知らんけど
1.話題の定義
何について話されるかが決まる
- 今日◯◯なことがあってさ~
- △△についてどう思う?
- □□が話題だけど俺はこう思う~
など。話題の再定義もここに入る。都合上ボケも入る
- 話変わるんだけどさ~
- A「今日〇〇なことがあってさ~」→B「わかる! 私も似たような△三角なことがあってさ~」
- 「ポイントカードはお持ちですか?」この時点での話題はポイントカードを持っているかについて→「え、ポイントカードはお餅なんですか!?」このボケでポイントカードがお餅かどうかに変わる(話題の再定義がボケによってなされる)
会話の主導権は基本的に最後に話題の定義をした人間が持つことになるので、自分が主体的に喋りたいのであれば以下に話題の定義をするかが重要になる。
喋りたくない人は逆に話題の定義をしたがらないので、会話に参加している人が全員消極的な場合、猫の集会みたいになる。
一人だけ主導権を握りたがっている人間がいるならそいつが気持ちよく喋り続け、複数人いる場合は主導権の取り合いになる。(話題の切り替わりが高速化する)
2.話題に共感する
いわゆる合いの手。相手に気持ちよく喋らせるよう。
基本的に話題が膨らむこともなく、かといって悪印象を与えるわけでもない守りの一手と言う感じ。
相手が喋りたがりなのであれば無難な一手。消極的であれば、相手が話したい分のエピソードが終わってしまったら沈黙状態になる。
共感を使いこなしてる人は、相手が喋りたいだけ喋ったら共感 + 話題の再定義(わかる~私もこの間こういうことがあって~など)で喋りつつ、相手が何かしら喋りたいことが見つかるまで場をつなげる。
3.話題に対立する
共感が守りの一手なら、対立は攻めの一手。悪手だと剣呑な雰囲気漂うことになるが、その分話題が膨らみやすく、また本音も引き出しやすい。
一般的に脚本において「対立のない名作はない」と言われるほどで、これは我々人間が対立の中ほど感情の動くことがないからだと思われる。
対立とは、きのこたけのこ戦争のように好きなものの対立や晩ごはん何にするかでの対立のような緩いものから、極めて政治的・宗教的なセンシティブな分野まで様々。
シビアな対立ほど感情は動くけれど、それは殺人鬼と対立したらとてつもなく動揺するというような話でしか無く、仲良くするための会話なのであれば、きのこたけのこ戦争ぐらいのマイルドな対立に努めたほうがいい。
目玉焼きに醤油をかけるかソースをかけるかで対立するぐらいが日常ではちょうどよいのだ。
4.話題に質問する
これは共感と対立の中間手。
ただし基本的に『質問 = あなたの言動に疑問を抱いた = 共感できない部分がある』と、捉えられるので若干対立より。
さらに言えば、どこを質問するかや、聞き方でもだいぶ変わる。例えば、
- A「最近投資はじめたんだ~」B「へぇ~、なんで投資を始めたの?」
- A「最近投資はじめたんだ~」B「へぇ~、なんで投資なんか始めたの?」
- A「最近投資はじめたんだ~」B「なんかお金必要にでもなったの?」
など、どこを聞くかやどう聞くかで、言外の意図なんかを勝手に汲み取られてしまったりするかもしれない。
また、ひろゆきが口喧嘩で負けたように見えなくするテクニックとして乱用している、質問の乱発は「答え続けるとどこかで答えられくなる」→「答えにくい質問を答えようとするとストレスが溜まる」という現象を発生させるので、避けたほうが良い。
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ということを考えてた。
基本は1~3で会話は構築されていって、適時4が入ってくるって印象がある。
4の多い会話はなんか変になるなという印象。相手が答えやすい質問だったり、なんなら話したい話題であればいいんだけど、逆に言えば答えにくい質問や話したくない話題の場合は一気に悪くなってしまう。
だから、ある意味では単に「俺はそう思わないな~」と対立をするよりも、質問を重ねるほうが悪手になりやすい人間もいる気がする。
よく、質問上手は会話上手というけれど、たしかに質問は地雷原をすり抜ける強かさがないと自爆しやすい気がするので納得感がある。
地雷原をすり抜けるためには相手のことをよく知ることが不可欠であるため、質問上手は会話上手であり、観察上手で事前準備バッチリなタイプなのかもしれない。
印象に残る会話と残らない会話
映画を見て、一生忘れないような気持ちになったり、逆に数日経ったら忘れてしまっていたり。そこの差はどこなのかと言えば、やはり感情がどれぐらい揺れ動いたかという話になる。
殺人鬼と対峙した日のことは忘れられないだろうし、災害で家や家族が亡くなった日も忘れられないだろう。逆に浪人生が難関大学に合格した日や、ずっと片思いしていた人と付き合えた日なんかも忘れないだろう。
ネガティブにせよポジティブにせよ大きく感情の動いた出来事は忘れられないもので、それは会話にも同じことが言える。
だから、共感しか無いなんかは日常モノの4コマ漫画を流し読みしたときのような、ほんわか心地よい感覚を提供してはくれるけど、印象には残らないだろうし。逆に口汚く罵り合うような、最悪の会話は忘れたくても忘れられないだろう。
印象に残ることが全てである。とするのであれば常に対立するような、感情の揺れ動く会話が不可欠であるけれど、それが日常的となれば疲弊し嫌になるのが人間というものだ。
よくある研究結果で、男は衝動的な人間が、女はメンヘラな人間がモテると言うデータがあるのだけど、これはまさに『感情を動かすタイプの人間は印象に残りやすく、意識を持っていかれやすいという証左』に思える。
残念なことに多くの人間にとっては、感情揺れ動く会話は人生に少しだけ欲しいスパイスであって、それが主食となってしまっては困惑し疲弊して逃げ出してしまう。
他方によれば、衝動的な人間は衝動的な人間と相性が良いなんて話もあったりするので、住む世界の違いみたいなものを感じさせられる。
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要は印象に残る会話というのは、油っこくてめちゃくちゃ美味しい食べ物みたいなもので、たまにあるからこそちょうどよく楽しめるという話なのだ。
日常的な会話シーンにおいて、印象に残るよう逐一「俺はそうは思わないな~」などと議論を始められてしまえば、数度は楽しくても何度はしんどくなってしまう。そういうものなのだと思う。
(ましてメンヘラなタイプに議論を迫られて、自分の意見を返したら泣かれてしまった、急激に不機嫌になった。なんてのはとてつもなく疲弊する)
こうした印象に残るような、感情に大きな影響を与えるモノに対して、普通の人たちは日常的には近寄らないようにし、ときたま映画館に訪れそれを擬似的に体験して満足する。そんなふうに思える
サブカル好きが刺激を求めてグレーな領域にどんどん首を突っ込んだ結果、引き返せないところまでいったところで日常に帰りたいと叫ぶ。そんな風にならないようみんなそれなりに娯楽に対して自制しているのかもしれない。
(ちなみに、メンヘラ気質な人間ほどフィクションが大好きなんて話があったりもする)
まとめ
- 会話には4パターンあると思う
- 刺激的で印象に残る会話をしたいなら対立多め、逆に癒やしな会話なら対立少なめ共感多め。
- ↑なぜなら対立があるほど感情が動きやすいから
印象に残りたいなら、その場に共感したり同化しようとせず、反発したり対立したほうがいい。
悪印象を与えるかもしれないけど、上手く立ち回れば好印象を与えられるかもしれない。(例えば「その発想はなかった!」な違う意見を出せたらひと目置かれるよね)
対立というと喧嘩みたいな印象があるけど、同化しないとも言えて、これはようは自己を貫くってことでもあるんだよね。
周りがなんて思ってようとも自分を貫いたなら、それは印象に残るし、結果を残せば好印象なのは当然とも言える。逆に駄目なら悪印象なのも当然
結論なんてのはなくて、ただそういうことを考えて、ダラダラ書いたという感じでした。