INTP型のブログ

苦味があるな?

感情の研究

※個人の感想です

 

【最初】

 

  • 怒りとか喜びとか、一つ一つの感情に視野を当てるとキリがないのでもう少し大枠で考える

 

【前提】

 

  • 人間の判断基準は『相対的』なものであるとする
  • 相対的であるとした理由は後述する
  • 相対的であるとしたとき、感情を刺激する何かを判断するには『ベース』と『変化後』が必要になる
  • 『変化後 - ベース』の差が相対的部分になるため、ここが感情の刺激レベルになる
  • この2つの変数にプラスして、それを判断する人間の価値基準(要は価値観)がある
  • つまり、
  • 『ベース』『変化後』『価値観』の3つが感情変化を計算する上で必要な変数になると考える

 

【なぜ人間の判断基準は相対的であると言えるのか】

 

  • アンカリング効果を始めとして、人間は何かを判断するときにベースを決めるっぽいから
  • 具体的例をあげようと思えば他にいくらでも挙げれるけど、証明したいわけではないので割愛
  • 逆に絶対的であると証明できないから相対的でしょと言ってしまったほうが早いような気もする

 

【ベースの構築要素】

 

  • 考えるに二つ
  • 例えば感情変化を発生させるための一つのシーンがあったとしたとき、それがプレゼントだと仮定する
  • プレゼントのベースとなるのは
  • 『日常』と『過去の同一シーン』と考えた
  • 日常:いつもの風景や場所、状況等
  • 過去の同一(プレゼント)シーン:プレゼントを渡した人間、時間帯、関係値、雰囲気等
  • これらを土台に相対値を割り出していると思った
  • この『日常』や『過去の同一シーン』は基本的に変わらないと思うため、二つとした

 

【変化後の構築要素】

 

  • ベースに対しての変化値なので、ベースと同じ
  • 『変化後 - ベース』がプラスなら良い雰囲気になるし、マイナスなら悪い雰囲気になる
  • このベースと変化後をどのように捉えるかは人次第
  • 例えばフラッシュモブは大きな変化量を与えてくれると思うが、好き嫌いは分かれる
  • そのためここで判断する人間の価値観が出てくる

 

【価値観の考え】

 

  • 価値観はどのように構築されるのか
  • できる限りモデルはシンプルに考えるべきだと思っているので、価値観はその人の好き嫌いの積み重ね + 常識とした
  • 例えばゲームをプレゼントされたとする
  • そのゲームを嬉しいと思うか否かは単純にゲーム好きか否かは大きいはず
  • また、夜景のキレイなレストランでゲームをプレゼントはありえないという常識を持っていたなら、ゲームが好きであっても嫌悪感は出るだろう

 

【常識はどうできるか】

 

  • 常識は社会的なものだと思う
  • 社会とは自分の触れる世界で、テレビをよく見る人はテレビに影響されるだろうし、友だちとよく遊ぶ人は友達に影響される。ネットを見るならネットだ
  • また接触回数ではなく、重要度もあるはず。好きな芸能人から影響を大きく受けるなんてことは多いはず
  • つまり常識とは自分以外の多数の好き嫌いの積み重ねだと思った
  • そういう意味では価値観を考える場合はその当人の好き嫌いと、世間一般的好き嫌いを見ていくのが早いかもしれない

 

【なんで好き嫌いなの、考えじゃないの】

 

  • 人間は考え主導ではなく感情主導だと考えているから
  • つまり好き嫌いの感情的判断の後に、それを補強する考えがついてきているということ
  • アフィリエイトで訴求文書いてるとき痛感したのでそう思ってる
  • だから好き嫌いとした

 

【好き嫌いの構成要素は】

 

  • 知識や経験あたりだと思った
  • マナーを学べば汚い食べ方を嫌いになったりする、これは知識によって好き嫌いが生まれた瞬間
  • クチャラーと一緒に過ごして不快な食事を経験した結果、クチャラー嫌いになるのは経験ベース
  • 他にもありそうだけどそのへん

 

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そんな感じ

 

創作は感情の刺激物でしかないみたいなのを見てからちょくちょく考えるようになったんだけど、単一の感情とかを深めようとすると沼だったので大枠で考えてた

 

一つのシーンに対して『ベース』『変化後』『価値観』の3変数にだけ注目すればいいのがこのモデルの良い点。悪い点は実際にはそれら3変数の中に沢山の変数があったり、どの感情を刺激したいかとかを組み込んでない点。まあそのへんは雰囲気

 

モデルがあるとPDCA回せるので、自分用のたたき台として考えた

 

例えば誰かにプレゼントを送るときに上3変数を考えてあげれば感情の刺激レベルと方向はなんとなく計算できるので、たとえそれが間違ったものだとしても根拠があるだけでも迷い具合が違うはず。具体的事例じゃなくて汎用性の高い抽象的判断基準が欲しかった感じ(後さっきも書いたけど根拠があるとPDCAできるのも大きい、ふわっとしてたらまず計画を練ろうとかになっちゃうので、そして計画とは…になる)

 

あとは今後創作したいなと思ったときに一つのシーンの価値判断をするのが楽になりそうとかも思った

 

人間が相対的な判断ばっかするというのはこの考えの中では一番ガチというか有用な部分だと思う

 

割りと時間軸に対しての相対性で捉えることが多かったんだけど、最近某お方のブログで『愛の大きさは自己資本に対しての提供割合』というのを見て、現時点のお金や24時間に対してのかけた時間、精神的負担や体力、色んな労力なんかをベースに相対的に捉えることも出来るなと思ったりして面白かった

 

まあ相対的だからといって不幸に慣れて何も感じなくなるのかといえば意外とそうでもなかったりするけど(漠然とした不安で精神壊して自死する人も多いので)

 

おわり