INTP型のブログ

苦味があるな?

面白さは人との交流の中に沢山あるのだなぁ

異世界転生モノ、いわゆるなろう作品は批判の的になりがちだけれど、これはきっと一人での完結具合にあるんじゃないかと思う。

 

何かを成し遂げようと思った時、始めたてのときはまだまだ人は未熟で、だからこそスタート地点にはいつも師匠のような存在がいる。そうしたら兄弟弟子みたいな存在ができて、背中を預け合うようになるかもしれない。そうして成長していくうちに、誰かを育てたり守るようになるかもしれないし、自分の背中を追いかけてくる存在が現れるかもしれない。

 

こういう成長の物語を異世界転生はチートというもので省略したり、その世界の中で頂点のような存在まで独力だけで上り詰めてしまっていたりする。だから批判の対象になるんじゃないかなぁと思う。

 

自分みたいな内向型の人間からすると、インターネットのある現代では大抵の知識はオフラインではなくオンラインから得ることができるし、そうするとある程度のレベルまでは独学で行けてしまうからそこまで大きな違和感があるわけじゃないのだけど、常識的な感覚で言えば独力のみでの成長に違和感を抱くほうが普通なような気がする。

 

そもそもインターネットにある知識だって、誰かがそこに用意したからあるわけで、見えないけれど人とのつながりがあるわけだし。

 

転生したらスライムだった件みたいに、序盤のレベル上げは一人でやっていて、しかもその序盤のレベル上げだけで世界最強みたいな存在になるわけだけど、ああやって大ヒットを飾っているわけで、あれだって面白いことは間違いないようには思う。

 

だけどあれだって、その後人というか魔物との繋がりをたくさん集めて街を作ってみたいな。繋がりの描写が多くて、それってやっぱり面白さは人との交流の中に多くあるってことなんじゃないかなぁとは思う。

 

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最も鬱に近づく感覚に”孤独”があったりするし、幸福度をあげる存在として言いにくいことも言い合える友達というのもあったりする。

 

内向型の人間だからといって人とのつながりがゼロで良いのかといえばそうではなく、質の高いいくつかの関係性は欲しいわけで、フィクションであれリアルであれ、人は人との関わりあいの物語を求めているのだろう。

 

それは例えばラブコメディかもしれないし、悲恋かもしれない。友情かもしれないし、敵対や憎悪、復讐の物語かもしれない。良くも悪くも刺激的な人間との関わり合いがそこにあるのだとしたら、それは面白いなのだろう。

 

ただ、三木一馬氏の著書によれば上昇トレンド、つまり「いいなぁ」とか「こうなりたいなぁ」とか、羨ましい感覚を抱かせる展開のほうが好ましいようだけど。

 

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人を描くのであれば大事なことは感情理解、具体的に言えば特定の要素を持つ人は他にどんな要素を持つ可能性が高いのかってことだと思う。つまりその人となりの一貫性の高さだ。

 

例えばメガネをかけている人は偏見と言って良いけれど、デジタルデバイスだったり本だったり、目を酷使するようなことをやっているイメージが強い。これが勉強嫌いで本も嫌い、パソコンは電源の入れ方もわからない、大好きな授業は体育。っていうキャラクターがメガネをかけていたらどうしても違和感がある。

 

恥ずかしがり屋な人間は前髪長くしがちなイメージがあるし、逆に快活な人間はショートヘアーなイメージが有る。マッチョな人は元気いっぱいだし、ガリガリな人はなんだか陰気そうだ。

 

こういう偏見と言われるだろうけど、だけど共有している人が多そうな要素が一貫していないと違和感が出て、キャラが生きてないように見えてくる。長門有希キョンの背中をひっぱたいて「ハルヒの唇奪えばいいねん、コラァ!」とか言い出したら涼宮ハルヒの憂鬱という作品は終わってしまうことだろう。

 

もちろん説得力のある説明ができるなら一貫しなさそうな要素をもたせてもいいとは思う。『前髪長くしてるのは元ヤンが普通の生活をするために大人しそうな雰囲気を出したかったから』なんていうのは、結構よく見る設定だけど、それだけ気持ちのいい話なんだと思う。

 

ギャルに少女趣味をもたせたり、ヤンキーにペット好き属性をもたせたり、委員長を買い食い常習犯にしてみたり、生徒会長にM属性もたせてみたり…。

 

食い合わせの良い要素、悪い要素っていうのは間違いなくあるだろうけど、説明するシーンを設けて読んでいる人を納得させられたなら、面白いにつながっていきそうに思う。

 

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人間は意外性に面白さを感じるというのが常であって、これは幼い子供がいないいないばあで喜ぶころから老衰するまでずーっと同じだと思う。

 

それでいうと現代社会においてもっとも面白い存在とはなにかといえば、やはり他人なのだろうなと思う。

 

グーグルアースを開けば衛星写真世界遺産を総なめできてしまうような世の中で、場所やモノが持つ面白さというのは減衰傾向にあるんじゃないかと思う。(もちろん魅せ方によっては面白さは大きくなるし、実際言ってみれば視覚以外で感じられる要素だってあるし、視覚だって実物と写真では異なることが多い。)

 

だけど人間はSNSがどれだけ全盛になろうとも秘密を持つし、関わる人によって出てくる人物像が変わってくる。人は多面体なんて言葉があったような気がするけど、たった一人の人間ですら人によって楽しみ方が変わる。観測者側の人がその人のことで交流したら違った面同士の情報が行来して、意外性が生まれて、面白いにつながっていく。(モノによってはドン引きとかに繋がったりもするけど)

 

テレビを付ければ大抵のジャンルには人が登場する。それはきっと人間が一番面白い存在だからだと思う。ドキュメンタリー番組で動物の映像が延々流されていたりするけれど、これがゴールデンタイムに放映されることは到底無い。リラックスできる番組だなぁと思うけど、刺激的でドーパミンがドバドバ出るような存在ではないのだ。

 

ジブリの誰だったかが延々人間観察していたみたいな話を聞いたような気がするのだけど、面白いを作るにはリアルの人間を観察してみて、例えば見た目や歩き方から自分がその人に対してどんな偏見を抱いたかをまとめ、どんな要素と要素が組み合わさっているように見えるのか考えてみるのがいいのかもしれない。

 

というわけで終わりです。