mensaのオリエンテーションに参加した時の話なのですが、東京からやってきたという役員の方がまあとにかくパワハラ気質なやつでして、カラオケで歌うことを強要したり、別途料金のかかる商品を頼んだ人間に激怒したり、事前報告を怠ったとして店員をボロカスに対面で批判したり。
内容はともかく本人の怒声がかなりの迫力を持っているため聞いている側は萎縮するし、なんなら周りも萎縮する。いわゆるパワーハラスメントの権化みたいなことをしてくるタイプで、僕は死ぬほど苦手というか嫌いと言って良いレベルだったんですが他の人からは好かれてもいたんですよね。
パワハラ気質は強引さゆえリーダーシップともとれる性質を見せてきますし、怒っていなければ陽気で気の良い人間でもありました。
更に大きいと感じるのが声を荒げた後「申し訳ない」と謝ってくるところでしょうか。
本人は過去問題を起こした結果そういうことに敏感になっているらしく、カッとなった後冷静さを取り戻すと謝罪をするようになったようで。
一般的に謝罪を受け入れないというのはなかなか難しいです。なぜならそれは自分の狭量さをアピールすることに繋がりますし、断罪する行為は人間が持つ罪悪感も刺激しますから。
てなもんで某氏は会員の中では噂話として末端の僕にも流れてくる程度には手に余る邪悪と言って良さそうな存在だったのですが、同時に「悪い人ではないんだろうけどね」とフォローの言葉もついてくる憎めない存在でもあったわけです。
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一言でいうと完全な悪はいないって話なんですよね。どこか見るポイントを変えたらよく見える。なんならギャップ効果も出てくるので良い人が持つ悪いところが大きく見えるように、悪い人が持つ良いところは大きくも見えてしまう。
だから「悪気はない」とか「本当に済まないと思っている」とか「カッとなってしまった、ごめん」とか。パワハラなんてやられた側からするとたまったもんじゃないにも関わらず、その一言でじゃあ許すか。なんせ本質は悪い人じゃないんだからと思ってしまう。
こうして一定の不快を組織内のメンバーに振りまきながらも共存し続ける存在が生まれるわけです。
有害な人材が会社にもたらすダメージは計り知れないぞ!というワーキングペーパーのお話 | パレオな男
上記みたいな話からも分かる通り、パワハラ気質の人材は組織のことを考えるなら早々に切らなければいけないんですが、人情として中々出来るもんでもないですよね。完全な悪ならいいですが、憎めない邪悪はどうしても難しい。
そう考えると経営者にサイコパスが多い理由もわかりますね。罪悪感っていうバイアスを無視して判断を下せるわけですから、そらピッタシですわ。
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まあなんで急にこんな話をしたかっていうと今日わけあってMENSAの公式ページ見たらその人が除籍されたってニュースが目に入ったからなのでした。