INTP型のブログ

苦味があるな?

評価して欲しいと言われると人は批判的になってしまう理由

※サリック効果本の造語だったんやが……。一応現象自体はあるっぽいけど、草生える

 

第一にネガティブな人間のほうが賢く見えてしまうからです。

 

全く同じ語彙レベルで作成された

 

  • 酷評レビュー
  • 絶賛レビュー

 

どちらがより頭の良い文章に見られたかを実験したところ、批判的レビューのほうが知性を14%、文学的な専門性は16%高く評価されたんですね。

 

これがまさにネガティブな人間のほうが賢く見える話の証左で、人は批判することのほうが知性をより必要とすると考えているようです。

 

まあ確かに楽天家で頭お花畑な人間と、偏屈で批判的な人間。どちらがより難しい問題に取り組めそうかと言われれば、どちらかといえば後者かなと思われがちなのはなんとなく分かる気がします。

 

ここまで考えてみると誰かに評価を前提として何かを見せたら批判されやすくなる理由がわかるんじゃないかと。

 

書評家の多くもしがちなのですが、「自分は賢い人間である」ということをアピールするために、どれだけ面白いと感じた作品であろうと、文章の何処かには批判的な言葉を交えるものです。

 

つまりは評価者としての立場を与えられると馬鹿だと思われたくないので、作品の欠点をどうにかして探してやろうとしてしまい、結果批判的になるという話であります。

 

サリック効果

 

この話に重ねて考えてみると面白い話としてサリック効果というものがあります。

 

サリック効果というのは簡単に言うと欠点をあえて晒すことで相手の警戒心を解く、みたいなやつのことです。

 

例えば1週間で痩せられる方法、みたいな話をされたら普通は「そんなうまい話あるわけ無いだろ」と思います。しかしこれに合わせて、「※ただし死ぬほどキツイです」とか書いてあれば、警戒心は比較的薄れます。

 

要するにサリック効果というのは、心の中にある警戒心をあえて言葉にしてあげることで「この人は欠点をしっかり伝えられる紳士な人間なんだ」と信用させることが出来るよねという話です。

 

逆に言えばここから分かることは信用していない人間に「これは○○が良くて、△△も良い、更に××もいいから使ってね!」と言われたら、警戒心が存分に増幅されて一切話を聞いてはもらえないという話でもあります。

 

もっといえば自ら欠点を晒すと「敢えて自分が弱点を指摘しなくても問題なさそうだ」と感じてもらいやすくなると言う話でもあるでしょう。

 

これを先程の話と重ねて考えてみると、他人に何かを評価してもらおうと思ったとき「自分の考えるこの作品の弱点」みたいなのを合わせて伝えたらサリック効果によって肯定的なレビューを受けられやすくなるかもねという話でした。

 

しかしメンヘラっぽくなる弱点もある

 

こういった「自ら弱点を晒す」と言う行為がカジュアルになりすぎると、メンヘラっぽくなるんですよね。

 

俺なんて……とか、私なんて……とか。

 

とにかく自信なさげに振る舞うことで「そんなことないって!」という肯定的な意見をもらいやすくするという生存戦略を取りかねないと言う問題があるんすな。

 

ネガティブな感情はポジティブな感情の7倍感染力があると言われており、更に言うとネガティブな精神状態は普通に幸福度を下げるというのもわかりきった話でありますから、いくつかの肯定的な意見をもらいたいがために他人も、自分自身も不幸にしかねないんですね。

 

そもそも他人に評価を求めるのが若干危ない

 

サリック効果の概念を利用して他者評価をコントロールするとかでんでんの前に、そもそも他人の評価なんてあてにならないから見せないほうが良いと言う話でもありますわな。

 

有数な投資家であれ買った銘柄全てが値上がりするわけじゃありませんし、大ヒットとなった進撃の巨人とある魔術の禁書目録といった作品も散々な評価をくだされたことだってあります。

 

これはヒットするぞと表彰されたような作品が逆に埋もれたなんて話も大量にあるわけです、セグウェイとか。

 

一応同業者は比較的正当な評価を下しやすいらしい

 

とはいえ他人の意見を取り入れる必要のある場面もあるため、そんなときどうすればよいかというと、同業の人間に聞いてみるのが良いようです。

 

またその評価はより短時間かつ直感的であったほうが良いとのこと。

 

これは

 

  • 特定の業種に対して創造力が高い人間は、その業種に対して経験の長い人間だった(ここで言う創造力は数ではなく社会的に役に立つかの質をベースとしたもの)
  • 詳しいジャンルに於いて30秒と5秒で評価を下したとき、5秒のほうが23%精度が高かった

 

と言う話からですね。

 

(もっというと深い経験 + 幅広い経験が最大級の創造力を生むのでその人が良い)

 

まあ創造力の話は評価する時にどれぐらい関わるかは主観的な部分なんですが、そもそもよりよい評価を下すためにはそれに詳しいことが求められますから、結局の所同業者に聞くのが一番っていう話になりますな。

 

小説は小説家に、漫画は漫画家に、絵画は画家に、音楽は音楽家に。

 

自分の糧となる評価は同業者に聞くのが一番でしょうね。

 

(そう考えると編集者や書評家の存在とは……? その職の前に評価する職業をやっていたとかでないと、話半分ぐらいで聞いたほうが良いのではと思ってしまうな)

子どもは天才的アイデアマンだが何も生み出さないという話

子供を観察してみるとごっこ遊びなんかをよくやっているのが分かる。

 

例えばおままごとなんかもそうだし、ヒーローごっこなんかもやっている。そこには料理はないし、家もない。敵も居ないし剣もないけれど、あたかもあるかのように認識してそれを楽しむ。

 

こういった何かを工夫して楽しむということにかけて子どもに勝るものはないと思うわけで、これは天才的アイデア力に支えられているからだと感じます。

 

しかし社会に役に立つアイデアと言う観点を持つと子どもは何も生み出せないです。

 

理由は2点。

 

  • 前提とする知識がないから
  • イデアを達成する精神制御力がないから

 

例えば今から新たな数学の発見をするには、現在ある数学の知識を頭に叩き込んでいることが前提でしょうし、仮に何か新しいひらめきを得たとしてもそれを証明するという長い道のりが待ってます。

 

これはあらゆる社会的に必要とされるものに共通していることですから、子どもは圧倒的なアイデア力を持ってはいますが、何も生み出すことはないというわけです。

 

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実のところ知識量が増えるほど想像力が落ちるということがわかっています。いわゆる固定観念が邪魔をするってやつですね。

 

また面白いことに子供のように振る舞おうと意識するだけで想像力が上がったという研究データもあります。

 

つまりは先程書いた2点を抑えて、自分のアイデアを形にしようとすると、今度は創造力でつまずく可能性が上がるかもしれないという話です。

 

知識を獲得することやアイデアを実現することを努力と表現するとしたら、創造力とそれは相反する存在と言えます。

 

真に創造的な人間というのはこの相反する性質を乗り越えた人間なんでしょうね。

しにそう

1週間ほどタバタプロトコルバーピーを毎日やってみたところ、日に日に疲労度が高くなり今日に至ってはしにそうなんだが

 

この疲労感は陸上部だった頃以来な気がする、なんか身体全体がずっしり重い

 

「習慣化するなら日課にしたほうが楽なんだよなぁ」

 

と思って毎日やるようにしたんだけどだめだわ、一日置きぐらいにするべき。疲れで何もできん

 

 

マーケター(自称)的に激アツな本を見つけたので紹介したい

絵描き初心者のニートDL同人で月40万を稼いだ25の裏技

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07PJ28X45

 

って本ですね。

 

「なんか読むだけでイラスト神レベルに上手くなる本ねーかなぁ」とAmazonを彷徨ってたら見つけました

 

レビュー数22件で評価4.8とかいう、中国ステマかっていうぐらいの高評価に怪しさを感じながら手にとって見ますと、非常に激アツな中身になっておりますた。

 

具体的には

 

  • 月別の売上
  • DLsiteで実際に販売しているアカウントの公開
  • 解析データからの最適解

 

なんかが書かれてます、全部包み隠さずですよ? やばすぎでしょ

 

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アフィリエイターである我々なんかはこういった情報の公開は競合を増やすことになるため、基本的にやりません。

 

やったとしても同じく有料の場でやるぐらい、もっというと価格は500円なんて生易しいものじゃなくて3000円とか下手すりゃ1万とかとってる人らもいます。

 

(なんなら実際に作っているサイトの公開はせず、転職ジャンルで○○万みたいな書き方したりする)

 

それぐらい実際の売上データっていうのはクリティカルなんですよ。

 

正直売上データだけでも500円の価値は余裕であるんですが、この本のすごいところはマーケティングが全く分からん人でも、書いてある内容をなぞるだけでマーケティングにおいて重要なところはだいたい抑えられるって点ですね。

 

下手なマーケティングノウハウ本買うより100万倍ぐらい価値あると思いますわ、まじで

 

(かすマーケ本だとなんの根拠もなしに、「弊社はこうやってます!」みたいなのゴリおりしてて、は?となる。「解析データから考えてのものなんだろうな!?」という感じ)

 

ブログやってるらしいので応援の意味を込めてリンク送っときます。

 

tarobaumu.com

 

今見てみたら体育会系絵描きらしいじゃないか……! 親近感湧くな(性癖は対立しそうだがね!)

 

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PS.これ見たら同人活動やってみたくなるおね……サイト作るの飽きたし、Googleうざいからワシも同人活動したいおね……。ただ絵がなぁ……、なんかしら考えておこう……

スキンケア大学の凋落ぶりがヤバ過ぎるとワシの中で話題に

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全盛期の100分の一以下になってますがな…………

 

スキンケア大学というとアフィリエイト界隈に空前の【医師が監修】をタイトルに入れるとかいう謎ノウハウを流行らせたサイトであり、一時期の美容関連ワードの寡占ぶりは凄まじいものがあったんすね。

 

それが今となっては100分の一以下のアクセスに……(ツール調査なんで実際の数値は分からんけど、割りかし精度高いのでだいたいこんな感じだとは思う)

 

最近はE-A-Tっていうのが流行ってて、噛み砕いて言うと

 

  • 記事の情報量!
  • 書いた人のブランド力!
  • サイト自体のブランド力!

 

が大事なんじゃねという。

 

記事の情報量に関してはだいたいノウハウで回りきってて差別化出来ないんで、後者2つに力を入れてるとこが多いんですよ。それらをまとめてサイテーションとか呼んでて、具体的な施策としては

 

  • サイトの指名検索を伸ばす
  • SNSを運用して筆者・サイトの認知度を伸ばす

 

なんかが主流っすね。

 

ただスキンケア大学はそういった面を怠ってたかって言うと、そんなこともないし、むしろ全力投球かましてたような気もするので結局の所は目立つとGoogleにやられるという感じが。

 

サイテーション伸ばしておけば検索流入以外でアクセス保てるし、意味がないってことはないんでしょうし、僕自身今はその方針で動いてますが、サイテーションこそ至高! みたいな今の考え方は【医師が監修】ってタイトルに入れておけば健康クエリは余裕とか言われてた謎ノウハウと似たような怖さがありますわ。

 

結局の所Google的には「検索エンジンをハックして金稼ぐのやめろ」っていう話で、検索流入以外のアクセスに対して、それ以外のアクセスが少なすぎるとハックサイトとみなされて飛ばされるって感じします。

 

だからスキンケア大学みたいに検索結果寡占したりすると、それを支える検索流入以外のアクセスが比率的に少なくなって飛ばされるのかなという。

 

そういう意味ではサイテーション頑張るのも意味あるんでしょうが、なんか最近のサイテーション論はとりあえずSNSで有名になればいい的な思考停止感があって嫌いなんすよね。

 

SNSとかにこだわらなくても、RSS購読なり、ブックマークからの直接アクセスなり、なんでもいいから検索以外の流入増やせばいいだけなのではという感じがするからかね。

 

結局の所SEOなんざGoogleがこうしたいと思ったら一瞬で変わる理論なわけで、そこを攻略しようとすると延々面倒くさい目に合う感じしますなー

 

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なんか読み返したらサイテーション支持してるような支持してないような、ふわふわしてる感じあるな。

 

スキンケア大学のとんだ理由もサイテーション怠ったからじゃなくねという筋から、アクセスに対して物足りなかったという感じになってるし、公開しないほうが読者のためか……

 

と思いつつ、公開するやつ

 

無意識でやってることに意識を巡らすと逆効果になるっぽい

yuchrszk.blogspot.com

 

まずはこれ。

 

詳しい内容はリンク先を見てもらうとして、簡単に書くと自分について考えてしまうと、セルフスキーマと呼ばれる領域が活性化してしまい、身体のスムーズな動きや学習をブロックしちゃうらしい。

 

※セルフスキーマは自分に関する知識の集まり

 

で、まあこれだけを読むと「運動に関する話でしょ」と感じるかもで、実際僕もそう思ったんですが、良い習慣、悪い習慣って本に出てくるこの事例でそうでもないかもと思いました。

 

1つ目はこれ

 

飲んだ飲み物がどれくらい好きかをよく考えた人のほうが、特に考えなかった人よりも飲む量の予測が外れがちだった

 

というもの。

 

これは自分の嗜好について考えた結果、実際の嗜好とは離れたものを選んでしまい、その結果の無料が減ったという話で、明らかセルフスキーマによってパフォーマンスが低下したと見えるんですよね。

 

2つ目はこれ

 

二種類のポスターのどちらかを持ち帰ってもよいという選択肢を被験者に与えた。1つは芸術的なポスター、もう一つはユーモラスなポスターである。被験者の一部には選択の理由を考えるよう依頼し、残りの被験者には何も考えずに選んでもらった。

 

中略

 

選択の理由を考えようとした人は、芸術的なポスターよりもユーモラスなポスターを選ぶ確率が高かったのである。次いで、被験者はポスターを持ち帰り、自分の選択にどれくらい満足したかを数週間後に報告した。するとユーモラスなポスターを選んだ人のほうが満足度が低かった

 

ってなわけで、こちらも意識的に選択するより、無意識で選んだほうが満足度が高くなったという結果を示してますね。

 

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運動然り、思考然り、いつもは無意識でやっているところを意識的にやるとパフォーマンスは低下すると考えて良さそうです。

 

例えば記事を書く時に「ここではこの表現を使って、リード文はこういう感じにして……」みたいに、下手に考えるとむしろ質は低下するんじゃねと感じました。実際、ノリで書いた記事のほうが何かと良い結果を出してたりするんですよね

 

小説に関しても同じで、プロットを厳密に立てて、それを見ながら意識的に筋道をコントロールしようとするとそもそも完成させることすら出来なかったですし、面白みにもかけてたんですが、後々ノリと勢いだけで書いたら完成させられたし、比較的良い完成度を保てました。

 

スポーツに関しても、レース前下手に自分の体に意識を巡らせると、いつもより結果が悪かったというのは経験則的にあります。

 

なにかやろう! と考えたときは、それについて考えず勢いで進んだほうが良さげすな。修正をするのはその作業が完遂してからのほうが良さそう

Ti→Neのいいとこ、わるいとこ

良いパターン

 

「○○を成し遂げるために必要なことを考えよう」

↓Ti

「○○をするためには△△が必要だから、××していくのが良さそうだ」

↓Ne

「いやまてよ、□□っていう問題が出てくるんじゃないか」

↓Ti

「□□問題を解決するには~」

 

みたいな感じで延々と脳内PDCAサイクルが回っていく

 

Neによる発想が尽きない限りは問題が延々潰せるので強い、ただしTi(自分の考え)がベースにあるので、あらぬ方向に行くこともある。客観的データを土台にすること大事

 

悪いパターン

 

「〇〇がしたい」

↓Ti

「○○するなら△△やりたい」

↓Ne

「(凶悪にネガティブな思考)」

↓Ti

「自分の実力を加味すると絶対不可能だ……やめよう……」

 

Tiは自分の考えなので、主観的。主観的なためネガティブだと自分の実力を過小評価して、行動ができなくなったりする。

 

陰謀論とかに嵌まるのもこのパターンで、Tiが弱いとNeによって生まれたおかしい思考に振り回されたりする。