一言で言えば着ぐるみと芸能人の違いなような気がする。
中の人が変わろうともガワだけで魅力を保つというのは難しいことではあるし、着ぐるみにおいても最もメディアに引っ張りだこになったであろうのがふなっしーである点を考慮すると、人間自体が持つキャラクター性みたいなのは人気に大きく影響するのだろうなと思った
だからこそVTuberは声優とキャラクター時代が切り離されず、中の人が同じだからで追いかけるファンが大量に発生するわけだし。
VTuberは着ぐるみではなく、整形という面が強かったんじゃないかなと思う。
それも顔の一部分を変更するようなものではなく、肉体まるまるを変更してしまえるような。SFでよくある、ボディまるっきりの交換をネットワーク上で実現したのがVTuberかもしれないなと思った。なんなら性別変更すら可能なわけだし(今はそういうのはVRChatで展開されてるイメージだけど)
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この記事に関連してニコニコのボイスロイド文化に触れられていたけど、あれは確かに着ぐるみのまま人気が出た状態なような気はする。
ゆっくりとかもそうだけど、ゆっくり霊夢はこんなキャラ。ゆっくり魔理沙はこんなキャラ。みたいな、そのシリーズを見ている人たち、作っている人たちで薄っすらと共有しているキャラクター性みたいなのがあったりする。
ボイロは更に色濃くキャラを共有していて、誰かが人気動画で癖の強いキャラクター性を主張すると、その方向に引っ張られたりもする。
複数の制作者によって世界観を共有した結果、消費者・製作者全体で共有されるキャラクター性が生まれて、それがベースに人気が出てくる。
これはVIPRPGや艦これ・東方の二次創作みたいなもので、これがVTuberが着ぐるみとして人気を博した先の未来だったのかもしれないなと思う。
そのためには一つのガワに対して複数人によるキャラクター性の主張みたいなものは必要になりやすいように思う。
リアルな気ぐるみで言えばくまもんなんかは着ぐるみ自体でキャラクター性を作り上げていたけど、その背景には大規模なマーケティングがあったわけで、一つの媒体だけで着ぐるみにキャラ付けするというのは非常に難しいのではないかと思った。
特に声がついてしまうと、その声が個人を作り上げるものの一つとして認識されてしまうから、なおさらVTuberは難しい。
ボイロにしろ、VIPRPGにしろ、艦これ・東方にしろ、これらはVTuberが抱える個人の声色への依存が存在しない。そういう意味ではVTuberの着ぐるみ化は前提から間違った願望だったのかもしれない、と思った