ちょっと前に「行動だけを批判するつもりでも、受け手は人格も否定されたと感じるもの」(意訳)みたいな話を見ました。
例えば「大学行かずに起業する!」という人に「いや通いながら計画進めた方が安定択じゃない?」と、暗に相手の行動を批判します。
アドバイスをした側からすれば「その行動はおかしい」とは思うけれど「そんなことを思い付くお前はおかしい」とまでは思ってないわけです(中には思うやつもいるかもしれないけど)
でも受け手からすると行動の批判がそのまま人格の否定にまで繋がり、激情にかられたり、批判してきた人を過度に敵対視したりするわけですよ。
この切り分けをする能力というのはある種アスペ的な、言葉の裏を読まずただそのままを受けとる力が必要になって来るため、意外と難しいスキルだったりします。
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この話は突き詰めていくとアドバイスやレビュー、批評といった行為の難しさを表してくると思います。
モチベーションを上げるという趣旨であればひたすら褒め倒せばいいですが、相手の改善点を指摘したい場面も多々あるわけで、どうすれば攻撃的批判ととられずに意見を出せるのかという。
個人的には自己学習ができるタイプや、そもそもモチベーションを与えなければいけない対象には褒め一辺倒でよしと考えていますが、教育をするという場面であればそうもいきません。
ピークアウトの法則からわかる通り話の終わりは必ず記憶に残ってくる部分であるため、最初に一通り改善点を述べた後、いいところを列挙する。落として上げるスタイル、いわばツンデレが攻略の糸口な気がしました(ツンデレの語源がどうとかは置いとこう)
(ここ掘り下げるとDV被害者が逃げないとかに繋がってくるっぽいね。暴力→謝罪の形を取れば相手の思考能力を奪いながら、長期的不快感が発生しにくい形が作れる)
追記:
なんで行動の批判が、人格の否定に飛躍するのか?これはおそらく人間の選択には様々な経験や知識・感情などアイデンティティに関わるものが含まれるからだと思います。
簡単に言えば、とあるアイドルが好きだという方に「えーそれは趣味悪いわ」と伝えたら不快感が発生します。
同じように何かの行動結果の裏側には、嗜好などアイデンティティと関わりの深い要素から生まれた背景があるため、人格が否定されたかのような嫌悪感が生まれるのではと考えています。