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苦味があるな?

あいつは話し合いの対象にならないと言ってる話し合いの対象にならないやつ

議論というか話し合いをする場合のスタンスには2つあって、一つは双方どちらの意見が正しいのか戦わせて一方を採用する方法、もう一つはより良い案に改善することを目的としたものです。

 

ここでは前者の話をしていこうかと。

 

論客と呼ばれるような人たちはわりと前者を想定して議論をすることが多いのですが、僕はこの行為が価値を持つには双方が相手の考えを是とするのもありと考えている必要があると思っていて、それは相手を尊重する意識がないと不可能なわけです。

 

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという言葉もあり、ほとんどの人間は相手に対しての好感度で発言の正当性を判断します。優秀な論客だと発言のみで判断できたりもするのですが、それだけ賢い論客が出揃い話し合う場面はほぼありませんので、尊重する意識というのが前提にないと議論は見てられないものになりがちです。

 

タイトル通り、「あいつは自分の意見を曲げない、話し合いする価値がない」と断定する行為は相手を侮蔑しているというか嫌っているからこその発言で、この意識がある場合優秀な論客であれば別ですが、まず相手の発言を自分より下に見ています。

 

つまりこの発言をしている人間こそ、自分の発言を曲げる気がないわけです。

 

そもそもの話、自分の反対思想を持っている人間に好感を抱くことなんてまずありませんので、双方の意見を戦わせてどちらが正しいか判断するという議論は非常に難しいものなんですが、口に自信がある人ほど自分はその戦いをするにふさわしい人間だと思いがちなんですよね。

 

だからこそ論客という単語が生まれるほど、話し合いに長けた人間は重宝されているわけなのですが、言葉を扱うということ自体は誰にでも出来ることのため、多くの人が過信を持って「議論をする」といって口喧嘩を始めるわけです。

 

話し合いではなく口喧嘩をしたいなら、ラップバトルをしたほうがいいですよ。無法になりがちな口喧嘩にルールを設けて楽しめるので格闘技と同じようにそれは十分に価値がありますから。

 

※追記

 

口喧嘩もSNS上であれば一つの判断基準としてRTやいいねなどで勝敗が自動的に決することも可能でしょうが、それこそ議論と離れますよね。抱えているユーザー数に違いがある以上、発言の正当性より発言力が問われるだけで議論とかけ離れるわけですから。

 

結局発言に対しての判断力が優れた人間であるか、互いに尊重し合った人間でなければ議論自体が成立しないという考えです。