正常性バイアスってあるじゃないですか?
災害に陥った時、周りの人が平然としているからきっと安全なのだろうと判断したり、逆に周りがパニックに陥っているからこれは大変だと同じく焦ってしまうようなやつです
ということは、人間は他人の思考に影響を受けるし、同時に他人の思考に影響を与えるってことだと思うんですよ。
言い換えると他人の正しいと思うことに思考を矯正されるし、自分の正しいと思うことで他人の思考を矯正できるとも言えると思うわけです。もちろん人数差がありますから、後者よりも前者のほうがより大きな効力を持つわけですが。
そこでふと、神と正常性バイアスって似た話だなと思ったわけです。
例えばキリスト教、多くの信者を抱えているということはそれだけ、多くの同一の思考が存在するわけじゃないですか。
正常性バイアスの話を噛み砕くと、特定の集団はその集団内で最も多い思考に矯正される、いわば力が働くと言えるわけで。
つまり、多く存在する同一の思考は力を持つわけです。
神とはこの同一の思考を束ねるための器であって、力の置き場なんじゃないでしょうか。
そして力を集めた神は、それを使うだけで他人を同じ思考に染めることができる。なぜなら神は同一の思考の象徴であり、同一の思考は正常性バイアスの例が示すとおり、他人を同じ思考に矯正する力を持つためです。
まあ文章読むのが面倒くさい人向けに簡単にまとめると、
- 正常性バイアスは噛み砕くと、集団内で最も多い思考に人が染まることを指す
- 神は信者を抱えており、信者たちは同一の思考を持つ存在
- 信者から同一の思考によって力を注がれる神は、正常性バイアスが示すとおり誰かの思考を矯正する力を持つ
って話です。
神は誰が作るのかといえば、他人の思考をコントロールしたい人間や集団でしょう。
文明とは多くの人間が一つの目的のために動くからこそ維持されるもので、思考がバラバラの人間を集めて好き勝手やらせたら共同体はいともたやすく崩壊してしまいますからね。
まあ、それは村や町、小規模であればあるほど思考の統一性の低さは影響出るわけですが、逆に言えば大きな街であればそこまでの問題は出ませんけど。家を建てるには人口の50%が必要…とかではなく、100人の目的を同じくした人間がいればいいだけですから。つまり割合ではなく絶対数が必要だから、小規模になるほど思考の統一性が低いことへの影響が出るって話です。
そういう意味でいうと神によって思考の統一をするのは小さな集団であるほど重要なことなのだと思います。
だから神話を始めとした伝説の類は、小規模な場ほど残っているようにも見えますね。
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日本で神の話をしても信仰心は対してないので別の例えをすると、ブラック企業ってあるじゃないですか。
人を雇うってことを考えてみると、大抵の場合労働者のほうが行使できる法的権利って多いんですよね。
だから大抵、漫画になってしまうような想像しやすいブラック企業の社長って、訴えたらボロボロになってしまうような存在なんですよ。
でも大抵、数百人規模で社員がいてもだれも訴えない。
それは例えば誰かが社長への畏怖を抱いているからかもしれないし、尊敬の念を抱いているからかもしれない。
こうした環境は正常性バイアスによって自分自身も同じように畏怖だったり尊敬だったり、そんな気持ちを社長に抱く。
すると社長は理由もなく恐れられるし、尊敬されたりするんですよ。「あの人は怖い人だけど、凄い人なんだよ。あの人がいるから僕らは食べていけるんだよ」みたいな、恐怖と憧れが入り混じったような思考が、社員の中に蔓延していく。
この状態は神と同じなんですよ。
- 社長は社員から同一の思考を注がれる。そうすると社長から出る言葉はより恐れられるし、より尊重されるようになる。
- 神は信者から同一の思考を注がれる。そうすると神の言葉として表現されるものは、信者たちに大きな影響を与えることになる。
ほら、同じだ。
神のことはわからないかもしれないけど、人間社会に存在する序列を理解できないって人はいないでしょうから、同一の思考が持つ力は理解できるんじゃないでしょうか。
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神はそもそもの始まりは誰かに手によって作られたものだと考えます。それが一番合理的だ。
しかしたとえ始まりがただの入れ物であったとしても、そこに信仰(つまり同一の思考)が集まり始めると、力が注がれることとなり、そうすると入れ物は力を持った存在、つまり神になる。
神は信者以外の思考を染め上げるために使われるかもしれないし、信者になにかの行動を強制されるために使われるかもしれない。
神とは大きな力ですから、神の言葉と伝えれば信者たちは他信者を殺すことや、同胞を殺すことだってするでしょうし、農作物を作ったり建物を建てることだってできるでしょう。
ブラック企業の社長を例に取ると、力を注がれるのは社長自身ですから、2代目にそれを受け渡すことは非常に難しいですが、神に注がれた力は何代先までも利用することができます。非常にシステマチックで美しい。
神として言葉を語るだけで多くの人間の思想に介入することができるって、凄い代物ですからね。いやはや、人間の考えることはいつだって面白いですね。
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この文脈で考えていくと、神殺しに必要な素養は思考を染め上げられない力。正常性バイアスに逆らうことのできる力だといえますね。
災害が起きて誰も逃げない中、自分だけは危険と判断して逃げ出すとか。逆にみんなが混乱する中、自分だけ冷静にいるとか。
正常性バイアスの示すものは”正しさは伝染する”ってことです。
正しさというのは道徳・倫理観だったり、科学的・合理的な話などの観点で語ることではなく、人それぞれが持つ思考の偏りによって生じる答えでしょう。
例えば僕はこうやって、神は同一の思考によって色物に力を注がれて誕生する。みたいなことを正しいと考えていますが、他の人にはそうではなく神とはもっと超常的な存在である、という考え方が正しいというふうに思っている人もいるはずです。
”偏り”と表現すると、嫌悪感を抱くかもしれませんが、言い換えれば人間には優先順位や好きなもの、嫌いなものっていうのが色々とあって、そういった要素が手に入れた情報をどのように判断するか重み付けしていき、その結果が出力される。つまり、
- 情報の判断基準 = 偏り
- 出力された判断結果 = (当人にとっての)”正しさ”
ってことです。
だから正しさは伝染すると言えますし、神は沢山の人の正しさの集合体とも言えます。そして正しさは他人の思考を同じ正しさに染めようとする力を持ちます。
1対1の状況であれば拮抗しますが、1対10・1対100のように数に差が出るほど正しさが持つ思想を染め上げる力は強くなります。
神とは万単位、下手すれば奥単位の正しさの集合体であるため、それがもつ思想の矯正力はとんでもないものなのでしょう。
僕は協会に行って神父の話を聞いたことはないですし、神の代弁者として人類で最も大きな力を持つであろう、ローマ教皇の言葉を聞いたこともありません。
だから神の言葉によって思考を染められるというのはピンと来ませんが、体育会系に長くいる中で顧問によって暴力暴言にさらされ続ける日々を経験したことはありません。
そんな中で教師に口答えをするというのは大変な恐怖が伴ったことは覚えていますし、口答えができたのも同級生が反抗的な態度をとってくれていたからじゃないかとも思います。もし彼がおらず、顧問に従順な人で周りが固められていたとしたら逆らう気など一切起きなかったのではないかとも思います。
実体験として、束ねられた正しさが持つ力は理解できるわけで、神殺し。
つまり多くの正しさが注がれて力を持った人間に歯向かう、もしくは失脚させるというのは大きな勇気を振り絞れる、勇者や英雄と言われるたぐいの人間、もしくは感情機構がぶっ壊れていて崇拝もしなければ、恐怖もしない。
そんなぶっ壊れた人間にしかできないのだろうと思いました。
自分の知らない正しさを受け入れている人が起こす行動というのは、得てして理解しがたいものですし、だからこそ容易くそんな正しさ捨ててしまえと言っちゃうわけですが、当人にとっては捨て身。自分の全てを乖離見ないような屈強な精神が必要だったりするんですよね。
だから他人の正しさをコントロールするために、自分のための正しさを束ねてぶつけたりするわけですが。
ここまで考えてみると、神が多く存在する理由がわかるなぁって感じです。更に言うと八百万の神が存在するという日本は、誰かに自分の正しさを植え付けるために神というシステムを多く利用した国だと言えるかもしれませんね。
終わりに
長くなったのと、造語みたいなの多く使ったのでまとめましょう!
- 正しさ = 人間の判断結果。人によって思考はバラバラなので、正しさも違う
今回の話でいちばん重要なポイントですね。
人間はそれぞれ自分の信じる”正しさ”があって、でもこの正しさは他人からの影響で割と変容するっていうのが軸にあります。
変容する根拠は正常性バイアスの存在ですね。単純に他人の話を聞いて考えを改めた経験って、多くの人にあると思うのでわざわざ心理学用語の一つ持ってくるほどのことでもない気がしますが。
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- 神(入れ物) = 他人の正しさをコントロールしたい個人や集団が作るもの。信者ができると神になる
- 神 = 信者によって正しさが注がれた状態。より多くの正しさが注がれるほど神の力は大きくなる
- 神の力 = 他人の正しさを矯正する、または信者になにかの行動を強要することができる
正常性バイアスが示すとおり、集団内で一番強く共有されている正しさは、少数派の正しさを矯正する力を持ってるんですよ。
だから多数の人間によって同一の正しさを注がれた存在、つまり神は同じように人の思想を矯正する力を持っているわけです。注がれた正しさと同じ方向に。
信者に対してなにかの行動を強要することは正常性バイアスからはわかりにくいですが、ブラック企業の社長あたりが事象としては同じケースであるって話は書いたと思うんで、なんとなく理解できるんじゃないかなっていう。
それでいうと人気者がより人気になるって構図も当然なんですよね。だって”好き”っていう正しさを注がれまくった人は、他人の思想を”好き”に変化させる力をより強く持つって言えるわけですから。
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- 神殺し = 他人の正しさに影響を受けない、もしくはその影響に抗うことのできる人
言葉にすると単純ですが、実際束ねられた正しさに逆らうことのできる人間って殆どいませんよ。いたとしたら精神異常者かサイコパスか……。人生に絶望しきった人間なんかもいけるかもしれませんね。なんにせよ普通の人間が勇気を振り絞って立ち向かうっていうのは、よっぽどのことがなければ起きなさそうです。
あとここでいう神殺しはブラック企業の社長とか、体育会系部活動の顧問、自衛隊の軍曹。いろんなものが当てはまるんですが、言葉のまま神を殺すとしたなら、神自体は実態がないものであるため非常に殺しにくい(物質的にも社会的にも)存在なんですよね。
一番手っ取り早いのは神に力を注ぐ存在であり、神から力を常に受けている信者たちの目の前で、神を模倣した何かを用意して破壊するとかですかね。
そういう意味でいうと取り回しが良いのは偶像を作っておくことでしょうね。そうすることで破壊して信仰を消去することができる。
そう考えていくと偶像崇拝を禁止することの正当性凄いですね。偶像をそもそも作らせなければ抽象的存在でしか神はないので、物質的に殺すことができない。そうなると非常に信仰の消去が難しくなる。
つまり偶像崇拝を禁止しておけばその信仰は神殺しされなくなると言っても良いわけです。
まあ偶像を使えれば信仰の形をより明確にできて色々とやりやすくなるでしょうから良し悪しなんでしょうけど。
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結局、何が言いたかったといえば”思想が持つ力”をもっと認識したほうが良いかもなぁって話です。
狂信者って言葉が生まれる程度には、信心によって人間を狂わせることができるってことですから、正しさを束ねたときの力を舐めてはいけないっていう。
割と反骨精神が強い方の人間だと思うので、人気のものに飛びつくとか、権威的な人間になびくとか、そういうの少ない方で、だからこそあんまり集団心理みたいなの存在自体は分かっていたけど心から理解できているかと言うと微妙だったんですよね。
でも今回、神と正常性バイアスって観点から思想の力、まあ正しさと表現していたものの効力を考えきってみて、なるほど凄まじいモノだなと思えまして。
ネット社会で生きるものとして、自分により大きな力を持たせるためにはどうしたらいいかを考える上で一つの助けになるかなと思い、今大体4800文字ぐらいですが、それぐらい長々と思考整理も兼ねて書いたわけです。
というわけで疲れたので終わり!