これは他者視点からしても、自己視点からしても正しい話なんですよ。
それを言葉ではなく体感することのできる動画として、非常に有名なのがこちら。
芝生で一人踊っている男のもとで、一人の男が一緒に踊り始め、そうしてまた一人また一人と増えていくうちに、いつのまにやら数十人が大はしゃぎで踊るムーブメントになるという動画です。
この場合他者視点からする最初の男への評価は
- 芝生で上裸で謎の踊りを踊ってる変人
- ムーブメントを巻き起こした英雄、集団のリーダー
と変わります。
なにがそう変えたのかといえば、男の周りに集った人々であり、すなわち社会的立場、器です。
また自己視点も、
- 好きでなんとなく踊っている状態
- みんなが集まってリーダーとして踊っている状態
と変わります。そして自分のためにやっていたことも、人のためという視点が入ってきた瞬間、確実に何かが変わります。実際、彼は一人目の男が入ってきたとき、一緒に踊っています。これは視点が自分だけでなく、自分以外にも向いた状態であり、それは器が人を変えたと言って間違いないでしょう。
人間は環境に大きな影響を受ける生き物ですから、立場によって人格もどうしようもなく変わるものです。
そう考えると背中を押してくれる存在というのはとても貴重な存在なんですよね。
最初に踊っていた男は好きでやっていたのでしょうけど、普通の人は好きで踊りたいとは思わないじゃないですか。恥ずかしくてたまらないはずです。でもこれが罰ゲームとか、他人に強要されたものであれば恥ずかしくあってもできるはず。
同じように、管理職だとか上の職業であるほど避けたがるというのが日本人の傾向なんて言われていますが、背中を押してくれる人がいればその限りではないでしょう。そしてリーダーになったなら、その後はなんやかんや器によって人格が変わっていき、リーダーとしての振る舞いが備わっていくはず。
何が言いたいかって言うと、不安とか恐怖心からやりたくないなと思うことは、やってみたほうが自分に対して何かしらの影響を与えることが出来て、それなりに良さそうだよなって話です。ストレスによる心神喪失とかは考えない場合ですけど。