まずはこれ。
詳しい内容はリンク先を見てもらうとして、簡単に書くと自分について考えてしまうと、セルフスキーマと呼ばれる領域が活性化してしまい、身体のスムーズな動きや学習をブロックしちゃうらしい。
※セルフスキーマは自分に関する知識の集まり
で、まあこれだけを読むと「運動に関する話でしょ」と感じるかもで、実際僕もそう思ったんですが、良い習慣、悪い習慣って本に出てくるこの事例でそうでもないかもと思いました。
1つ目はこれ
飲んだ飲み物がどれくらい好きかをよく考えた人のほうが、特に考えなかった人よりも飲む量の予測が外れがちだった
というもの。
これは自分の嗜好について考えた結果、実際の嗜好とは離れたものを選んでしまい、その結果の無料が減ったという話で、明らかセルフスキーマによってパフォーマンスが低下したと見えるんですよね。
2つ目はこれ
二種類のポスターのどちらかを持ち帰ってもよいという選択肢を被験者に与えた。1つは芸術的なポスター、もう一つはユーモラスなポスターである。被験者の一部には選択の理由を考えるよう依頼し、残りの被験者には何も考えずに選んでもらった。
中略
選択の理由を考えようとした人は、芸術的なポスターよりもユーモラスなポスターを選ぶ確率が高かったのである。次いで、被験者はポスターを持ち帰り、自分の選択にどれくらい満足したかを数週間後に報告した。するとユーモラスなポスターを選んだ人のほうが満足度が低かった
ってなわけで、こちらも意識的に選択するより、無意識で選んだほうが満足度が高くなったという結果を示してますね。
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運動然り、思考然り、いつもは無意識でやっているところを意識的にやるとパフォーマンスは低下すると考えて良さそうです。
例えば記事を書く時に「ここではこの表現を使って、リード文はこういう感じにして……」みたいに、下手に考えるとむしろ質は低下するんじゃねと感じました。実際、ノリで書いた記事のほうが何かと良い結果を出してたりするんですよね
小説に関しても同じで、プロットを厳密に立てて、それを見ながら意識的に筋道をコントロールしようとするとそもそも完成させることすら出来なかったですし、面白みにもかけてたんですが、後々ノリと勢いだけで書いたら完成させられたし、比較的良い完成度を保てました。
スポーツに関しても、レース前下手に自分の体に意識を巡らせると、いつもより結果が悪かったというのは経験則的にあります。
なにかやろう! と考えたときは、それについて考えず勢いで進んだほうが良さげすな。修正をするのはその作業が完遂してからのほうが良さそう