世の中の人間は教師に怒られたくないとか上司に怒られたくないとか、組織の中で上のものに怒鳴られることを恐れておるわけですが、どうしてそれは無くならないのか。
普通に考えればこういった「怒られるのは嫌だ」という感覚が今怒られる立場にいるものだけが感じているものでなく、昔からあるだろうことは想像に難くなく、ということは今怒鳴っている人たちも昔は怒られるのが嫌だと考えていた人たちなんですね。
人間は基本的に共感力を持つ生き物ですので(それを持たない例外である存在にサイコパスという名前が振られる程度には)、自分がされて嫌だったことは人にはしたくないと思うものなんですな。
だというのになぜ世の中から怒られが消えないのかといえば
・上の立場に立つと怒る教育が楽なことに気がつくから
・責任などの重圧によって精神的余裕が消え、沸点が低くなるから
の2パターンがほとんどかなと思います。(後者は説明するまでもなさそうだから割愛)
上の立場に立つと怒る教育が楽なことに気がつくから
人間って基本学校にもしょうがなく行ってるし、会社にもしょうがなく行ってるんですよ。本当は自分の好きなことだけしていたい、なんなら何もしたくないみたいな人が大多数。
それぐらいの意欲しかないため当然、吸収力も悪いです(そもそも人間の平均能力と今社会的に求められている能力も差が出てきているようにも思う)
だもんですから教えても全然覚えてくれない、かといってわからない点も聞いてくれない。みたいな状況が発生し、そこからミスが生まれる。そうしたら「教えたじゃん!」と思うのは普通の人間なら当然でしょう。
それでも優しくもう一度教える人情味に溢れた人も居ますが、先程も言ったように人は対して意欲を持って勉強も仕事もしているわけではないので、よくわかってないことが大概なんですね。
そんな形でミスが繰り返されていくうちに苛立ち、怒ってみるとあら不思議。今までとは打って変わって熱心に話を聞くではないかと(大抵表面上だけなんですけどね)
こういった「怠惰な人間はビビらせると真面目に動く」という成功体験から怒る行動が最適解として見出されていくんすな。
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中には教えがいのない部下を持っても延々丁寧に教えちゃうような人も居たりしますが、やっぱそれは例外中の例外で、野球界で言えばプロとして活躍しちゃうような少数派なんですよね。
他にも怒られが発生しないパターンがあって、それは部下が優秀であるというやつですな。部下が優秀であれば一度教えれば吸収してくれるわけで、なんら上司がストレスを抱えませんから怒りが組織に蔓延するなんてことはないです。(これは高偏差値の高校ほど校則がゆるいみたいな話にも通ずるとこがありますな)
結局リソースは有限なんだよって話になる
怒らないためには、精神的余裕(リソース)が必要で、それがゼロになったからキレてるわけなんですよ。
精神的余裕を多く持った才能溢れる人間であれば、ストレスを発生させまくる部下やユーザと相対しても笑顔を崩さないかもしれませんが、そういう人は少ないです(主観)
それに精神的余裕はどんな人間であれ天井はあるわけで、意欲の低い部下や生徒たちを最低水準の能力まで押し上げるという多大なストレスを感じることをやっていれば、多くはやはりリソースを失ってキレちゃいますよねっていう。
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余談なんですけど一時期ライターを募って色々やってた時、教えたとおりにちゃんとやってくれてたのは女性が多かったんですよね。割合的にキレそうになったのは男性のほうが多かった。
これは意欲の低い行為でも女性のが頑張れるってことなんですかね。
安定の女性、ボラの大きい男性って感じが個人的にはしました。主観なんであしからず