INTP型のブログ

苦味があるな?

個人的幸福を求める時は誰かの犠牲を想像できる人間になりたいよな

例えば近所のコンビニに深夜立ち寄ってもやってるのは生活リズムを夜型にしてくれてる人のおかげだし、休日・祝日関係なく荷物が届くのは毎日のようにトラックを運転してインターホンを押してくれる人のおかげだし、今こうして平日の夜中にダラダラブログを更新できるのはインフラを整えてくれている人たちのおかげだし。

 

犠牲という表現はおかしいかもしれないけど、多くの場合人は「働きたくない」と考える生き物のように見えるし、おそらく誰かの労働の上に成り立つ自分の幸福は犠牲によって構築されていると考えても大差はないと思うんよ。

 

出来得る限り犠牲という要素をマイルドにするために、労働ごとの価値を金銭という形で決めて、対等であるかのように見せかけているけど、本当は今の仕事じゃなくてもっと別のことをやりたかったと考えている人のほうが多いでしょ知らんけど。

 

だから自分がなにか便利を求めたり、より幸福な状況を求めた時、それはおそらく誰かの犠牲の上に成り立っていると考えて、その誰かまで思考が及ぶようにしておきたいと思うんよな。

 

別にだから求めないという話ではなく、そこまでたどり着いたらひたすらに感謝の念を持って、経緯を表しておきたいっていうだけの話。感謝するのも感謝されるのも、そこに正当だと感じられる理由があるなら幸せなものやしな。