付けない(大枠では付けてる、例えばNの場合は情報系をとりがちで、身体系は避けがち)からできることなので、断捨離が苦手。

 

二人きりの場ならENTPがマシンガントークかますのをINTJが聞き役に徹しつつ、要所要所でツッコミを入れる感じになりそう。知らんけど。

 

もっと大人数の場なら、場の整合性を保つためにINTJがENTPを喋りすぎないようにたしなめるのだろうか。もしくは内向的なところが起因して(喋りすぎだろあいつ…)と内心思って、あとで伝えるのだろうか。わからない。MBTIってなに?

 

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会話の主導権

 

会話の主導権はなんとなくだけど

 

  • I < E
  • J < P (クローズド)
  • P < J (オープン)

 

というイメージが有る。NSはその場の多数派側が喋りやすくなる。TFはどうだろう、現代だと倫理観ベースなのでFのが強そう。戦争時代はTのが強そう。

 

オープン・クローズ

 

Jは組織としての強さを重要視しているし、だからこそ大人数の場では発言に気をつけるけど、Pは特に組織に意味を感じにくい人が多いから、会議に興味を示さなかったり、逆に和を乱してでも改革をもたらそうとするイメージが有る。(もしくはいっそバックレる)

 

P型として気をつけなきゃいけないなぁと思ったのはメンツという概念で、もちろん僕にも公の場で言われたら嫌なことはあるけれど、僕の感覚以上にJ型の人はその辺がシビアということを覚えておいたほうが良いなという気がする。

 

言うまでもないけど、人それぞれバランス感覚があるので、P型に振り分けられていても組織的動きに興味を持つ人もいるだろうし、その逆も然りではあるとは思う。

 

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INTP&ENTP

 

Ti NeとNe Tiのコンビなので、これはもう凄い。

 

とにかく拡散的にアイデアが出るし、摂取するので、好きにやろうという方針で行くとそれはもう凄いことになる。特にENTP側からするとインプットした情報が何をぶつけてもINTPという似たような考え方をしている人間なのでそれはもう響くのだから、これは楽しい。

 

INTP側からしても自分の興味のある情報をとにかくたくさん知っているのだから、それを浴び続けられるというのはそれはもう気持ちが良いし、たまに口を挟んでも変なことを言ってると捉えられずに受け取ってもらえるのでまた楽しい。

 

昔INTP&ENTPの漫画みたいなのみたことあるけど、ひたすら熱く喋りあったあとに(楽しいけど、つ、つかれた…)みたいになる、ああいう感じになるんじゃないかと思う。

 

組織としての強さで見ると、最初にも書いたけど決断の部分で困りそう。現実で例えるなら予算性能を加味した場合の自作PC案みたいなのは山ほど出てくるけど、じゃあこの中でどの方向性のものを選ぶべきか決断するのが苦手、みたいな印象がある。

 

Niがあると、こういう選択肢の中からどれが一番いいのか選ぶのが得意というイメージ。ここでいういいとは、大抵の場合は長期的に見て一番利がある選択肢という意味。(Fだったら長期的に感情が満足するになるんじゃなかろうか)

 

INTJ&ENTJ

 

これはもうわからない。INTPがいないので。

 

イメージで語ると(まあここまでの話全部印象論なんだけど)別にNe的な能力がないわけではないけれど、あまり興味が持てないという感じだと思うので、理路整然にインプットされた情報を元にスルスルと決断をしていくのだと思う。

 

そういう意味ではINTP&ENTPに比べるとやり取りがスムーズだし、言い換えると短時間でのアクション量が多いとも言えそう。

 

言ってしまえばとても堅実だし、合理的なタッグなんじゃなかろうか。

 

ひとつだけ発言をさせてもらうのであれば、『イノベーションは無駄に見えるインプットから起きるかも知れない』という、言い訳じみたことをP型として言わせてもらおうか…!(涙目)

 

PとJ

 

そもそもこの2つの性質からして、Pは無駄が多いし、Jは余白が少ない。よく言えばPはもしかしたらがあるし、Jは堅実なので手堅く上手くいく。

 

大穴がPで、堅いのがJ。

 

金銭だとか交友だとか、そういうライフスタイルに影響する部分というのは社会的営みから発生するものであって、だから社会というものに目を向けているJのほうが手堅いのは当たり前ではある。

 

だからINTJ&ENTJのコンビのがオッズみたいなのがあるとしたら間違いなく低い。

 

P型だからこそ言うけれど、P型の思う理想というのは、とても嫌な言葉でいうと『甘い汁を吸いながら楽しく生きていきたい』であって、そんなものがP型全員に配布されるわけがない。

 

甘い汁というのは社会の中心でふんぞり返られるポジションについてようやく得られるものであって、社会に真摯でない人間がすごい発見や能力だけでそのポジションにつける確率なんて言うものは、J型が安定した暮らしをするのと比較したなら天と地ぐらいの差がある。

 

今回の話から得られる教訓は、天井を高くするのであればP型という多様性を受け入れたほうが良いし、水準を高くするのであればJ型という再現性を受け入れたほうが良いという話だと思う。知らんけど!

 

性格は言葉に結構宿る

「なにスピリチュアルっぽいこと言ってんだ?」

 

と思うかもしれんですが、言葉遣いに性格って結構左右されるんですよ。

 

これはなんでかというと、まず第一段階として周りの反応って部分があります。

 

とある魔術の禁書目録っていう、ライトノベル界で相当のヒット作があるんですけど、あれってキャラクターの性格付けに語尾を多用してるんですよね。

 

例えば荒っぽいキャラクターに「~じゃん」って語尾がついてたり、無機質なキャラクターに「~だと○○は思います」と○○に名前を入れる語尾を付けてたり、色々付けているんですが、これって言葉遣いで周りの印象は変わるってことだと思うんですよ。

 

だからこそ売れっ子作家の立ち位置にいるクリエイターがテキストしか(ほぼ)存在しない媒体で、どうやったら読者の中でより鮮明なイメージが湧くかと考えた時、語尾による性格付けが有効なのではないかと思い至ってるわけで、それってやっぱ言葉遣いと人間の印象っていうのは影響するって話だと思うわけです。

 

最近ウマ娘ってアプリゲームがリリースされたんですけど、その中に登場するゴールドシップ(ゴルシ)というキャラは、お嬢様のような風貌から乱暴な言葉づかいが発せられます。

 

この場合ゴルシというキャラクターに抱く性格はお嬢様なのか、それとも乱暴者なのか。おそらくこれは主題になるのは乱暴者で、遊ぶ側はこう思うはずです。「いいとこで生まれてて、お転婆に育ったんだろうなぁ」と。

 

つまり、ここまでの話で言いたいことは、少なくとも第三者視点から見て『言葉遣い ≒ 性格』の図が成り立っているということです。

 

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次に考えるべきは当人の性格です。

 

乱暴な言葉づかいを始めた背景にはもしかしたら弱く見られないためなんてことがあるかもしれません。

 

つまり実際の性格は弱気なのだけど、言葉遣いは強気なんてケースが有るわけです。

 

ここで考えるのは周りの扱いは当人の性格を変えるということ。

 

VRChatにハマっている人たちの話でよくあがるのが、『女の子アバターを使って女の子扱いを受けるとどんどん性格が女の子っぽくなっていく』という話です。

 

この女の子っぽいが何を示すのかは知らんですが、少なくとも男っぽいないし女の子っぽくない性格の持ち主が、周りの扱いによって女の子っぽい性格に変化したという話じゃないですか。

 

それってつまり『周りの扱いで当人の性格は変化する』ってことだと思うんですよ。

 

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まとめるとこうです。

 

  1. 言葉遣いで周りはある程度性格のイメージを作る
  2. 周りはその性格に合わせて扱いを変える
  3. 当人は周りの扱いによって性格が変わる(可能性がある)

 

このため『性格は言葉に結構宿る』、そう言えると思います。

 

 

蛇足

 

この話を考えだしたきっかけは、あるゲームをやっていた時、2重人格的なキャラクターがいきなり口調変わって「うわぁこわいぃ」ってなってたんですけど、中盤で主人公がそれを演技だと見抜くみたいなのがあって、「ワシって本質なんて全然分かってないんやなぁ…」としみじみ思ったからです。おわり。

エンタメの真理

logmi.jp

 

畑:2年ぐらい経った時に、真理を得たと思った。その頃の真理のすごさは、作画をしながらネームが描けた。

 

ここでいう真理っていうのは高い再現性を持つ何かですよね。

 

高い再現性を持つ何かとは面白いと感じさせられるフォーマットだと言えると思うんですけど、これは多分同じものを同一の作品の中で使い続けると飽きられる。だから

 

畑:だけどその見つけたと思った真理が、次の年は使えない。

 

っていう現象が起きてるんじゃないかなぁと思います。

 

僕自身、動画投稿をしていて初期に比べると再生数、反応率ともに若干減少して一定のラインを保っている感じがします。

 

動画の作り方自体は変えてないですし、取り扱う内容を同じぐらい。むしろ作るたびに洗練できている……と思っているんですが、それでも初期の雑に作ったコンテンツより見られない動画もあったりします。

 

で、単に飽きられていると思ってたんですけど、それは構造の話であってやり方さえ変えれば飽きは解消できるのやもと、この話を見て思いました。

 

ワンピースやこち亀なんかは特にそうだと思うんですけど、あれだけの長期連載をしていて完全に同じフォーマットだけで戦っていたらほぼ間違いなく飽きられて連載が終わってるはずです。でも実際は長期的に連載し続けていた。

 

物語のテーマはその時その時で違うものを扱ってはいると思いますけど、それだけでフォーマットが同じなのであればそのテーマに興味がある人は見るかもしれないけど、それ以外の人は飽きて見なくなるはず。

 

テーマとは例えばこち亀なんかは時事ネタを扱ったり、お金儲けの話を扱ったり。ワンピースであれば空島編だったり、シャボンディ諸島編だったり。

 

フォーマットとは、例えばこち亀であれば【金儲けの手段を見つける→実際に稼ぐ→調子に乗って雲行きが怪しくなる→頓挫して両津逃げる・部長が切れて両津を探す】みたいな展開。ワンピースで言えば……あんまり詳しくないので分からんですが【島に着く→トラブルに巻き込まれる→仲間ピンチになる(もしくは島の人がピンチになる)→ルフィが助けに来る(もしくはクルーが助けに来る)】みたいな感じでしょうか。

 

僕の動画の場合フォーマットは【前語り→解説触り→面白いとこ(それに対する反応)→補足情報→締め】って感じなんですが、要はここが冒頭の記事で触れられてる真理に入る要素だと思うんですよね。

 

つまり今抱えている視聴者が飽きている感覚を払拭するためには、新たに面白いフォーマットを考えるのが良いと言えそうなんですが……なんですが、難しいですね。

 

特に厳しいのが流れを組み替えると、視聴者側からすると好きなものの改変をされたと感じるので、批判的になりやすいんです。もちろんそれを感じさせないように巧妙に変えるというのがプロなんでしょうけど、難しいよなぁ……っていう。

 

なんにせよ飽き改善の手段として新たなフォーマットを採用してみるというのは面白そうだし、新たな気付きでいいですね。とりあえず茶番を冒頭に入れるタイプは批判殺到したんで、それ以外の手段でどうするか考えてみます。